Quantcast
Channel: ニホンオオカミを探す会の井戸端会議
Viewing all 242 articles
Browse latest View live

奥多摩山中のイヌ

$
0
0
私が三峯神社に初めて行ったのは、娘が幼稚園の時でしたから36~7年前の事になります。
5月の連休でしたから、大輪からのロープウェイも2~3時間待ちで、そんな時間が無駄に思え表参道を登ったのですが、これが家族での最初の登山になりました。
三峯神社の宮司職は中山・広瀬・宮沢・本多・各家の持ち回りだそうで、山頂直下に茶店が2軒あり、それが宮沢・広瀬家で、歴代の宮司を務めた由緒ある家であることを知ったのは随分後のことです。

イメージ 1
神社の遥拝殿にて幼稚園時の娘

イメージ 3
表参道途中の薬師堂跡

イメージ 2
表参道で見つけた「熊棚」

イメージ 4
山頂直下の旧茶店
 
その頃から博物館は有ったのですが、「秩父宮記念三峯山博物館」の名が示す通り、神社の歴史と宮家に関する展示が主で、オオカミに関する物は「日鑑」に記された産立(うぶたて)の記事くらいで、私の気を引いたのは入り口近くに在った「石臼」でした。
記憶によれば、神社下を流れる『大洞川源流「(旧)将監峠」の笹藪から見つけた物』と記されていました。
不思議に思い帰宅後調べると、旧将監峠周辺は数多い武田金山の採掘現場の一つで、大洞山=飛龍山と云う事も知ったのです。

イメージ 5
神社の日報「日鑑」・大正時代の或る日

イメージ 6
現在の博物館の様子

イメージ 7
大洞山頂で、「見狼記」の一コマ

イメージ 8
将監小屋前の標識・上方が旧将監峠
 
奥多摩一之瀬高原の古くからの住民の多くは「田辺」姓で、いわゆる武田金山衆の一族と云われています。
笠取小屋主人・将監小屋主人・・民宿見晴らしも田辺姓で、当然血の繋がりを持っていると思われます。
511日早朝、奥多摩山域の登山口、三ノ瀬の「見晴らし」で身支度をしていると、懐かしい人が顔を現しました。

イメージ 9
春の笠取小屋

イメージ 15
将監小屋
 
「見狼記」撮影の際お世話になった田辺信二さんです。
心臓のペースメーカーを携帯しながら山仕事を、冬は狩りをしている方です。
猟犬の散歩ついでに親戚の「見晴らし」に立ち寄ったらしいのですが、7年振りですので、私以上に2頭の猟犬は老けていました。

イメージ 14
最近の「見晴らし」

昔話をしながら、山仕事をしている田辺さんからオオカミ情報を聞き出そうとしたのですが、「オオカミなんて居る筈無い」・・・との思いに凝り固まっている訳で、全く相手にしてくれません。
見晴らしのお婆ちゃんにも話を向けたのですが、「早稲田大OBの人たちが昨日家の前を通ったけど・・・」と話をはぐらかせて、相手にしませんでした。
それでもめげず喰いついていると、昨年の山の遭難を思い出しつつ、こんな話をしてくれました。
 
昨年だけで3件の事故が周辺で起こり、遭難箇所が埼玉・山梨に跨っている都合上、両県の山岳救助隊が出動して探したのですが、不幸にして60代の女性が1名亡くなったそうです。
女性2名のパーティーで将監小屋にテントを張り、和名倉山に行ったのですが帰り道で離ればなれになり、崖から落ちて亡くなっていた・・・と。
田辺さんが救助に参加した訳では無いのですが、出動3件の内2件谷筋でイヌの鳴き声がした・・・と云う事で、猟をしている田邉さんに話が及んだそうです。
一ノ瀬高原には現在10名チョットの人が住んでいるだけでして、猟をする田辺さんは集落の全てのイヌと、猟仲間の未回収イヌの存在を知っています。
行方不明のイヌは居ない筈なのに・・・と、不思議に思っていたそうですが、日々の生活に追われその事は忘れていたのを私が思い出させた・・・訳です。
ここまで聞き出すのが精いっぱいで、「イヌの鳴き声」がどんな感じか聞けなかったのですが、正確なところは山救隊の人に直接聞くほか方法は無い様です。
ただ彼らにしたら、私たちは招かれざる人・・・の訳で、何処まで正直に話してくれるか。
田辺さん等の様に「オオカミなんて居る訳無い」と思っているなら、「ウオーーー」と聴こえたとしても、イヌの遠吠えと考える可能性は充分にあるのです。

イメージ 10
埼玉県山岳救助隊員の訓練の一コマ
 
これと似た事例が23年前、埼玉県側であったのを皆さん覚えていませんでしょうか。
昨年713日の当ブログ「和名倉山での遭難」で
ハンター氏は「オオカミなんて居る訳無いが、この谷には(山を越えた)一之瀬の方から良いイヌが来るんだよな!」
「俺も2回見た事が有って、あのイヌが猟に使えればナア・・・」とも、云ったのです。
この谷でハンターからこの手の話を聞くのは2度目でした。
199511月にこの地で、オオカミフォーラムとオオカミの誘い出しを行ったのですが、場所をここに決めたのは、小鹿野町のハンターから同様の話を聞いていた為でした。
その後、この谷に足げく通い、求める動物と思われる足跡を2度見つけ、また、昨年8月26日この欄で記した様に、三峰集落の猟師宮川淳一さんの遭遇現場確認の帰り、岡田氏が事故った沢近くからの咆哮を聴いたのです。】・・・がそれです。

イメージ 11
この下のダムが鹿の鮮血で真っ赤に染まり・・・

イメージ 12
小鹿野町のハンターが遭遇した大洞川上流
 
小鹿野町のハンターも大滝のハンターも私たちが探している動物(と思われる)の姿を見た訳ですし、救助隊の人達は“イヌと思っている啼き声”を聴いているのです。
つまり、国境稜線を挟んで秩父では一ノ瀬から、一ノ瀬の人達は秩父から変なイヌが来る・・・と思っている節があり、しかもそうした事を知り得ているのは私だけ・・・。
1歩足を山に踏み入れると、机上の理論で説明つかない事が現実に起こり得て、昔流行った「事実は小説よりも奇なり」なる諺が思い出されるのです。

イメージ 13
この姿態ならイヌと間違える・・・かも

我死なば 焼くな埋むな

$
0
0
【我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ】・・・は、平安時代の女流歌人小野小町が歌ったと伝わります。
【空ひびき 土ひびきして 雪ふぶく 寂しき国ぞ 我が生まれぐに】・・・この歌は私の田舎出身の歌人、宮柊二が故郷を想って歌ったものです。
(因みに柊二は私の母の幼馴染で、母との想い出を歌に綴っているそうですが、それを私は知りません。)
こうした歌、文面を、思いつくままファイルしているので少し記します。

イメージ 1
新潟県魚沼市に在る宮柊二記念館
 
【人間のする事など 所詮は死ぬまでの暇つぶしに過ぎぬかも知れない】
【うそか 本当か 不確かなものを否定する前に まずは真摯に向き合う それこそが科学だ】
【我々は解かっていない 解かるには限界が有りすぎる 本当に重要な事は まだ掴めていない】 
【旅に計画はいらない 旅が導いてくれるから】
【怒りは無知 泣くは修行 笑いは悟り】
 
【怖い話を・・・・・いや、不思議な・・・です。
昭和44年7月29日深夜2時に、ニホンオオカミと思われる咆哮を聞いた、その夜から約2週間後の、8月13日夜7~8時頃。
苗場山頂(2145メートル)にある山小屋『遊仙閣』の小屋番の仕事を終えた私は、屋根に上がって寝転びながら星空を眺めていました。
宿泊客達は昼間の疲れで寝静まって、私以外の人の気配は全く感じられない!そんな山小屋の夜でした。   
何気なく正面の山肌に目を転じた時、信じられない光景に我が目を疑りました。
深い谷を隔てた正面の山全体が、灯篭で埋め尽くされていたんです。
2時間くらい下った秋山郷には、幾つもの集落が有るのを承知しておりましたが、目の前の山々は標高が2000メートル近くあり、深い山並みの中の森林が、人の営みを許してくれません。
一つ二つの灯篭ならば・・・それでもやはり不思議な気持ちになるのでしょうが、私が目にしたのは山全体が・・・だったんです。

イメージ 2
1がオオカミの咆哮を聴いた場所、X2が啼いた場所

イメージ 3
昭和44年夏、『遊仙閣』前で

イメージ 4
秋山郷からの苗場山、ご覧の通り深い谷が・・・

イメージ 5
秋山郷のクマ狩りの様子

イメージ 6
茅葺屋根が未だ残る秋山郷
 
その2年前の秋、越後の山歩きをしていた私は、道を間違えて利根川源頭の大水上山に足を踏み入れていました。
当時近辺に登山道等全く無く、途方にくれて困惑していたのですが、霧の中から4~5人の楽しそうな話し声を聞いて、怖くなって、来た道を必死になって戻りました。
苗場山頂で灯篭を見たときは、2年前の4~5人の話し声の事を思い出し、山って所はそういうところなんだと、軽く考えていたのですが、いろいろ経験を積み分別が付くようになった今、不思議な事はやっぱり不思議なんですよね!
そして、全て科学で割り切れるもんではないって事も・・・50数年前私が実際に体験した話でした。】

イメージ 7
高校2年の春越後の山にて

イメージ 8
苗場山頂から八海山・越後駒ヶ岳・中ノ岳・巻機山を臨む
 
【今朝(20数年前)NHKテレビを見ていたら,養蜂の話、海がめの産卵、鷹匠の話、と立て続けに昔の記憶を呼び戻される話題でした。
養蜂の話、鷹匠の話は、高校卒業時、山小屋就職が駄目になった時、次善の策として考えた職業でした。
山形県の月山山麓で最後の鷹匠として知られていた、沓澤師が後継者を求めていたのを何かで知り、私で出来るかどうか、自問自答した程度でしたが、今日紹介された鷹匠は私と同年代で、慶応の文学部出身でした。 
将来を嘱望された立場を投げ打っての伝統文化継承者!それに値すると思われる、人間としての気高さ、そして目の美しさが印象的でした。
詳しい生活等は知る由も有りませんが、物の豊かさでは無しに、心の豊かさを求めた結果が、人間としての気高さ、純朴さに繋がったのでは・・・・と。
無心で山小屋生活をした2年間!   
もしかしたら私も第三者の目にそんな風に写っていたのかしら・・・・と。 
多分純朴さだけは・・・・と。
少しのジェラシーと共に、私は心からのエールを送りたい気持ちになっていました。】

イメージ 9
モンゴルの鷹匠                                 
 
【私の周りで激しく時間が流れますので、もう少しお付き合いを。
来年(2003年)1月、埼玉県立博物館でニホンオオカミ展が開催される予定だったんです。   
土屋前知事の「鶴の一声で」!
そしてその企画に私もアドバイザーとして関わっていたんです。
以下私と仲間の会話です。  
>土屋さん知事辞めたんで、県博の来年のオオカミ展中止だって!
>学芸員の人、始めからやる気見えなかったもんなー
>20日に県博の館長が三峰神社にお詫びだそうです。
えっ!!!えっ!!!
中止って・・・・それはあんまりではないの。
次の知事によってはまたお話しがって・・・ことは無いのかな?
>担当学芸員のXXさんは、かなりの知識を得たので、いつか上からのお仕着せでない企画を・・・と考えているようです。
>今回の企画は100万の予算しかないという事で、私としてはかなり”おざなり”だと考えていたので、丁度良かったのかもしれません。
>プラス思考で考えると・・・。
>どちらにしても、博物館の企画なんて、何処でも何時でも、皆出尽くした感がありますよね!
>ですから、近いうちに必ず県博でやると思います。

イメージ 10
埼玉県立歴史と民族の博物館
 
【オオカミの取材で山人たちと話す中、知り得た事です。
その年のおおよその天候は、蜂が巣を作る位置で解る・・・カマキリの巣の位置で・・・。
野生動物は本能で、自分たちを守る術を身につけている。 
いや全てではなく、術を身に着けられない固体、家族は、その遺伝子を後世に伝える事が出来ない・・・。
今、私達の周りの生物のほとんどは、そういった形で進化しているんですね】

イメージ 11
今泉吉典先生著「分類から進化論へ」
 
【長い間ニホンオオカミの勉強をし、それに関わっていると色々の事があります。
自分の内的な面で落ち込んでしまったり、反対にやる気になったり・・・そして第三者に依る意識的な嫌がらせ・・・等。
様々なハードルを乗り越えて、現在の私が有るわけです。
運が良かっただけで、もしかしたら現在の私は“貰い物の人生を送っているのかも!”
自暴自棄に生きているつもりは有りませんが、「あれで終わっていたかも・・・」とか考えて、自分の意思を第一に、悔いの無い生き方をしているのも事実です。
短くとも、その場その場を完全燃焼・・・・・】

イメージ 12
この著者から意識的な・・・を

イメージ 13
会社の人達を案内して春の苗場山頂に

イメージ 14
会社の人達を案内して秋の苗場山頂に
 
【あきらめなかった人だけが成し遂げられる】

タテガミの在るニホンオオカミ-2

$
0
0
トンネル工事中の中津川でのカメラメンテナンスが滞った中、6月25日・7月2日と連続で御巣鷹方面に行って来ました。
旧民主党政権時代、高速道路料金が非常に安くなったのをきっかけに通い始めたのですが、政権が元に戻ってからは止めましたので、都合8年振りと云う事になります。
10年一昔の諺通り上野村の街道筋も一変しましたし、何より沢の様子が大きく変わり、以前の面影が全く感じられませんでした。
 
古い記憶を辿って何とかカメラ設置をして来ましたが、当日の暑さには閉口しましたし、神流川流域・上野ダムも渇水状態で、一市民として少し心配の状態でした。
暑さを見込んで、朝3時起きだったので設置作業も早く終わりまして、或る人に会うべく連絡しましたら、快くお話を聴く事が出来ました。
お話を伺ったのは梓山犬血統保存会の今井興雄理事長で、今井家では代々梓山犬を飼っています。
氏は40年の長きに亘って梓山犬を使って猟をしていますので、その辺のお話も聴きたかったのです。

イメージ 1
梓山犬「五郎丸」と私

イメージ 2
渇水状態の上野ダム

イメージ 3
上野ダム(奥神流湖)の案内図


イメージ 4
標高1.000mの峠でもご覧の通り
 
現在私たちが主としてオオカミ探索をしている旧大滝村の、一つ山を越えれば上野村で、大滝・上野・境で猟をしている今井さんにお会いしたかった次第です。
40年の狩猟人生で「オオカミの咆哮・姿・その他生存に繋がる何かを経験した事は?」との問いには否定されましたが、上野村周辺での生存情報には一つ一つ耳を傾け、秩父野犬の写真を見せますと肯くばかりでした。
狩猟法に依って「猟は日の出から日没まで」と決まって居ますので、「日没から日の出まで」の見えない世界を、40年のベテラン猟師は否定出来なかったのです。

イメージ 5
梓山犬血統保存会の今井興雄理事長 

梓山犬を語るには余りに無知である私に変わって、梓山犬血統保存会の掲示板を紹介します。
 
梓山犬は、大正時代の長野県川上村梓山地区で、関斎(せきいつき)氏により作出された信州柴犬系の和犬で、優れた猟の資質と美しい容姿から、「信州柴犬とは区別して保護・奨励すべき」と、当時の内務省より天然記念物に指定された。
当時の猟師は、梓山犬を使用する事がステイタスでもあり、梓山犬は、長野・群馬・などの周辺各地へも譲渡された。

イメージ 6
今井家の五郎丸(左)とポコ
 
昭和初期、日本犬保存会の創設者である故・齋藤弘吉氏が、優秀な柴犬を求めて長野・群馬を歩いた際、群馬県黒川村 ( 現在の上野村 )に居た7歳の牡の梓山犬に一目惚れし、東京に連れ帰って「十石号」と名付けて飼育した上、日本犬保存会の会報の表紙を飾り、一躍有名になった。
その後、黒川村に残した子孫を十石犬と呼び、現在の上野村に定着した。

イメージ 7
三面の狩猟衣装姿で斉藤弘吉氏

イメージ 8
「十石号」
 
一方、川上村の梓山犬は、関斎氏の急死と戦争により壊滅状態となった為、川上村には純粋な梓山犬が居なくなり、戦後、昭和35年に、上野村から十石犬の子犬4頭を譲り受けて保存会を復興した。
その際、村興しの意味もあり、川上犬と改名して保存会を設立した。
従って、現存する極一部の純粋な川上犬は十石犬の子孫であり、祖(大元)は梓山犬である。

イメージ 9
梓山犬血統保存会サイトより
 
しかし、平成2年以降の川上犬は、血統書の乱発や雑種化により、純粋な犬が激減してしまい、平成22年より、川上犬保存研究会(川上犬保存会ではない)・十石犬保存会・純粋な川上犬飼育者の会の相互協力で繁殖を行って来た。
そこで誕生した犬たちは、貴重な和犬でもあり、後世に継承されるべき犬出ある為、平成28年2月に、特定非営利活動法人 梓山犬血統保存会の設立を申請、6月2日に認証・登記された。
この法人は、梓山犬の血統保存は勿論の事、猟犬の特性を活かした有害鳥獣対策犬の育成にも尽力し、農業等の被害地域に譲渡する社会貢献も目的に併せ持つ。】
 
ところで、我が家の愛犬が218日に逝ってからペットロスの状態が続きました。
40年近くイヌを絶やすことなく、生活の中にイヌが居るのが普通の状態でしたから、218日以降は家族が心配する程の落ち込み方でした。
気休めに近所の子猫を引き取り、ペットロスの解消を図ったのですが、何かしっくりこない毎日なのです。
そんな時フト梓山犬の事を思い出し、事務局を務める高橋はるみさんに連絡したらトントン拍子に上手く事が運び、8月末に新しいワンちゃんを迎える手筈になった次第です。

イメージ 10
218日に逝った時の愛犬

イメージ 11
ウサギの格好をした子猫

イメージ 12
高橋はるみさん
 
梓山犬(あずさやまいぬ)は柴犬(しばいぬ)の一種で、茶褐色の体毛が特徴です。
現在、全国におよそ90頭が飼われていて、来月末その中の一頭が我が家の家族になる予定です。
事務局からの配慮の条件として「毎週山に連れて行く」というのが有ります。
一昨年夏、仲間と山に入った際、連れて来た柴犬が山中の臭いを嗅ぎ取りビックリして以来、それは望むところなのです。

イメージ 13
若しかしてこの仔たちの中の一頭が

イメージ 14
この2頭の柴犬が臭いを嗅ぎ取り
 
『平成2年以降の川上犬は、血統書の乱発や雑種化により、純粋な犬が激減してしまい・・・』とされていますが、非常に複雑な問題がからんでいて、これを解いていくと今回のテーマにも繋がります。
次回その謎解きを行います。

タテガミの在るニホンオオカミー3

$
0
0
8年振りに上野村御巣鷹山域へ向かったのは、旧大滝村中津川林道のトンネル工事の為入山出来なかったのが主たる理由ですが、実はもう一つ理由が有ります。
昨年12月に『タテガミの在るニホンオオカミ-1』で記した【3年前の12月初め都合3度目の遭遇となった、色艶、耳介、尾の形状、体型等は秩父野犬そのままだったが、頭は大きく感じ、タテガミ状に毛が並んだイヌ科動物】・・・の現れた場所は長野県佐久市の田口峠周辺でした。
そこに4台のカメラが現在稼働中ですが、狭い範囲での設置でして、カメラメンテナンスに要する時間も1時間弱の為、1日の行程としては物足りなかったのです。

イメージ 1
19955月の田口峠

イメージ 2
この看板は当時のまま・現在は佐久市臼田
 
田口峠から上野村御巣鷹方面への道は、湯の沢トンネルを含め上野ダム建設工事の為整備され、簡単に行く事が出来る様になっています。
そんな訳で7月2日の御巣鷹山域3台設置となったのですが、上野村周辺でのオオカミ情報を今井興雄氏に話す中、田口峠での上記目撃談を交える事となりました。
すると今井氏は、「田口峠の件はオオカミと云うよりフジワラ犬では無いか!?」と言い出したのです。
勿論、フジワラ犬なる犬種は存在しませんが、私は今井氏が云っている事をすぐ理解しました。

イメージ 3
『川上犬保存会』作出の川上犬

イメージ 4
今井興雄氏と梓山犬五郎丸
 
多くの皆さんは理解困難でしょうから、その辺の事を説明しますと、
前号で【平成2年以降の川上犬は、血統書の乱発や雑種化により、純粋な犬が激減してしまい、平成22年より、川上犬保存研究会(『川上犬保存会』ではない)・十石犬保存会・純粋な川上犬飼育者の会の相互協力で繁殖を行って来た。そこで誕生した犬たちは、貴重な和犬でもあり、後世に継承されるべき犬である為、平成28年2月に、特定非営利活動法人梓山犬血統保存会の設立を申請、6月2日に認証・登記された。】・・・に繋がるのです。
つまり平成2年~19年5月までと、21年6月以降の『川上犬保存会』は、本来の梓山犬・十国犬から離れたイヌを作り、それを川上犬として市場に流した・・・と云う事なのです。

イメージ 5
平成223月発行の信濃毎日新聞

イメージ 6
『川上犬保存会』作出の川上犬
 
情報源の高橋はるみさんは現在、「NPO法人梓山犬血統保存会」の専務理事で、私が知り合った20年前は、川上村役場が発信する村のホームページで、川上犬の広報を担当していました。 
その後、平成19年6月~21年5月まで、『川上犬保存会』立て直しの為に、川上犬の生体及び血統書の管理等を行っていました。(『川上犬保存会』の事務局は森林組合内に在る為、神奈川県湯河原の自宅と川上村を往復し、川上犬の保存に力を注いだわけです。)

イメージ 7
長野県の天然記念物・川上犬規格標準書
 
20年程前、彼女は当時の『川上犬保存会』会長より胸毛の深い所謂『川上犬』を託され、飼育し、2007年春には三峯博物館で川上犬の特別展示会を催しています。
そうした中で、川上犬保存研究会のメンバーたちと知り合い、「十石犬保存会」の存在も知り、客観的に『川上犬保存会』の方向性(犬の純粋性)に疑問を持ったのです。

イメージ 8
『川上犬保存会』会長から託された高橋家の犬

イメージ 9
20075月に催された三峯博物館での展示会

イメージ 10
同じく三峯博物館での展示会風

イメージ 11
展示会で写真掲示された川上犬
 
「川上犬保存研究会」・「十石犬保存会」・「純粋な川上犬飼育者の会」等は、【日本犬保存会の創設者齋藤弘吉氏が、優秀な柴犬を求めて長野・群馬を歩いた際、群馬県黒川村 ( 現在の上野村 )に居た7歳の牡の梓山犬に一目惚れし、東京に連れ帰った】「十石号」を規範としています。
『川上犬保存会』が目指す所謂『川上犬』は「十石号」とは全く違い、国の天然記念物として指定されている6種の和犬(北海道犬・秋田犬・柴犬・甲斐犬・紀州犬・四国犬)とかけ離れた姿態になっています。

イメージ 12
齋藤弘吉氏が一目惚れした「十石号」

イメージ 13
「十石号」の流れを受けた五郎丸
 
これは初代川上犬保存会会長が亡くなった平成2年以降の、川上犬保存会会長等が、自らの著書内の文章と整合性を持たせるために、様々な犬種と掛け合わせた結果・・・・・らしいのです。
そうした掛け合わせの中で、「あまりにもタテガミの長い個体は、佐久市の田口峠や塩尻市の高ボッチ周辺に捨てていた」との話があり、実際に、付近でそれらの犬を拾い、飼育した人が何人もいました。
1995年5月に田口峠周辺でオオカミ探しをしていた、私の目に映った「この一帯に犬をすてるな!」の看板に、異様な思いを抱いたのは、ここに繋がったのです。
狩猟犬が飼い主から逸れた場合、通常里に下りて来ますが、猟能に優れたイヌの場合、稀に野生化すると云われています。

イメージ 14
あまりにも胸毛が深いと思われる川上犬

イメージ 15
6種の和犬とかけ離れた姿態・・・
 
4年前田口峠で「タテガミの在るニホンオオカミに遭った」とする体験談は、上記の件のイヌだったのか、さもなければ、狩猟中の『川上犬』だったのか・・・。
遭遇者は3件とも12月としていますから、猟期(11/152/15)としてはピッタリです。
【頭は大きく感じ、タテガミ状に毛が並び、(背)毛は良く見ると短かった。そして何より遭遇者は、オオカミと云うよりライオンだと思った。】と、私に伝えましたが、『川上犬』の或る一部の個体は、写真で見ると判りますがその通りなのです。

イメージ 16
胸毛が異常に深いと思われる川上犬
 
ところで、「田口峠の件はオオカミと云うよりフジワラ犬では無いか!?」と今井氏が云った件ですが、『川上犬』・『川上犬保存会』の詳細を知るには、川上村のHPを検索する事で可能です。
つまり『川上犬』の現在・将来を左右し得る大きな力を、行政の長である村長が持って居て、作出責任者として過去に於いても、自らの理想を叶えていたのです。
そして、村長の姓はフジワラで在るのです。

イメージ 17
上野動物園で戌年に展示された川上犬
 
尚、2017/12/9[ kaz*c*icksu ] さんから【福井城のオオカミはタテガミがありましたよね!】とのコメントが在った件ですが、あれはタテガミでは無く、換毛期ゆえの姿態ですので、お間違いの無いように。

イメージ 18
8月に捕獲された福井城址のニホンオオカミ


命にかかわる様な暑さ

$
0
0
「命にかかわる様な暑さ」が続く中、相変わらずオオカミ三昧の毎日を過ごしています。
工事中だった中津川林道が714日から通れるようになり、溜まりに溜まったカメラメンテナンスをこなしているのです。
山中のカメラメンテナンスは、家を出てから帰るまで123時間必要です。
車の往復で6時間要しますので、山中での行動は67時間と云ったところでしょうか。
 
通常、標高が100m高くなると0.6度気温が下がると云われていて、私たちの作業は1.0001.500mの標高で行われますので、69度平地より低い筈です。
ただ、気象台の発表温度は百葉箱での観測でして、身体が感じる外気温とは違います。
「埼玉地方35度」の発表時、気温計を外に出したら44度を指していましたので、いくら山とは言え、そんな状態の時外で作業をしたら、正しく命にかかわる訳です。
ちなみに、正丸駅前の街路気温計は35度を指していました。
 
そんな訳で、緊急避難の措置として、深夜100に家を出て400過ぎから歩き始めています。
こんな山歩きは、50年前オオカミの咆哮を聴いた苗場山の小屋番依頼です。
歩き始めの30分は眠気がとれず体にきつく感じますが、その後は順調に作業をする事が出来ます。
8時頃になると日差しが強くなりますが、作業の目途が付いていますので、何とか続けることが出来るのです。

イメージ 1
2018720日朝500・入山口の風景

イメージ 2
ご覧通り猛暑の中、沢の水もご覧の通り
 
ところが、或る現場でカメラを開けますと、「No Card!」のメッセージが液晶に出ていました。
この現場は2年前の8月に大雨で林道が崩壊し、仮復旧はされましたが、現在も一般車両の立ち入りが禁止されています。
中津川林道上の看板に付けたカメラですので、ウオッチングしながらの歩行ですと、容易く存在の確認が出来る場所にあります。

イメージ 3
カメラに「No Card!」の文字が
 
カメラメンテナンスの際私がカードをつけ忘れた・・・とは考え難いので、帰宅後ファイルして在る映像を確認して見ますと、2018.1.281242にカメラを開けた、不審な人物が浮かび上がって来ました。
尚も確認を続けていますと、同じ林道上の違う箇所のカメラに、自転車に乗った同一人物が映っていました。
2016.2.12.1325の撮影でしたから、人物の入山目的はある程度目安が付いて、何かの調査と考えられます。
若しかしたら、私たちと同じ目的だったりして・・・と。

イメージ 4
2018.1.28.1242にカメラを開けた不審な人物

イメージ 5
2016.2.12.1325に撮れた映像
 
埼玉県の最深部に、幾度も足を運ぶ・・・それも厳冬期に・・・自転車を使ってまで・・・。
設置したカメラに気付いた人達・作業員・釣り人・登山者の多くは、カメラに張られたステッカー「三峯博物館野生動物調査中」を見て、カメラ設置の意図を汲んでくれています。
当ブログで掲載したー2017.9.21.「山中のカメラメンテナンス」―以外の人物は。
 
炎天下の中とても嫌な作業でしたが、カードを抜かれたカメラを監視する為だけに、もう一台カメラを設置し、様子を見る事としました。
車両通行止めとなっていた2年間、動物達は安心しきって、とても素晴らしい映像を残してくれる現場だったのです。

イメージ 6
左奥カメラを監視する為、樹に設置したカメラ

イメージ 7
奥秩父では林道上でキツネを撮る事は稀

イメージ 8
林道上を散歩する身籠ったカモシカ
 
そんな作業が続いている或る日、ブログの閲覧数が異様に上がった日が有りました。
オオカミ関連のTV放送が有ったり、新聞・雑誌を始めとするマスコミ報道が有ったりすると閲覧数が上がりますので、何が原因か気になってはいました。
しかし、作業の多忙さにかまけ、そのままにしていたのですが、知人が教えてくれた「朝日新聞DIGITAL710日欄を見てこの事かと思った次第です。
 
記事は『奈良)ニホンオオカミ?頭骨を公開 岸田日出男が残す』の通り、日本狼物語を記した岸田日出男氏が所有していた頭骨に関する物でした。

イメージ 9
明治期に上北山村西原で捕獲された頭骨
 
【奈良県上北山村で捕獲されたニホンオオカミのものとみられる頭骨が9日、大淀町桧垣本の町文化会館で開かれている企画展「吉野学への誘(いざな)い」で公開された。
100年近く前の吉野熊野地方の映像フィルムを残していた同町の林業技師、岸田日出男(1890~1959)の寄贈資料の一つ。
地元公開は初めてという。
町教委によると、頭骨は明治期に上北山村西原で捕獲されたものとみられ、岸田は1936(昭和11)年に住民から譲り受けた。
褐色で長さ約21センチ。
複数の研究者が形状などからニホンオオカミの可能性が高いと鑑定した。
岸田はニホンオオカミの記憶を吉野各地の住民から聞き取り、記録は死後に「日本狼(おおかみ)物語」にまとめられた。
企画展では、ノート、スケッチなどの資料約30点も展示されている。
ニホンオオカミは05(明治38)年、東吉野村で捕獲されたのを最後に絶滅したとされ、その標本は英国の博物館にある。
町教委の松田度(わたる)学芸員はこの頭骨について「吉野に残された唯一のニホンオオカミの手がかり」と話している。
企画展は8月6日まで(火曜休館)。22、28の両日午後1時半からトーク&交流会「今、岸田日出男を語る」がある。無料。
問い合わせは同館(0747・54・2110)。(福田純也)】

イメージ 10
大淀町桧垣本の町文化会館

イメージ 11
岸田日出男氏の胸像
 
以上が記事の全文ですが、非常に興味ある内容でしたので、作業の手を停め学芸員の松田氏まで電話をしました。
というのは、13年前岸田家の頭骨調査に赴き、その後『日本狼物語』復刻版に漕ぎ着けたのですが、その際当主の文男氏から、「頭骨はアメリカのスミソニアン博物館か、大英自然史博物館に寄贈する」旨の話が有って、既に国内には頭骨が無い・・・と思っていたからでした。

イメージ 12
『日本狼物語』の原本

イメージ 13
『日本狼物語』復刻版

御承知かも知れませんが、スミソニアン博物館も大英自然史博物館も、世界最大級の標本所蔵数を誇り、岸田家から頭骨を贈られても、埋没してしまうのでは・・・と懸念していたのです。
担当の松田学芸員と濃密な話を長時間致し、後日私は、下記の様なメールを送っています。
 
【岸田頭骨の所要部分、添付ファイルで送付いたします。
  1. 私の行った頭骨計測値です。
  2. 写真黒丸内が湾入部で、黄色内が神経孔・神経孔が左右44・湾入部がマイナスの状態となっており、ニホンオオカミとしての特徴です。
  3. 写真赤丸内の黒く(濃い紫)なっている部分が、この個体の死因と関係あるのでは・・・と私案している箇所です。
    国内外に遺されている多くの頭骨を調査した中で、こうした状況の標本はこれだけですし、「日本狼物語」内の記述と照らして、謎の解明に繋がるのではと考えている次第です。
  4. 神経孔の詳細写真も添付します。
  5. 私のHPCanishodophilax Museum」内 CANISNo12 「奈良県上北山村西原、天ヶ瀬にて捕獲されたニホンオオカミの上顎骨」に『所見』として、
    「標本の外面的特徴、側頭窩の神経孔の数、骨口蓋後縁中央部の湾入が顕著である点等、ニホンオオカミ頭骨の多くに見られる特徴を有している。
    尚、平成元年五月二十一日に元京都大学理学部動物学教室 田隅 本生 助教授も当標本の調査の為岸田家を訪問し、ニホンオオカミCanis hodophilax Temminck1839の上顎部である事の鑑定をされている。」と記されていますので、岸田家から寄贈された書類の中に、田隅本生先生の鑑定書が在ると思います。】
イメージ 14
頭骨計測値・基底全長213mm

イメージ 15
頭骨計測値・頭骨全長222mm

イメージ 16
赤丸内の黒くなっている部分を注視している

イメージ 17
神経孔の詳細写真
 
その際電話の中で、「日本狼物語」の記述内容を指摘されました。
15年前、岸田家の当主は文男氏、そして奥さんの名を節子氏と記していますが、奥さんは和子氏との事でした。
この場を借りてお詫びと訂正をさせて戴きます。

若しかしたら・・・

$
0
0
台風来襲の前日27日(金)、カメラメンテナンスに行って来ました。
数日前より寝苦しい夜から解放されていますので、寝坊してしまい3時出発でした。
5時過ぎに中津川集落を通過した際、沢沿いの冷気で寒さを感じ暖房を付けましたが、路上の温度計は20度を指していました。
自宅から110kmが今日の降車地点ですが、林道上は相変わらず鋭角な大小の岩が転がっていて、ヒヤヒヤしながらの運転です。
後部座席にはそれ対策にスコップを積んでいるのですが、急いでいたので無理をして先を目指しましたら・・・・・案の定。
1ヶ月前に履き替えた新しいタイヤが1本、オジャンになってしまいました。
走路面に穴が開くのではなく、側面が切れるのです。
毎年23本はこんな感じですが、朝1番で・・・と云うのは珍しいケースです。
カメラメンテナンスが終わってから交換するか、交換してから山に向かうか考えましたが、嫌な事は先にやる考え方を取りました。

イメージ 1
新しいタイヤが1本、オジャンに

イメージ 2
後部座席に積んであるスコップ
 
歩き始めて少しでしたが、山中で聴きなれない鳴き声を耳にしました。
若しかしたら、オオカミの咆哮に似ている・・・とも思ったのですが、獣ではなく鳥の鳴き声の様です。
そのうちに、登りの辛さですっかり忘れてしまったのですが、正解を後で知る事となりました。

イメージ 3
辛い登りの山道でこんな拾い物を
 
30分位余計な時間を使いましたので、普段使わない短縮ルートを通ったのですが、ご覧の通り、ここは落ちれば終わりの山道です。
翌日の台風が山中でどんな影響を及ぼすか判りませんので、尻の穴がキューンとする中、60分を惜しみ往復した次第です。
車にはスペアータイヤを1本しか積んでいませんから、帰りは中津川集落まで慎重の上にも慎重に走ったのですが、年金生活者にタイヤ代が重くのしかかりました。

イメージ 4
出来るなら通りたくない崖上の道
 
帰宅後パソコンを開けますと、会員の皆さんからオオカミ情報が届いて居ました。
【7月23日10:47分です。
広河原逆川林道を秩父市内より浦山ダムを越え、上流に向かって車を走らせ、犬の散歩のために渓流に降りていったところ、川沿いの砂地で獅子丸が盛んに臭いを嗅いでいるので見てみると、鹿の足跡と犬科動物と思われる足跡がありました。
いずれも1ヶ月以内についたものと思われます。
念のため、写真をお送りします。
添付写真に載っている足跡横の小枝の長さは12.3cm、足跡の長さは縦9cmです。】

イメージ 5
画面上で1個だけ足跡が

イメージ 6
足跡を拡大すると、若しかして・・・
 
情報を寄せてくれたのは世田谷区在住の横山さんで、時々この欄にも登場する会員さんです。
広河原逆川林道線は秩父野犬との遭遇箇所ですし、周辺はオオカミ情報の宝庫でもあります。
『平岩米吉著「狼」その生態と歴史』に依ればイヌの足跡より狼は細長い・・・とされていまして、足跡の長さは縦9cmと云う事で,若しかしたら・・・と、心躍らせる足跡です。
ただ、残念ながら1個だけの足跡ですので、全体の流れを掴み切れません。
そんな事で、これからの調査を待った方がより正確な答えが出て来るのかと思っています。
因みに、周辺で撮れたとする雪上の足跡の写真が20数年前に届いて居ましたので、一緒に提示しておきます。

イメージ 7
ここから河原に降りたら足跡が

イメージ 8
平岩米吉著「狼」その生態と歴史より

イメージ 9
雪上の細長いイヌ科動物の足跡

イメージ 10
横山夫妻とイヌ達(奥が獅子丸)
 
昨年727日に掲載した「2017年盛夏・三峯神社の境内にて」でお知らせしたオオカミ体験者の田ノ上さん。
田ノ上さんからもこんなお便りが届いて居ました。
【昨年情報提供させていただいた福岡の田ノ上です。
私は4年前、早期ですがガンを患い、健康不安を抱えているので、昨年から、非常に力が強いという三峯神社に参拝しています。
今年も昨日(7/17)より滞在していて、今朝昨年と同時刻早朝散歩をしていたところ、日本武尊像の辺りでアオ、アーオ、オーーという声が聞こえてきました。
小躍りしてカメラに収録したのですが、昨年と少し違うようなので確認したところ、アオバトのようでぬか喜びに終わり大変残念でした。
昨年はワーオーーンとはっきり伸びる声でオオカミに間違いなかったと思うのですが、本当に運が良かったと思います。
アオバトはこの山一帯にも生息しているんですね。紛らわしいです()
しかし、ニホンオオカミは必ずいると確信しています。
また来年来ますが、期待は持ち続けます。】

イメージ 13
オカミ体験者の田ノ上浩一さん

イメージ 11
三峯神社日本武尊像

イメージ 12
この鳥がアオバト
 
そして先日、こんなメールも届きました。
【先般ご報告いたしました、アオバトの鳴き声のYouTubeへのUPが完了しましたのでお知らせします。
私のユーザー名はkout2013ですので、そのチャンネルで視ていただくか、「三峯神社境内アオバトの声1」もしくは「アオバト鳴き声三峯神社境内」で検索していただければご覧になれると思います。
ブログも拝見させていただきましたが、暑い中の入山、本当にお疲れさまでございます。
声はすれども姿は見せず、ニホンオオカミは正解をにこういう動物だと思います。
私もかつてイヌ科動物の目撃情報のあった近隣の上陽町やその奥の星野村の山によくドライブしますが、車を停めて耳を澄ましても聴こえるのは鳥やセミの声ばかり、猪や鹿すら見たことはありません。職場にその辺りから来る人が複数おり、山の中でイヌのような動物を見たことがあるか、見たという人はいないか、あるいは遠吠えのような声を聞いたことはないか尋ねたことがありますが何れもないとのことでまあ、そううまい情報は滅多にあるもんじゃないなと思っている次第です。
とはいうものの、地道な活動は必ず何らかの成果を産むと思います。
八木様、どうかお体に気をつけて活動をお続け下さい。
毎週のブログも楽しみにしております。】
 
YouTubeUPされた田ノ上さんの動画を見ましたら、27日に山中で聴いた声は正しくアオバトの鳴き声でした。
皆さんも一度、アオバトの鳴き声をチェックされた方が良いかも知れませんね。

酷暑の中の野生動物

$
0
0
7月中旬、中津川林道の通行解除がなされてからの1ヶ月間、都合7箇所のカメラメンテナンスを行いましたが、全て早朝からの入山となりました。
勿論暑さ対策が主たる目的なのですが、深夜の林道走行・早朝入山は野生動物との遭遇機会ともなっています。
そして彼らが、生きる事に必死であるのを知らされる事にも繋がるのです。

イメージ 12
玄関前で気温を計測すると・・・

イメージ 1
肉食動物の食痕

イメージ 2
肉食動物の食痕
 
沢筋でのメンテナンスは一服の清涼感を得るものでも有りますが、尾根筋の作業は時間にも依りますが、かなり厳しい感じになります。
生産に全く繋がらない厳しい山歩きを、誰に頼まれた訳でもないのに長年続けるのは、時にはとてもしんどいのですが、もうすぐ大願成就が・・・と思うと自然に足が山に向かいます。
 
むかーし・・・満足に食べれなかった子供の頃、「人間は食べる為に生きるのか、生きる為に食べるのか・・・」そんな事を真剣に考えたものでした。
人間に限らずこの世の全ての動物達は「生きる為に食べる」のですが、野生動物達は、行動の殆ど全てを食べる為に費やしています。
生殖活動の或る時期を除いて・・・ですが。

イメージ 3
餌をめぐって狐と狸の争うショット

イメージ 4
餌をめぐって樹の上に追いやられた狸
 
山から持ち帰ったSDカードの分析をしていたある日、沢の中で水に浸かりながら動かない鹿の集団が目に留まりました。
当該のカメラに温度表示の機能が無いので、近くのカメラで温度を確認すると2526Cを示していました。
83AM7:00、標高1.200mの森林中に設置したカメラが示した温度です。
鹿がカメラの前に現れたのがAM5:30、集団が去ったのがAm7:12ですから100分もの間、沢の水で体を冷やしていたのです。
この現場での定点観測は5年となりますが、初めての事でした。

イメージ 5
カメラは83AM531分を表示

イメージ 13
最後の鹿が離れるのが712
 
20年ほど昔、秩父山中の猟師からオオカミ情報を聴き歩いていた時、鹿狩りの話を聞いた事が有ります。
尾根筋でイヌを放して鹿を追い落す猟ですが、追われた鹿は沢に入って熱くなった身体を冷やすので、そこで待っている・・・。
多分、そんな状況に似た景色だったのだと思いますが、とすると、私たち人間が感じる以上に野生動物も厳しい暑さなのでしょう。
 
鹿がそんな様子でしたからクマは一体どんな感じかな・・・と、SDカードを端折って見ますと、鹿が熱けりゃクマとて同じ。
水浴びをしているクマの姿がバッチリ撮れていました。
鹿は脚だけ冷やした状態ですが、クマは全身浴で見事な姿態を曝け出していました。
私たちは広大な奥秩父山中の極々一部で観察を続けている訳ですが、野生動物達は深山のいたる所で、同様な暑さ除けをしているのでしょう。

イメージ 7
全身浴で見事な姿態を曝け出したクマ
 
処で今回の現場で、クマに依るカメラ破損がマタマタ発生しました。
この2年間で5台目の破損です。
最初は「クマの領域にカメラを設置しているのだから・・・」と寛大な気持ちで居ました。
寒暖・風雨に依るカメラ破損なら想定内ですが、クマに依る破損・・・それも5台目ともなると気持ちが消沈します。
地権者の許可を得てカメラ設置をしているのですが、良く考えると、クマを始めとする野生動物が本来の地権者の筈ですから、思い切ってこの現場を諦める事にしました。

イメージ 6
カメラの取り付け金具だけ残して

イメージ 8
右端・樹で背中をこするクマがカメラを
 
遅れに遅れている山根一眞さんのオオカミ本出版の件ですが、先日1年振りに連絡いたしました。

イメージ 9
大英自然史博の標本を前に山根さん
 
【電話、大変ありがとうございました。
ニホンオオカミの情報、新しい発見が続いているのはニホンオオカミに対する関心が相変わらず大きいことを物語っていますね。
最新情報も続々のようで、今月末にでもお訪ねさせていただきたいと思っております。
あらためてご連絡をいたします。
 
オオカミ本の執筆、遅れてしまっていて身の縮む思いです。

イメージ 10
山根一眞・動物事件簿を製本した人も・・・
 
周囲からも厳しく言われておりますが、年縞博物館やら福井国体やらえらい日々に入ってしまいましたが、この夏に何とか進めなくてはと思っております。
ちなみに、福井県年縞博物館の隣は若狭町立縄文博物館ですが、ここは日本最大級と言われる近くの鳥浜貝塚から出土した縄文遺物が並んでいます。
オオカミとイヌの頭骨も出土しており、数年前にオオカミ展をしていたそうです。
その頭骨は別の博物館にありますが、いろいろと縁があるものですね。
(中略)
梓山犬を飼うことになったなんて、羨ましいかぎりです。
次回お伺いした時に、会いたいです。】
 
かいつまんで説明しますと、≪予定は未定にして決定に非ず≫の諺通り、福井県年縞博物館の立ち上げに関わったり、福井国体開催の重要な役割を負っていて、執筆がはかどらない…と云う事らしいのです。
公の行事を優先するべきですし、急いで不味い内容になるより納得できるものを作らないと・・・とも思います。
近々お会いして打ち合わせをする様になっていますので、改めてお知らせします。

イメージ 11
山根さんが特別館長を務める年縞博物館

岩手県博の頭骨2点-1

$
0
0
このブログでの発信も、もう直ぐ400回に達しようとしていますが、ひとえに訪問者の皆様のおかげと感謝する次第です。
私からの発信は兎も角、皆さまからの情報により新しい発見に繋がり、それが順に順にと輪が広がり、現在に至っているのです。
未だ未だ埋もれた情報の掘り起こしが続き、未知への世界が開かれ、ニホンオオカミの真実に迫れるのではと、オオカミ三昧の日々を送っている私です。
 
昨年12/26に記した「ドタキャン話―2」の書き込みに「van*g*nwoodさん」から「東北地方にニホンオオカミの頭骨の存在が明らかになった・・・」とアクセス先を提示されました。
【東北地方産とされている標本は青森県産3例、山形・福島・県産が各1例、合計5例が記録されているに過ぎず・・・】に対しての情報提供でした。
アクセス先を開くと「胆江日日新聞」の2017.12.16の記事で、私の知識外の標本でした。

イメージ 1

van*g*nwoodさん」からの情報

イメージ 2
新しく確認されたニホンオオカミの頭骨
 
新聞記事の概要は『獣医師が奥州市江刺区の農家に家畜診療で訪れた際、馬小屋に在った頭骨2点を見つけ譲り受けたのは20年前の事。
獣医師の次男が2013年に畜産大学へ入学したので、同大学の教授に頭骨2点の鑑定依頼をした所、ニホンオオカミとイヌの頭骨である事が解かった。
最初の所有者は「先祖が、三人を食い殺したオオカミを退治し、魔除けとして玄関に祭ったと伝えられていた。研究になればとお渡ししたが、ニホンオオカミと解かり、言い伝えが本当だった。」と感心しきりだった。』と云うもの。
そしてこの頭骨2点は、121日まで寄託先の岩手県博で特別展示されている・・・と云う事でした。

イメージ 3
左ニホンオオカミ・右イヌ

イメージ 4
頭骨の右側面

イメージ 5
頭骨の左側面
 
間髪入れず所有者に連絡をし、岩手県博に保管されている頭骨の調査許可を得、以前、二戸市黒澤家の毛皮等を通してやり取りが有る岩手県博の担当官には、調査の日程が決まる間際に連絡・・・と、しました。
ただ、多忙の中でしたので、調査が実現したのは半年後、79日になってしまいました。
当初、経費の点で車利用―埼玉から岩手への日帰り・・・と考えていたのですが、最低10時間の移動時間と考えた時思う様な調査が出来るのだろうかと疑問を抱き、結局新幹線・レンタカーを使って、調査を充分にやろうと考えた次第です。
会の若い世代への橋渡しに好都合でしたから3名での調査を予定していましたが、最終的には研究仲間の森田正純さんも参加し都合4名の大所帯(?)になりました。

イメージ 6
会員として一番若い染矢さん・

イメージ 8
二戸市黒澤家所蔵イヌ科動物毛皮

イメージ 7
キャプションにはニホンオオカミ・・・と
 
世界中に散在する多くの標本を調査して来た私ですが、今回の岩手県博の標本について特に興味を抱いた点が一つ有りました。
それは、【馬小屋に在った頭骨2点の内1点がオオカミ、1点がイヌであった】という点です。
 
山根一眞さんがシンラの「動物事件簿・17回」上で「オオカミはいた。そして、ヤマイヌも。」と記した様に、私も「オオカミ・ヤマイヌは同一の動物が地方に依って呼び名が違う」のではなく、「違う動物を同一の動物の如く考えている」と考えています。
遡って見ると、長崎県出島でシーボルトが飼育していた「オオカミ」と「ヤマイヌ」を命名者のテミンクが安易に≪Canis hodophilax≫として発表した事から始まるのですが、これらの経緯は「動物事件簿」で詳しく取り上げています。
オランダ・ライデンの国立民族学博物館で哺乳類担当だったスミンク博士も同じ立場でしたが、山根さんを始めとする「動物事件簿」のスタッフはオランダまで足を伸ばして調査し理論構築をしていますので、若しかしたらスミンク博士の影響が有ったのかも知れません。
そうした意味も含め、山根さんの出版を待ち望んでいるのです。

イメージ 9
動物事件簿・17回での山根さん

イメージ 10
切手になったシーボルト

イメージ 11
シーボルトの助手が描いたオオカミ

イメージ 12
助手のド・ヴィルヌーブが描いたヤマイヌ

イメージ 13
出島で飼育していたオオカミとヤマイヌの頭骨

イメージ 14
哺乳類担当だったスミンク博士
 
【馬小屋に在った頭骨2点の内1点がオオカミ、1点がイヌであった】・・・と云う事の解明が出来たら、若しかして・・・そんな期待からの岩手県訪問でした。
 
当日は、最寄りの駅まで菊地獣医師のお迎えを受け、最初の所有者管野家まで足を運ぶ事となりました。
丘の中腹に建つ管野家は、畜産農家から離れる事十数年ですが、岩手の伝統的な「南部曲り屋」の面影を残す佇まいで、立派な蔵の中まで見せて戴きました。
以前、2つの頭骨は玄関口に大きな魚の尾(種類不明)と共に飾っていたそうですが、改築の際馬小屋に移したのが、菊地獣医の目に留まり・・・と云う事です。

イメージ 15
管野家の曲り屋風住居

イメージ 16
蔵を背に記念撮影
菊地獣医師・管野ご夫妻・私・森田氏

イメージ 18
玄関に今も飾られている魚の尾

イメージ 17
管野家に飾られてある新聞記事
 
管野家のご当主正嗣(まさつぐ)氏は現在71歳で、祖母から2つの頭骨について、「先祖が、三人を食い殺したオオカミを退治」としか聞かされて居らなかったそうで、私の一番知りたかった「三人を食い殺したオオカミ中の2頭」で有るかどうかの詳細は得られませんでした。
つまり、「集団で行動した(と思われる)動物達の中に、オオカミとイヌが混在していた・・・」か、どうか、と云う事なのですが、今回の調査では「あくまで私の推論」で終わってしまいました。

イメージ 19
管野家の裏山風景

堂の奥で捕獲されたが明治の昔、林だった


イメージ 20
管野家の蔵の入り口
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
情報を戴いた「van*g*nwoodさん」誠にありがとうございました。
お陰様で大変立派な調査をすることが出来ました。
この場を借りて心から御礼申し上げます。
尚、次回は県博の調査内容と岩手県内での興味あるお話です。
どうぞご期待ください。

岩手県博の頭骨2点-2

$
0
0
私の手元に一冊の本が有ります。
中公新書発刊で、前上野動物園園長だった小宮輝之氏の著書「物語 上野動物園の歴史」です。
その中の一節「ニホンオオカミの収集」に、「1879年(明治12年)には岩手県でニホンオオカミの子六頭を捕獲し、博物局に送られてくる手筈になっていたことが、内務省博物局長町田久成あての五月の文書に残されている。これによれば、岩手県ではオオカミを牧畜業の害獣として1875年より数百千頭を捕殺したが、いまだ生け捕りすることは稀であった。」とあります。

イメージ 1
小宮輝之氏の著書「物語 上野動物園の歴史」
 
私は小宮氏の書物を読んで、二戸市黒澤家の毛皮を通してやり取りを行った事のある、岩手県立博物館 藤井学芸第三課長にメールを送信しました。
黒澤家の毛皮がニホンオオカミで有るかどうかより、1875年より数百千頭を捕殺したとされるオオカミの遺骸発掘調査の方が、県立博物館としてより重要だと思われたからです。
これに対して藤井課長はこんな返答をして来ました。
 
【八木様 メール、ありがとうございました。(中略)骨発掘の件は何とかしたいと考えております。しかし、これも関係者や周辺住民との関わりがありますので、住民感情を逆撫でしないような配慮が必要です。寄託されている黒沢家の毛皮ですが、くん蒸処理などが行われ、現在では遺伝子解析不可能な状態になっているものと思われます。さらに根拠となる資料は全く残っておらず、これに真偽を問われると厳しいところです。地元博物館の学芸員としては、可能な限り保存状態を良好な状態で維持し、後世に継承する責務がありますが、今後、これをどのような形で収束させるか?です。これまで何度も、専門家や研究者がこぞって黒沢家の毛皮について議論をしてきたものの、進展がない!ことから、私自身も思案しているところです。当方は、寄託されている以上、この毛皮がどちらであっても、しっかりと維持・管理する予定でおります。何かアドバイス等がありましたら、ご教示ください。】

イメージ 2
藤井課長と四方山話中の私

イメージ 4
2つの頭骨を前に森田氏と私
 
こうしたプロジェクトは大変な困難を伴いますので、費用の面はさて置き、担当官の「どうしてもやり遂げる」的な強い意志が必要で、私がその立場でしたら何はさておき・・・と考える処です。
実際、25年前秩父の民家で毛皮を発見した際、「何時、何処で、誰が獲った」の確定をすべく、毎週秩父に通い聞き取り調査をしました。
勿論手弁当で・・・です。
が、藤井課長は有名な「クマゲラ」研究家で、NPO法人「本州産クマゲラ研究会」の理事長を務めていて、お門違いの分野でもあります。
クマゲラ調査をやっているのに、遺骸発掘の予備調査まで手弁当で・・・と云う訳に行かないのは充分理解できます。
ただ、黒澤家毛皮の収集地とオオカミ捕殺地点が、同じ二戸市蛇沼牧場周辺らしいと解かり、少なからず期待を抱いていたのです。

イメージ 3
本州で2ヶ所しか繁殖確認されていないクマゲラ

イメージ 5
黒澤家は明治時代毛皮商を営んでいた
 
これらのやり取りをしたのは、東北大震災前の201010月でした。
その後私の周辺も忙しくなり、発掘調査が為されれば大きな話題になる筈だし・・・と思いつつ8年の歳月が流れていましたので、藤井課長に会うのが大きな楽しみでも有りました。
 
当日は13時に博物館で調査予定でしたが、日本一広い岩手県下の移動を甘く見て、少々遅刻してしまいました。
オオカミ・イヌの頭骨を観察し概略は掴めましたので、計測・写真撮影等の調査は森田さんと若い二人に任せ、藤井課長との思い出話に花が咲きました。
遺骸発掘に関しては地元の協力無しでは進まないと云う事で、つまるところは停滞している様子でした。

イメージ 6
オオカミ頭骨を計測中の森田氏
 
オオカミの頭骨は後頭部が破損していて、正確な値を測定できないのですが、計測可能だった数値等から推測すると、ニホンオオカミとして記録された標本の範囲内です。
そして、ニホンオオカミの特徴として知られる湾入もマイナス状、神経孔も左右4穴ですので、外部形態からもハッキリそれと知ることが出来ました。
イヌの頭骨をオオカミと並べてみると想像以上に大きく感じられ、実際の計測値も概算で約10mm小さい値の様でした。
全体から見れば、イヌも大きさ的にはオオカミと遜色がなかっただろうと想像できます。
つまり、この頭骨の主がオオカミの集団の中に存在する事は、肉体的には可能だった・・・と私は推測しました。
管野家の先祖からの言い伝えが不明ですので、残念ながら、あくまで私の推測なのですが。
二戸市蛇沼牧場周辺での遺骸発掘調査が為された時、私の推測が陽の目を見る事になるのかも知れません。

イメージ 7
オオカミ頭骨の上面と湾入が確認できる裏面

イメージ 9
神経孔が4孔確認できる

イメージ 8
イヌ頭骨の左右側面

イメージ 10
イヌ頭骨の上面と裏面

イメージ 11
オオカミ・イヌ頭骨(右)を正面から

イメージ 12
オオカミ・イヌ頭骨(右)を上面から
 
長時間の調査が終わってから藤井課長の御厚意を得て、博物館の中を案内戴きました。
通常展示のコーナーにクマゲラを展示しているだろう事は予想していましたが、標本倉庫を覘いて私は吃驚しました。
アルビノ化したツキノワグマの親子、そしてイイズナ。
白いツキノワグマの剥製は、半世紀前新潟県長岡市の博物館で一度見た事が有りましたが、最近捕獲された2頭の剥製が眼の前に有る訳です。
山中に設置されているトレイルカメラに、同類のオコジョが映ることが稀にありますが、剥製と云えどもイイズナを見るのは生まれて初めてです。
ニホンオオカミの頭骨調査に来たのも忘れ、2頭の白いクマとイイズナに見とれている私でした。

イメージ 13
常設展示場

イメージ 14
標本倉庫の様子

イメージ 15
初めてお目にかかったイイズナ
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8/26の夜から、牡の梓山犬が家族になりました。
6/29が誕生日ですので、未だ2ヶ月に足りない状態。
翌日早朝から私の散歩に連れ出しましたが、代々山育ちの血統でして、疲れる事を知らない様子。
1週間を経た現在では、私の下を行ったり来たりして倍以上歩く感じです。
最初の散歩の際気付いたのですが、空に羽ばたく様なジャンプ力を持っています。
娘の命名で「蒼穹」(そら)に決めました。
若しかしたら、来月には山に連れていける・・・そんな強靭さで、ヒョットしたら大願成就も為されるのではと、親バカチャンリンの今日この頃です。

イメージ 16
家族になった梓山犬「蒼穹」

寄せられた情報から

$
0
0
毎日の様に、多方面から様々なメールが届きます。
パソコンと縁が無かった頃、得られる情報の全ては足で稼いでいましたので、現在の情報収集は夢の様とも云えます。
そうした中、こんなメールが3枚の写真と共に届きましたので、先ずはご覧下さい。
 
A-【初めまして、富山県富山市在住の松元と申します。
先日撮影した動物の死骸が、もしかしたらニホンオオカミなんじゃないかという疑問から、こちらの「ニホンオオカミを探す会」さんに辿り着きました。
撮影した写真を添付させて頂きます。
車に轢かれたのか、目が飛び出しています。
 
お見苦しい写真で大変申し訳ありませんが、敢えて加工はしていません。
95()に富山県xx市の市道を車で通過中に動物の死骸を見掛けました。
初めは皮膚の色や毛の感じから猪(土地柄出ても珍しくはないもので…)かと思ったのですが、姿は猪ではありませんでした。
野犬か?でも犬ともまた違うような…。
ひとまず写真を撮影してその場を後にし、用を足して再度戻った時には既に死骸は無くなっていました。
この動物はなんだろう?形から犬だとは思うけれど…モヤモヤしながらネットで調べるとニホンオオカミに行き着きました。
「ニホンオオカミ」で検索すると出てくる子達とは毛色や毛質が違うと思いましたが、更に調べると出てきた「高知県大月町で捕獲された仔オオカミ」(添付写真あり)にとても似ていると感じました。

イメージ 1
秩父の民家に保存されていた毛皮

イメージ 2
富山県から届いた動物の死骸

イメージ 3
高知県大月町で捕獲された動物
 
正直、こちらの写真だけでは細部まで写っていませんし、ご覧頂いても判別はつかないのかもしれません。
「こりゃ犬ですね!」で終わるかもしれませんし、それならそれでスッキリします。
不躾なご連絡で大変申し訳ありませんが、お時間の許す時にでも見て頂ければ幸いです。
よろしくお願い致します。 松元xx】
 
Q-【松元 さま
ご連絡頂き有り難うございます。
写真拝見致しました。
 
分かり易く説明するため、送付頂いた写真とニホンオオカミ標本との、それぞれの部分を切り取りまして比較します。
写真Aはニホンオオカミの前肢です。ご覧の様に黒い斑―黒斑と云いますーが有ります。
写真Bはニホンオオカミの尾です。―尾端に房を得ずーとされる形状です。
写真Cはニホンオオカミの上下犬歯です。
写真Dはイヌの上下犬歯です。
写真Eがお送りいただいた動物の上下犬歯の拡大です。

イメージ 4
写真A/ニホンオオカミの前肢

イメージ 5
写真B/ニホンオオカミの尾

イメージ 6
写真C/ニホンオオカミの上下犬歯

イメージ 7
写真D/イヌの上下犬歯

イメージ 8
写真E/死骸動物の上下犬歯
 
ニホンオオカミの「黒斑」も「尾端に房を得ず」も、外部形態の一部の特徴ですが、半別の為の大きな観点です。
送付戴いた写真にはその判別点が見られない様に思います。

イメージ 9
ベルリン博物館蔵の毛皮

イメージ 10
科学博物館蔵の剥製
 
歯での識別は犬歯より裂肉歯(奥の方の歯)の方が重要ですが、送付写真では識別不能ですので犬歯での判別としました。
送付写真の動物の犬歯は、ニホンオオカミの頑丈な犬歯とは大きな違いが見受けられます。

イメージ 11
ニホンオオカミの裂肉歯
 
その他、体高・体長等も識別の際重要ですが、今回の場合写真1/2/3の点だけで、ニホンオオカミでは無いと云えます。
写真のプロフィールから考えると、残念ながらイヌだと思われます。

イメージ 12
ニホンオオカミの模式標本
 
今回はこうした結果になりましたが、また何か情報が有りましたら宜しくお願い致します。  
尚、この度戴いた情報を、私が運営するブログーニホンオオカミを探す会・井戸端会議―にて使用させて戴きたいと考えて居ります。
勿論、固有名詞の提示は致しませんので、宜しくご理解の程お願い致します。  2018.09.11. 八木 博】
 
A-【お忙しい所、ご丁寧な返信を下さり有り難うございます。
拝見させて頂きました。
犬のようですね…。
主人と二人モヤモヤしておりましたので、お陰様ですっきりしました。
ブログへの使用も承知致しました。
ニホンオオカミの発見・会の発展を心より願っております。
この度は誠に有り難うございました。 2018.09.12. 松元xx】
 
国内外に散在するニホンオオカミの標本ですが、私の知る限り「富山県産」とされるものは確認されていません。
メールを一読し「若しかしたら富山県最初のニホンオオカミが・・・」とも脳裏に浮かびましたが、そう上手く事は運びませんでした。
今回の事例は、情報提供者の適切な扱いで、真贋を判断するべく写真添付も有りましたので、速やかな対応が可能でした。
「見た・聴いた」より、「撮った・録った」情報が一層重要で、1996年の「秩父野犬」撮影が一つの物差しになったのは、皆さんご承知の通りです。
そして現在「秩父野犬」19枚のスチル写真より、動く映像の方がより多くの情報が得られると考え、山中にトレイルカメラを設置している訳です。
「動く映像の中で咆哮を発したならそれで決まり」とも思い、老体に鞭打って山に向かうのです。
 
富山からの情報と前後して、紀伊半島の方からも電話を戴き、その後写真が送付されて来ました。
【未だ、赤ちゃんで、皮膚病を患い、眼も少し腫れているようでした。】の文言からして、疥癬病に罹った「タヌキ」の幼獣を連想しましたが、写真を確認するまで迂闊な事は云えません。
送られて来た数枚の写真を確認後、私は以下の文面を送付致しました。
Q-xx さま
写真の送付有り難うございます。
拡大し一枚一枚吟味致しました。
が、どうも、疥癬病に罹った「タヌキ」の様に見受けられます。
実は、同様の写真が数年前から私の下に何件も届いて居ます。
過去に届いた写真と比較すると、ご納得行くと思います。
数点送付いたしますので御覧下さい。
3枚目は疥癬病にかかり無毛となったイヌの写真です。
今回は期待に沿えない結果となりましたが、今後共宜しくお願い致します。】

イメージ 13
紀伊半島から届いた写真

イメージ 14
過去に届いた写真

イメージ 15
疥癬病にかかり無毛のイヌ
 
疥癬病に罹ったと思われる動物をニホンオオカミでは・・・?とする情報は、20年以上前から私の下に届いて居ます。
それ以前にも、三重県の秘宝館なる場所で「二ホンオオカミ」として展示されていた事もあります。
そもそも、学術的なニホンオオカミの研究は、最後の標本(?)が捕獲された明治38年の四半世紀後から始まっている訳で、謎だらけの状態が続いているのが現状です。
こうした問題を解決する為にも、情報の積み重ねと、生存の確認が必要なのです。

イヌ科動物の足跡を追って

$
0
0
秩父野犬との遭遇からもうすぐ22年経ちます。
あの日は小雨模様でしたので、秩父山中の林道巡りをしていて、何でも良いから野生動物に会えないかな・・・そんな軽い気持ちでの山行きでした。
老い先短い今は、何とかしたい気持ちが一杯で、そうした欲望が彼らに伝わるのでしょうか、中々幸運に恵まれないのが現状です。

イメージ 1
私の前に現れた秩父野犬
 
199610141600
人生の多くの記憶を失ったいまでも、この時の事は良く覚えています。
写真19枚の撮影に成功して「ニホンオオカミ」としての物差しが出来たのですが、それでも、たった一つ心残りの事が有ります。
何かと云うと、小雨の中の撮影でしたから止むを得ないとも言えますが、足跡の撮影が出来なかった事でした。
それが為されていたなら、それ以後寄せられた・・・・・・・・と思われる足跡との比較が容易に出来ていた筈なのです。

イメージ 2
全身骨格を透写しても違和感が無い
 
今泉吉典博士の理論「ニホンオオカミはタイリクオオカミの亜種では無い」の立場で研究を続けている私たちですが、足跡に関してはタイリクオオカミの足跡に準じた思考にならざるを得ません。
国内外にはニホンオオカミの足の剥製が幾つか残されていますが、生体としてその形状が地面に印される訳では無いですから、秩父野犬遭遇時の事を考えるととても残念に思います。

イメージ 3
ニホンオオカミ研究の権威だった今泉博士

イメージ 4
十和田市寺院に在るニホンオオカミ右後肢

イメージ 5
吉行瑞子博士の鑑定書面

イメージ 6
清川村山田家のニホンオオカミ左前肢

イメージ 7
ベルリン博物館のニホンオオカミ右後肢
 
86日の当欄「若しかしたら・・・」でお伝えした秩父山中のイヌ科動物の足跡の件です。
最初の発見は【7月23日10:47分です。
広河原逆川林道を秩父市内より浦山ダムを越え、上流に向かって車を走らせ、犬の散歩のために渓流に降りていったところ、川沿いの砂地で獅子丸が盛んに臭いを嗅いでいるので見てみると、鹿の足跡と犬科動物と思われる足跡がありました。
いずれも1ヶ月以内に付いたものと思われます。
念のため、写真をお送りします。
添付写真に載っている足跡横の小枝の長さは12.3cm、足跡の長さは縦9cmです。】と、記した通りです。
 
この現場の延長線上に秩父野犬の撮影現場が存在しますし、戦後の或る時期まで二ホンオオカミの毛皮が集落の民家に保管されていて、周辺には「狼谷」「狼窪」が古い地図上に記されています。

イメージ 8
赤丸内に狼谷の文字が

イメージ 9
赤丸内に狼窪の文字
 
情報を寄せてくれた世田谷区在住のYさんは、その後度々現場まで足を運び、足跡の追跡調査をされています。
8月15日に続編として【前回とほぼ同じ場所です。縦9センチくらいです。何枚か写真送ります。】のメールが届き、4日後の19日にも【今日の足跡は同じでした】の報告が入りました。
そして翌日の20日にイヌと思われる足跡が在った・・・とも。
イヌは兎も角、行く毎に足跡が確認出来るなら正体を知りたいのが人情・・・と云うより、若しかしたら大願成就が・・・と考えるのが人間です。

イメージ 10
縦長9Cmの足跡

イメージ 11
横長6Cmの足跡

イメージ 12
縦一列に続く足跡
 
山中に70台余りのカメラを設置している私としては、既にオーバーワーク気味ですので、横山さんにカメラ設置を薦めました。
この現場だけでは無しに、一つ向こうの谷筋、そしてそのまた向こうの谷筋、そのまた向こう・・・と順に捜索範囲を広め、「いずれの日か私の後継者」として荒川右岸上流域の谷筋を、隈なく調査する様望んでの事でした。
Yさんは自営業を営み多忙ですので、出来るだけ私がサポートする心積もりではあります。
 
数日後カメラを3台購入したとの連絡が有りまして、827日に足跡現場でカメラの設置をして来ました。
Yさんはその1週間後現場に向かい、カメラの設置状況と足跡の確認をして来たのですが、その熱心さに私は頭が下がりました。
 
9月の声を聞いてから、NHKを始めとする幾つかの媒体から連絡が有りまして、活動内容の紹介を兼ね、19日に定期的なカメラメンテナンスに行って来たのですが、
時間的余裕が生じたのと、827日に設置したカメラの映像確認をしたいが為、寄り道をしました。
以下が3台のカメラの3週間分の主な映像ですが、「20日にイヌと思われる足跡が在った」の報告通り、イヌ(ラブラドールレトリバー)が撮れていました。
が、肝心の細長い足跡を見付ける事は叶わず、今後の調査に期待する形となりました。

イメージ 13
カメラに映ったラブラドールレトリバー

イメージ 14
820日撮影イヌの足跡

イメージ 15
河原を歩く牝鹿

イメージ 16
カメラが撮った鷺
 
NHKの記者さん同行で定期的なカメラメンテナンスに行った処は、昨年928日の遭遇現場でした。
遭遇現場の近くにカメラを設置し、観察を続け1年・・・と、感慨深く足を運んだのですが、写真の通りカメラは有りませんでした。
鋭利な刃物を使い固定バンドを切断するやり方は、2017921日掲載の「山中のカメラメンテナンス」での方法と同じです。
この時は「器物破損」でしたが、今回は「窃盗」です。
設置されたカメラの全てには「三峯博物館・野生動物調査中」のテープが貼られているのです。
秩父近郊在住者で無いことを祈りつつ、犯人にはそれ相応の天罰がある様に・・・と、腹立たしさで眠れない夜を過ごした私です。

イメージ 17
3ヶ月前に設置した新しいカメラ

イメージ 18
ご覧の通り本体は無い

毎日が日曜日

$
0
0
現在私たちは17箇所の現場に、合計75台のカメラを設置して、オオカミの姿を求めています。
毎週1回入山するとしても17週かかる訳で、3ヶ月に1回カメラメンテナンスをやるとすると、2週間で3回山に入らないと間に合わない勘定になります。
世の中の全てが思い通りに行かない事を承知の上で云いますが、つまり、ここのところの天候不順に悩まされているのです。

イメージ 1
多くのカメラの最初はこれ

イメージ 2
色々のカメラを設置してオオカミを
 
923日の朝の晴れ間、遅い時間ー(と云っても700)―でしたが山に向かいました。
日高市の巾着田で彼岸花見物の渋滞に巻き込まれるかも・・・そんな気持ちの中での出発でしたが、案の定、川越市街を抜けると間も無く車が動きません。
無理して巾着田を抜け秩父に入っても、帰りの事を考えると憂鬱になりましたので、思い切って我が家に向けハンドルを切り替えました。
帰ってからカレンダーを見ると23日は3連休の中日。
家に帰って正解でした。

イメージ 3
曼珠沙華・彼岸花
 
Yahooの天気予報ではその後の晴れ間は28日でしたので、知り合いの人にテルテル坊主でのお祈りを頼み、当日は朝4時出発でした。
平日にもかかわらず奥秩父の林道は多くの車が停まっていて、渓流釣りの人たちの竿終いが間近である事が伺い知れました。
近来、稀に見る好天気でしたので、ついつい後回しにしていた長いルートに足を運んだのですが、山道はひどい荒れ様。
9月初めの台風で多くの大木が倒れ、踏み跡状の道が寸断され、の連続で時間と体力を奪います。
何とか1500に車に戻る事が出来たので、着替えをしていたら携帯電話が着信を示していました。

イメージ 4
こうした倒木が至る所に転がって

イメージ 6
こんなのが有りましたが、メガネが無くて・・・

イメージ 5
道なき道の急坂を上に向かって

イメージ 7
こうした開けた場所にカメラを設置

イメージ 8
途中にはこんな鎖場が

イメージ 10
数十年前の指導票も朽ちて
 
程なく電話が掛かって来ましたので送信者名を確認すると、昨年1026日に「有馬ダムに響く咆哮」として掲載した大舘弘寿さんでした。
201612月半ばの2100頃、飯能市名栗の有馬ダムでオオカミの遠吠えを聴いた」方で、「道路脇にオオカミかも知れないイヌ科動物の死体が在る」からと、連絡をくれたのです。
詳細を伺いますと、有馬ダム近くに所用が有り、その帰り道人だかりが有ったので見ると、オオカミらしい動物が死んでいた・・・と云う事でした。
有馬ダムで聴いた咆哮と、眼の前を通り過ぎた動物の亡骸を重ね合わせての、私への連絡に違いありません。
 
場所は飯能市飯能河原近くのバス停の脇で、急いでいたので写真を撮る事はしなかったが、ドライブレコーダーに映っているかも・・・との事でした。
私は旧大滝村に居ましたので、どんなに急いでもそこまで130は掛かってしまいます。
そうした動物の処理を行政は、どちらかと云うと素早くやりますので、多分無理だろうと思いましたが、ダメモトの気持ちで、はやる気持ちを抑えて現場に向かいました。
 
教えられた現場到着は予想通り17:00ジャスト。
徐行運転で注意深くその周辺を探しましたが、時すでに遅し・・・でした。
少しがっかりの気持ちでしたが、自宅までの帰り道、こうした時の用意が全く出来ていない自分に、反省の意味を込め、何をすべきか真剣に考えました。
常日頃「かも知れない」の気持ちで対応している筈なのに、今回の件で思い知らされた感じです。
 
そして得た結論は、使い古した寝袋か2m四方のビニールシートを車に常備して置く”でした。
終戦後の物資不足時、日本の登山家は米軍払い下げの寝袋を背に、山に向かいました。
登山家たちは知らなかった事ですが、そうした寝袋は、戦死した米軍兵を運ぶ際使用した物で、寝袋の会社に勤めていたからこその情報です。
 
翌日、大舘さんから「上尾の近くに用が有るので、ドライブレコーダーの映像を持参する」の連絡を戴きました。
若しかしたら用が有ったのではなく、用を作ったのかも知れませんが、SDカードの分析で亡骸の存在も確認出来ました。
月に1度は通る場所でしたので、周辺の状況も良く把握出来ていて、若しかしたら・・・の気持ちも有ったのですが、拡大に拡大を重ねた亡骸の映像は、「残念ながら不明瞭で・・・。」の一言に尽き、
こうした事例が有ったと云う事を胸に刻むしか有りませんでした。
 
SDカードから読み取れた事ですが、行きに現場を14:41分に通過していて、その時は人間も亡骸も無く、帰りの15:05分に3名が亡骸を前に話し込んでいます。
25分の間に事件が発生している訳で、私が現場に着いた1700には無の状態に戻っていました。
そんな訳で、何とも悩ましい1日になってしまいました。

イメージ 9
9/281441のバス停現場

イメージ 11
同じく1505の現場に亡骸が

イメージ 12
拡大したのだけれど
    
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梓山犬「蒼穹」も、家族になってから1ヶ月を過ぎました。
先日2回目の混合ワクチン接種を終え、体重を測りましたら倍の6.5kgになっていたのですが、躾の仕方が下手で、未だ山には連れて行けそうに有りません。
先に家族となっていたネコの三―ちゃんとの相性も良く無く(悪く)毎日がテンヤワンヤです。
それでも、毎日楽しく過ごしているのです。

イメージ 13
8月末の蒼穹・眉毛が可愛かったけど

イメージ 14
可愛かった眉毛も消えくつろぐ蒼穹

イメージ 15
作業中の私の前でニラメッコ

秋のオオカミイベント

$
0
0
写真家の林道子さんからメールを戴いたのは2015726日でした。
 
【はじめまして。 写真家の 林 道子 と申します。
今朝は、私のブログ記事「ニホンオオカミの面影をたどって…」にコメントを残してくださり、ありがとうございました!
3年前に「見狼記」を拝見してニホンオオカミのことを知って驚き、また八木様の存在も深く心に刻んでいました。
私は昨年暮れの頃より、日本で絶滅してしまったといわれている動物たちのことを、ドキュメンタリーとは違う形でなんとか写真の作品として表し、世の中に伝えて行きたい…と思い、なかでも、ニホンオオカミに強く惹かれて、調べ始めています。】
こんな書き出しで始まり、延々とニホンオオカミへの想いを込めた文面が認めて有りました。

イメージ 1
写真家林 道子さん
 
間も無く私たちのNPOの会員となりましたので、オオカミ探しの合間を見つけ彼女の創作活動のお手伝いを、会員有志達とする事になったのです。
紆余曲折の後、Hodophylax~道を護るもの~」と題する写真集を出版する事となり、手製本では有りますが好評を博して居りました。

イメージ 2
写真集「Hodophylax ~道を護るもの~」

イメージ 3
「道を護るもの~」から、オオカミの遺骸

イメージ 4
「道を護るもの~」から、オオカミを獲った人

イメージ 5
「道を護るもの~」から、遺されたオオカミ
 
そして本年5月半ばに、
414日・15日に、いま京都で開かれているKYOTOGRAPHIE(京都グラフィー)という国際写真祭のプログラムの一つ、ポートフォリオレビューという、国内外の写真の専門家(キュレーターや評論家や編集者など)に向けて作品を売り込める機会に参加しに行ってきました。
そこで、3人の海外の専門家に写真集「Hodophylax」を見ていただいたのですが、おかげさまでかなり好評で2日間のレビューが終わった後、なんとポートフォリオレビューの最優秀賞「FUJIFILMAWARD」というのを受賞することができました!!
この賞は、このポートフォリオレビューのスポンサーである富士フィルム(株)から授与されるもので賞品はFUJIFILMのカメラでしたが、副賞として、この秋、六本木にあるFUJIFILMSQUARE内のギャラリーで展覧会を開催できるということです。
しかも、展覧会用の作品のプリント制作、額装、展示設営に関する費用はすべてサポートしていただけるという、大変ありがたい機会をいただけました。
これも、ひとえに八木さんを始め会員の皆様のご指導・ご協力のおかげです。本当に感謝しています!!!
少なくともこの展示に関してはお金の心配なく制作することができますので…良い展覧会にできるよう、そして一人でも多くの方に、ニホンオオカミについて関心を持っていただけるように励みます。】こんなメールが届いたのです。
以下がその企画展です。
 
イメージ 6
写真集「Hodophylax ~道を護るもの~」
 
【企画展名: KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 SPECIAL EDITIONTOKYOGRAPHIE オープニングプログラム
開催期間: 2018 10 26 日(金)118日(木)会期中無休
      10:0019:00 (最終日は14:00(入場は閉館 10 分前まで)
展示作品:
1. 深瀬 昌久 写真展「総天然色的遊戯」
2. 林 道子 写真展「Hodophylax ~道を護るもの~」
  インターナショナル・ポートフォリオレビュー 2018
  FUJIFILM AWARD 大賞受賞作品
3. 関 健作 写真展「GOKAB HIPHOP に魅了されたブータンの若者たち~」
  インターナショナル・ポートフォリオレビュー 2018
  FUJIFILM AWARD 大賞受賞作品
会  場: FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)
     スペース1、2、ミニギャラリー、ギャラリー X
     〒107-0052 東京都港区赤坂 9 丁目 7 3 号(東京ミッドタウン・ウエスト)
      TEL 03-6271-3350  
     URL http://fujifilmsquare.jp/
入場 料 : 無料
主  催: 富士フイルム株式会社・一般社団法人 KYOTOGRAPHIE
協  力: 深瀬昌久アーカイブス
 
そしてそのキャプションは以下の通りです。
【かつて日本列島に狼が棲んでいました。
そのニホンオオカミは、今からかれこれ100年以上も前に絶滅したといわれています。
それでも、山間部では、咆哮を聴いた、目撃した、という体験談が後を絶たず、今でもニホンオオカミの生存を信じて、熱心に探し続けている方たちもいらっしゃいます。
しかも東京を取り巻くように位置する奥秩父から奥多摩の山域では、古くから狼信仰が盛んで、また体験談も多いと知ったとき、私はとても驚き、惹きつけられ、秩父の山に通うようになりました。
古来、山里に住む人々は、ときに人馬を襲うこともある狼を怖れながらも、超自然の力を持つもの、農作物を食べつくしてしまう鹿や猪を退治してくれるありがたい獣として、山の神の化身やお遣い=ご眷属様(ごけんぞくさま)=と捉え、大切に祀ってきました。
日本各地に残る「送り狼」の民話からは、狼を夜道を魔物から護ってくれるありがたい存在と捉える心と、転んだら飛びかかられ喰われてしまうと震え上がる心の両方が伝わってきます。
古(いにしえ)の日本の人々は、どんなふうに狼とつきあってきたのでしょうか。
この写真展では、獣としての狼の存在と痕跡を奥秩父から奥多摩の山域に探りつつ、山に暮らす人々の間に伝わってきた狼にまつわる民話や伝承を視覚化するように試みました。
謎の多いニホンオオカミについて、そしてこの畏怖と崇拝の対象であった獣と抜き差しならない関係を持ちつつ共存していた古の日本の人々の心に少しでも想いを馳せていただける縁(よすが)となれば幸いです。】

イメージ 7
「道を護るもの~」から、秩父・三峯に遺る古民家

イメージ 8
「道を護るもの~」から、病を救ったオオカミ

イメージ 9
「道を護るもの~」から、神を守るオオカミ

イメージ 10
「道を護るもの~」から、三峯で獲れたオオカミ
 
私たちの大願は「ニホンオオカミの生存確認」ですが、会員が名誉あるこうした賞を得るのは喜ばしい出来事ですし、この賞をきっかけに多くの方がニホンオオカミについて関心を寄せてくれれば、それに越した事は有りません。
一度足を運んで戴ければと考える処です。
 
///////////////////////////////////////////////////////////////////
 
東北地方またはその近辺にお住まいの方が対象となるのでしょうか。
宮城県村田町歴史みらい館でも【企画展「再び、オオカミ現る!-東北地方の狼信仰-」】と題した催しも行われます。
会期:平成301019日(金)~1219日(水)
開館時間  9:0017:00
(展示室への入室は16:30まで)
観覧料  無料
休館日  月曜日
交通案内
 ・東北自動車道村田ICより1分・宮城交通高速バス 村田・遠刈田行き、村田町役場前下車、徒歩5
 ・JR東北本線大河原駅下車宮城交通バス・村田・川崎行き・村田中央下車 徒歩10

イメージ 11
村田町歴史みらい館

イメージ 12
3年前に展示された「オオカミ現る」

イメージ 13
「オオカミ現る」の展示風景

イメージ 14
歴史みらい館の事務所内で石黒氏と
 
企画展関連事業は下記になります
林道子写真展「Hodophylax ~道を護るもの~」 
『オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに』上映・解説会ならびに林道子写真展ギャラリートーク
講演会 演題:「東北地方の狼信仰-三峯神社と山津見神社-」講師:当館 専門員石黒伸一朗
 
/////////////////////////////////////////////////////////////////////
 
また、オオカミ関連展示会の中で、私のトークイベントを以下の形で企画しています。
【イベントタイトル:二ホンオオカミを探し求めて50年 by八木 博
日時:1118日(土) 開場12:30 開演13:30 
場所:chaabee(江東区福住1-11-11
参加費:\1500+1ドリンクオーダー(予約制)
ご予約:chaabee11111@gmail.comまでお名前、人数、ご連絡先を明記の上、送って頂く。
定員:約20

イメージ 15
イベントのチラシ
 
講演の流れ
〇オオカミを探すきっかけ
・主な活動(山中にカメラを設置し定期的に観察、情報交換研究会の開催など。
○二ホンオオカミの歴史
・シーボルトの話(シーボルトが所有していた二ホンオオカミの画像(写真、絵、剥製は大英博物館にあることもお話し下さい。)
〇二ホンオオカミの姿
・ベルリン編・オランダ編・イギリス編・秩父編・犬とオオカミの違い・剥製の問題・秩父野犬との遭遇
〇オオカミを探すもう一つの方法:遠吠え
・日本で録音された野生動物の鳴き声・大陸オオカミの鳴き声・鹿の鳴き声・野生動物の様々な鳴き声
〇絶滅の危機にさらされているオオカミたち
・二ホンオオカミ最期の一頭・世界のオオカミの現状・植林生態系とオオカミ
〇その他】

イメージ 16
オオカミに無関心だった頃の私

イメージ 17
オオカミに命を救われた時の記事

イメージ 18
大菩薩嶺で逢った犬と一緒に
 
ニホンオオカミに関心ある方はどうぞお越しください。
費用対効果は充分だと思います。
尚、狭い会場ですので、早めの対応が宜しいかと・・・。

紀伊半島のニホンオオカミー1

$
0
0
【昭文社刊の山と高原地図№56大峰山脈を見開くと、狼あるいは犬と記された地名がやたら多いのに驚く。
狼谷、狼尾、狼平、狼横手、犬取り尾、犬ガエリ、犬取り谷、犬取り滝、・・・そしてそれらの多くは稲村ヶ岳(1725、9m)付近に集中している。
稲村ヶ岳東面神童子谷の狭い山域に、これ程オオカミ関連の地名が集中しているのは、ただ単に生息数が多かったと考えるよりは、人々の生活の中にオオカミが入り込む程、関わりが深かった事を示している様に思える。
これ程の集中度は、私が知る限りでは日本中探しても、多分ここだけで有ると云える。
五万分の一の地図上に於いてさえこれだけ明記されているのだから、近辺をくまなく歩いて聞き取り調査でもしたら、恐らく狼と犬の文字で埋め尽くされるのではないだろうか。
それとも開発と称する二文字が、国内のどんな山奥まで氾濫している今日では、遅きに逸して徒労の調査と化すのだろうか。
兎も角、私がフィールドとしている奥秩父山地の、同じ5万分の一の地図上で探しても、狼谷、狼平、狼窪、・・が見かけられる程度なのだ。】 
 
上記文面は岸田日出男著「日本狼物語」復刻版に、私が十五年前記した“あとがき“からの抜粋です。
著書には数多のオオカミ体験例が記載されていて、非常に興味を持たれる処ですが、岸田翁の調査時期は昭和10年前後と非常に古く、その後の空白時期が長く続いています。
紀伊半島周辺でオオカミ調査をされている方が存在しない為でしょうか、ポツンポツンと思いだした様に、それらの類が私の下に届くのですが、それも多くは単発的に・・・でした。

イメージ 1
岸田日出男翁のレリーフ

イメージ 2
「日本狼物語」の原本

イメージ 3
山と高原地図№56の稲村ヶ岳周辺

イメージ 4
「日本狼物語」復刻版
 
処が、2018330(金)1538付でこんなメールが届きました。
【八木様  はじめまして。和歌山に住む清水といいます。
何年か前に和歌山の果無山脈付近で野犬の群れを見てから、ニホンオオカミに興味を持ち出しました。
私は運送関係の仕事をしておりまして、和歌山の上富田町から本宮町に抜ける311号線を3年前夏の昼間荷物を運んでいたのですが、休憩しようと旧311号線に入り車を停めると、目の前に八木さまの撮影された写真そっくりのイヌが数匹、沢からかけ上がってきて目の前を通り杉木立の中に消えて行きました。
 
最初は猟師の捨てたイヌかなと思ったんですが、気になりネットで検索したら八木様の撮影した写真に辿り着き、余りにも似ていたのでビックリしました。
それからは気にしながら旧国道を通るのですが、見ていません。
次に同じようなイヌを見たのが、ちょうど1年前。
 
田辺市から龍神村に抜ける県道29号線を夜中走っていましたら、虎が峯付近でこれもまた八木様の撮影されたのと同じ様なイヌを見ました。
佇んでこちらを見ているので車を停めるとすぐさま藪の中に消えて行ったのですが、確かにヘッドライトに照らされた姿は秩父野犬に似ていました。
仕事関係のお客さんや、お年寄りに色々な話を聞くと「和歌山の日高川町旧美山村で約60年前位に遠吠えが毎日聞こえた」とか、これも聞いた話50年ほど前らしいのですが、龍神村で畑仕事をして、トイレをしたらその尿を舐めにきたとか聞きました。

イメージ 5
正面からの秩父野犬

イメージ 6
果無山脈周辺地図

イメージ 7
ダムに沈んだ旧美山村産ニホンオオカミ根付け
 
私が見たのは野犬?かもしれませんが、まだ絶対にいてますよね!
色々見たり聞いたりしていると益々興味が出て来てまた夜中見たりしたらメールします!
一番良いのは写真に収めるのがいいんでしょうが、カメラを常時持ち合わせることもできず、携帯だと準備してる間に消えてしまうし(^^;)
オオカミ探索頑張ってください!】
 
秩父野犬的動物が…それも2度も眼の前に現れたとは、驚きの極地です。
メールを見て私は20183301750に 
【ご連絡有り難うございます。
興味あるお話ですので、詳細をお聴きしたいと思います。
清水様の連絡方法お知らせ願えればと存じます。
宜しくお願い致します。  八木 博】の返事を出しました。

イメージ 8
側面からの秩父野犬
 
興奮状態で夜を明かし、何やかや多忙な一日を送っていると、20171102日掲載の「ニホンオオカミに遇う方法」で登場した伊藤博之さんから電話が有りましたので、清水氏からのメールを転送しました。
すると翌日41日に、思いもかけない体験談が伊藤さんから送られて来たのです。

イメージ 9
オオカミ体験を多数持つ伊藤博之さん
 
【八木さん なんと!!
私が思い出した体験は20年前の事です。
残念ながら全くオオカミに関する知識も無い当時でしたので、毛色と筋肉質な印象がぼんやり残っている程度ですが、またもや繋がる様な情報・・・偶然にしてはちょっと恐ろしいです。
八木さんのブログを拝見していて、鷲家口→ダムというワードから紀伊半島と出てきて何か忘れて引っかかるものがあるな・・・と考えていたところに、池原ダムで同船していた当時の同僚ではありませんが、ほかの同僚から数年ぶりに連絡が来て「池原ダムで見た野犬!!」と思い出した次第です。
やはり多少のイヌの知識があると山に居る野犬は私のように猟犬が野犬化したものと考えるようですね。
土地勘は全くありませんが、紀伊半島エリアも人を寄せ付けない神がかり的な場所が多いように感じますので、やはり生息の可能性が高いですね。
 
池原ダムでのイヌ科動物と遭遇した時刻は出船可能時刻が6時だったと思いますので、ポイントには630700位ではないかと推測します。
舳先側に居た同僚が「あ!イヌが出て来た!」と言ってからかなりノンビリと会話しながら見ていたので、3分くらいは見ていたのかも知れません。
そして印象に残っている「沢なのか崩れている場所なのか」・・・を駆け上がるジャンプ力で「猟犬ってジャンプ力凄いな!」と思った記憶があります。
期待が高まりますね。】

イメージ 10
上空からの池原ダム流域

イメージ 11
ダムからの遠望
 
正しく「ニホンオオカミに魅入られている」としか思えない、度々の伊藤さん体験談です。
 
伊藤さんは当時、イヌとしてダム湖の動物を見ていた様ですが、私との交流の中でニホンオオカミの知識を深め、若しかしたら・・・の考えに至った訳です。
私としては、「池原ダムで昭和の終わりころ“見た”と云う情報が、何処かの書物に載っていた」・・・そんな記憶が蘇えったのですが、清水氏からの返事を心待ちにしていたのは当然の事です。
ところが残念なことに、清水氏からのメールが返って来る事は有りませんでした。
清水氏から詳細を伺いたかったのは勿論ですが、車にドライブレコーダー着用を薦めたくも有ったのです。
どれだけ興味深い話であっても、基本的に氏素性、連絡先を告げない人の相手をしないのは、過去の経験からの私の考え方です。
そんな中毎日の様に届くメールに押しやられ、何時しか清水氏のメールは受信トレイの下段に埋もれてしまったのですが、それらを思い起こすメールが9月末に届いたのです。
 
///////////////////////////////////////////////////////
前号でお知らせした「TOKYO GRAPHIE」の案内が、写真集Hodophylax~道を護るもの~」と共に、私の下に届きました。
取材先の多くは私からの発案でして、改めて写真集を手にする必要を感じていなかったのですが、現物を手にすると「百聞は一見に如かず」で、抱いていたイメージより遥かに素晴らしい出来栄えでした。
70歳が間近な私ですが、こうした作品制作のお手伝いが出来た事を心から喜んだ次第です。
多忙な毎日を過ごしていますが、TOKYO GRAPHIE」を一度覗いて見たいと考えています。
皆さんもいかがでしょうか。

イメージ 12
TOKYO GRAPHIE

紀伊半島のニホンオオカミ-2

$
0
0
毎日の様に届くメールに押しやられ、紀伊半島での清水氏の体験談は受信トレイの下段に埋もれてしまったのですが、それらを思い起こすメールを届けてくれたのは、この欄に2016429日「2016312日 那智大社の参道で」の掲載をした事のある、埼玉県富士見市在住の圓谷秀幸(ツムラヤヒデユキ)さんでした。
那智大社の参道でライデン自然史博物館の剥製(タイプ標本)とそっくりの動物と遭遇して以来、紀伊半島通いをしていたらしいのです。

イメージ 1
ニホンオオカミの原本・タイプ標本
 
【ご無沙汰しております。以前何回かお話させて頂いた富士見市の圓谷秀幸です。
今月熊野を旅行した際、本宮の温泉宿で興味深い本を見つけました。
地元の出版社の本らしいのですが、昭和末期、目撃例でなく狼の仔犬を抱いたと言う驚愕の体験談が載せられていました。
写真で保存した本の文面を添付しましたので、見て頂ければと思います。】
以上が9月末私に届いた文面で、下記がその書籍からの抜粋です。
 
【杣人である稲垣義弘氏は、興奮した表情でオオカミらしき動物に遭遇した時の様子を語ってくれた。
同氏は昭和60年の6月に、本宮町在住の井戸清氏と二人で、池原ダムの下流に在る下北山村の原生林と断崖絶壁の続く摺子谷へ「ウチョウラン」を探しに入った。
二人が少し離れて岸壁を見上げながら花を探し始めた時、稲垣氏が崖の上の方で何か動物の声のようなものを訊いた。
稲垣氏が井戸氏に「おい、今何か聞こえなかったか」と訊くと「聞こえた」と井戸氏が答えた。
犬の声の様にも感じたが違う様にも感じた。
高さ60mの岸壁の天辺に登った時、近くの小さな岩穴に何か動物の巣の様なものがあった。
中を覗いて見たが巣の中は空っぽ。時刻は午後三時を過ぎていた。
移動しながら午後四時頃、近くにある別の崖の上に登った。
その時、崖の先の方にある小さな岩穴で何かがわずかに動いた。
近付いてみると、それは生まれて余り日が経っていないのか、目も開いてなくて臍の緒がまだ残っている仔犬の様だった。
体長はおよそ十~十二cm位、全部で四頭いて共に黒毛だった。
抱き上げてみると、牡二頭、牝二頭だった。
急いで井戸氏を呼んでそれを見せると、彼は暫く見てから「それはオオカミの仔や」といった。
そう云われてみると耳も小さく、頭が少し長く感じたと云う。
稲垣氏はその中の二頭を元の穴に戻し、牡と牝の二頭を抱いて家に持ち帰ろうとした。
すると井戸氏が「おい、それどうするつもりや」と訊いた。
「家で飼うて猟犬にしよ思って」稲垣氏が答えると「やめとけ、そんなことしたらあかん。オオカミは家まで着いて来る云うぞ、そこへ置いとけよ」と云った。
「俺は二頭だけ連れて帰りたかったんやが、あかん置いとけて、あんまりしつこく云うもんやから仕方なしに戻したんや」と稲垣氏は云った。
そして親はどんな奴か見てやろうと思い、二十m位離れた岩陰に隠れて待ったが現れない。
次第に暗くなって来たので、とうとう諦めて山を下りた。
それにしても、もしオオカミの仔だったとしたら何故親が彼らを襲わなかったのか不思議である。
狐や狸なら理解出来るのだが、もしかすると人間は鉄砲を持っていると云う事を学習しているのかも知れない。
それからほどなく、近在の猟師から稲垣氏に電話が有り、「この間見つけたという動物は山犬ではないか、と云う人もおるが山犬だと人間が二十mも離れたら親は出て来る。
出て来なんだのは用心深く利口なオオカミじゃからや。
人の姿や臭いが完全に消えるのを、暗くなるまでじっと待っていたやろ」と云ったそうである。
「どうやら井戸さんから話を聞いたらしい。俺はまだ誰にも話してなかったからな」稲垣氏は云った。
そして更に猟師は「だからあれは間違いなくオオカミや、俺やったら一頭百万円で買うぞ」と云ったそうである。
それを聞いた稲垣氏は、翌日一人でオオカミを探しに飛んで行ったそうだが、いくら探しても見つからなかったそうである。
この話を聞いて、やはりオオカミは生きていたんだ。
近付いてくる人間の気配を感じていち早く子供を銜えて別の崖の穴まで運んだのだろう。】

イメージ 2
「癒しの山大台ケ原」第二部の「オオカミ夜話」からの抜粋

イメージ 3
「オオカミ夜話」の主要部
 
圓谷さんから情報が寄せられ内容の確認をしている時、偶々、前記の伊藤博之さんから電話が有りましたので、圓谷さんからのメールを転送しました。
すると、
伊藤です。送っていただいた資料を拝見し、地図で確認したら驚きました!私が遭遇した地点は摺子谷の直ぐ北側です。
確か長男が生まれる前の年なので1998年、平成だと10年です。】
の文面と共に概略図が添付ファイルで送られて来ました。

イメージ 4
大徐ヶ沢不動滝で伊藤さん

イメージ 5
伊藤さんから送られて来た概略図

イメージ 6
概略図の詳細
 
好天が続き、山中のカメラメンテナンスとSDカードの分析で多忙でしたが、伊藤さんからの概略図を見た私は圓谷さんから戴いた情報の確認に熱中しました。
実を申すと、東北地方からの目撃体験も抱えていたのですが、私が常々申している様に、届いた1つの情報は点に過ぎませんが2つになれば線になり、3つになれば面になります。
今回も情報が重なり合って、濃い、太い線になった様に思えたのです。

イメージ 7
奥秩父の山で桜が狂い咲き

イメージ 8
クマのご機嫌を損ねたカメラ

イメージ 9
桜が咲いて紅葉が始まって

イメージ 10
中津川の広場にお馴染みの屋台

イメージ 11
肉を食われ客寄せまでさせられているイノシシ
 
圓谷さんからは著者・登場人物の連絡先も送られていましたので、先ず稲垣義弘さんに連絡しましたが連絡が付かず、次に井戸清さんに電話しました。
井戸清さんは和歌山県田辺市本宮町在住で現在81歳。  
池原ダムでの件は456歳の頃の事で、突然の電話にも拘らず丁寧に対応して戴きました。
 
早々に稲垣さんの現況を伺いますと、「大ホラ吹きだった稲垣さんは45年前死んだ」と、思いも掛けない返事が返って来ました。
上記文面を読みながら確認作業を行ったのですが、 
【穴の中の動物は、全く毛が生えていない状態で、生まれて23日。
目が開いてなかったし、チョット大きいネズミ位のサイズで、キツネかタヌキの子供の様に思えた。
黒っぽくは無く、黄色っぽい・茶色っぽいと云うか、テンの子供の様にも見えた。
2匹の子供を持ち帰る事に反対した理由は「オオカミは家まで着いて来る云うぞ、そこへ置いとけよ」と云う事では無く、車での移動が130200と長く、連れて帰っても死んでしまうから…との事で、井戸さんが池原ダムの件を他人に話したことは全く無かったとも仰っていました。
 
私は以前奥多摩で、鹿の骨が散乱している周辺に動物の巣穴が有るのを発見し、1年間定点観測した事があります。
その巣穴はキツネの巣穴で、そこは標高13001400mの杉林の中、土の斜面に幾つが穴が掘られている現場でした。
また群馬県御巣鷹方面で、タヌキの巣穴周辺にもカメラを設置し1年間の定点観測をしたのですが、どちらも土の斜面でした。

イメージ 12
雪の斜面の巣を覘くキツネ
 
摺子谷の巣穴周辺の標高は700800mで、「ウチョウラン」を探しに行った岩場周辺。
私の経験で云うなら現場の環境は、キツネ・タヌキよりヤマイヌ・オオカミかな…とも思いたくなるのですが、生活の糧を長年山で得て来て、現実に動物の子供4匹を手に取った井戸さんが仰ることにも肯けます。
そして、「6月に生まれたオオカミ・ヤマイヌ」とすると生誕日が遅過ぎる感じがするのです。
家イヌなら兎も角、食料の全てを自活しなければ野生で生きる事は許されないのですから。
 
多くの点で話の食い違いが生じて、稲垣さんが亡くなった今となっては、その真相を探る事が不可能となってしまいました。
ただ、その十数年後摺子谷の尾根を越えたダム湖畔で、伊藤博之さん等が「沢なのか崩れている場所なのか」・・・を駆け上がるイヌ科動物と遭遇した事は紛れもない事実なのです。
伊藤さんは「猟犬ってジャンプ力凄いな!」と思った・・・としていますが、遭遇時期が5月初旬と云う事ですので、猟期の終わり215日から2ヶ月半も経っていて、家イヌでは無い可能性が高いのです。
     
///////////////////////////////////////////////////////
1013日に記した「秋のオオカミイベント」ですが、
宮城県村田町歴史みらい館でのオオカミイベント【企画展「再び、オオカミ現る!-東北地方の狼信仰-」】のチラシが送られて来ましたの、改めてご紹介いたします。
会期:平成301019日(金)~1219日(水)
開館時間  9:0017:00
(展示室への入室は16:30まで)
観覧料  無料
休館日  月曜日
交通案内
 ・東北自動車道村田ICより1分・宮城交通高速バス 村田・遠刈田行き、村田町役場前下車、徒歩5
 ・JR東北本線大河原駅下車宮城交通バス・村田・川崎行き・村田中央下車 徒歩10

イメージ 13
企画展「再び、オオカミ現る!」
 
またこちらも遠方ですが、奈良県大淀町で129日に「吉野・熊野をつないだ偉人 岸田日出男の遺したもの」と題したシンポジウムが開かれます。
ご都合のつく方はお越しになったら如何でしょうか。

イメージ 14
岸田日出男翁のシンポジウムポスター

イメージ 15
岸田日出男翁のレリーフ
 
そして1118日(日)私のトークイベントですが、参加希望者多数の為ダブルヘッダーのトークとなりました。
1回目は12:30開場・13:30イベント開始・15:00終了・その後質問の時間を30分位。
2回目は16:00開場・17:00イベント開始・18:30終了・その後質問の時間を30分位・・・となっております。
宜しかったらお越しください。

イメージ 16
「私の中のオオカミ」のチラシ

紀伊半島のニホンオオカミー3

$
0
0
私が初めて紀伊半島に足を踏み入れたのは大阪万博の年の秋でしたから48年前の事です。
会社の旅行として万博見物に行ったのですが、1日休みを取って大台ケ原まで足を伸ばしたのです。
ただ、山頂近くまで車道が続いて観光地化した姿に唖然とし、それ以降、大台ケ原に行こうと云う気持ちは起こりませんでした。

イメージ 1
大台ケ原山頂周辺の地図
 
次に足を向けたのは24年後、19943月に奈良県東吉野村で行われた「ニホンオオカミフォーラム」でしたが、内容は「紀伊半島の四大幻獣」に関するもので、それは「カワウソ」「イヌワシ」「ヤマネコ」「ニホンオオカミ」で、その他にもオコジョ、渓流魚、蝶々等が含まれ、費用対効果はそれ程ありませんでした。
最大の呼びもの「新しく発見されたニホンオオカミの剥製」なる物も、一目瞭然で「イヌ」と解かる標本で、主催者たちの勉強不足は明らかでした。
イヌ科動物(だけに限りませんが)は乳歯から永久歯に変わると、歯の大きさは変わらない・・・つまり、「永久歯を見ればその動物が何物であるか、ある程度の判断が付く」のですが、その事を知らず、山中で捕獲されたイヌの標本を「新しく発見されたニホンオオカミの剥製」として、客寄せに使っていた節が見られました。
兎も角「ニホンオオカミフォーラム」とは名ばかりの集会だったのです。

イメージ 2
「新しく発見されたニホンオオカミの剥製」なる物

イメージ 3
フォーラムのプログラムー1

イメージ 4
フォーラムのプログラムー2
 
この集会の際、科学者としての立場でお話されたのが「岩田栄之」氏で、この時のご縁で、以後数年間勉強をさせて戴きました。
筆まめな方で長文のお手紙を幾度も戴きましたが、私からの返事が1ヶ月近く遅れた事が原因で逆鱗に触れ、しくじり、その後「秩父野犬」に関する見解で決定的な意見の相違を知った訳です。
「古代二ホンイヌ研究家」とされるだけあって豊富な経験と知識が捨て難く、京都府在住の岡田直士さん経由でその後も勉強させて戴きました。
勉強に行く際岡田さんは録音の許可を戴いていましたので、それを私が聞いて勉強させて貰った・・・と云う事ですが、その録音中に、岩田氏は「八木さんには云うな!」と度々繰り返していました。
十数年前岩田氏は鬼籍入りしてますので、時効となっていると思い記しますが、―内緒の話―と云う事です。
『斐太猪之介・世故孜・村上和潔・氏等が云っているニホンオオカミはサイエンスの中の物では決して無く、斐太オオカミ・世故オオカミ・村上オオカミとするのが正しい。』こんな文言が有りました。
指摘の3人も既に亡くなっていて、また、私は全く面識が無いのですが、或る意味で反面教師として認識していました。

イメージ 5
古代二ホンイヌ研究家「岩田栄之」氏

イメージ 6
「岩田栄之」氏発行の鑑定書
 
斐太氏ですが、著作の多くを読み、著作中の標本の多くを見て回った結果、ニホンオオカミの標本は一つとして存在しなかったのを知り愕然としたものです。

イメージ 7
斐太猪之介氏

イメージ 8
オオカミでは無かった白いキツネ

イメージ 9
オオカミでは無かった無毛のキツネ

イメージ 10
オオカミでは無かったクマの頭骨加工品
 
世故氏の場合『平岩由伎子氏主催の動物文学誌上で、「紀州の山には、世古氏らの手によって、シベリアオオカミの雌と白い紀州犬の牡を交配した子が放たれているのである。これは私が世古氏から直接聞いたことだ。」』・・・の様な首を傾げたくなる行動をしています。
ちなみに、時を経て紀伊山中に「白いオオカミ」と称する動物が現れ、周辺を惑わせたことが有りました。
(この件に関しても調査をし大凡の見当が付いているのですが、次の機会に譲りたいと思います。)

イメージ 11
世故 孜 氏

イメージ 12
アルビノ化したヤマイヌが現れたとする記事

イメージ 13
アルビノ化したとされるヤマイヌ

イメージ 22
数年前、こんな新聞記事も
 
また、『伊勢市在住の中井健也さんの飼い犬を私(岩田氏)が見て「このイヌは変っている。亡くなったら頭骨が欲しい、と頼んでおりました処、世古さんが中井さんから(岩田氏の文言を)聞いてそのイヌを貰い受けて、死ぬのが待ちきれず、直ぐ殺して頭蓋骨を見たら神経孔が6孔有り今泉吉典先生に送りました。
今泉先生は、私(岩田氏)にも『神経孔が6個有るのは、イヌでは初めての事』と言っていました。』等、倫理道徳上疑問を持たざるを得ない行為が多々有ったのです。

イメージ 14
今泉博士の「神経孔が6個有るイヌ」の論文
 
村上氏は果無山系大塔山から山棲犬を連れて来て、戻り交配をし「戻りオオカミ」として発表した訳ですが、岩田氏が云う様にあくまでも村上氏の主観です。
「見狼記」で村上氏の戻りオオカミが取り上げられていましたが、私としては世故氏所有の(と思われる)「神経孔が6個有るイヌの頭骨」見たさにNHKNスタッフに情報提供したのです。
戻りオオカミの何処にニホンオオカミとの共通点が在るのか・・・今でも疑問です。
尚、紀伊半島の先達3人の詳細を知りたい方は当サイト「2015317日の世故孜論」「2015411日の平岩家の動物文学」欄をご覧頂ければと思います。

イメージ 15
村上和潔氏

イメージ 16
村上氏作出の所謂「戻りオオカミ」
 
前々項で記した和歌山県の清水さんが【何年か前に和歌山の果無山脈付近で 野犬の群れを見てから、ニホンオオカミに興味を持ち出しました】とお便りを寄せてくれましたが、
19897月出版の世古孜著「二ホンオオカミを追う」で掲載されている山棲犬の多くが果無山系で、著者は「ニホンオオカミの血が混じったイヌ」としています。
書籍中の山隅犬は30年前の姿になりますが、清水さんが出会った野犬の群れは、「二ホンオオカミを追う」に掲載された山隅犬の流れを汲んだモノなのでしょうか。
それとも、全く違う系統のイヌ科動物なのか、真相は遭遇者の清水さん以外解らないのです。

イメージ 17
世古孜著「二ホンオオカミを追う」

イメージ 18
石仏山のイヌ

イメージ 19
牛廻山のイヌ

イメージ 20
安堵山のイヌ

イメージ 21
伯母子岳・大塔山のイヌ
 
その後、標本調査等で幾度も幾度も紀伊半島まで足を運びましたが、来年古希を迎える身としては秩父山中の調査で手一杯で、南アルプス山域、紀伊半島等での調査は無理な状態です。
南アルプス山域、紀伊半島にお住まいか、周辺にお住まいの方で興味を持って調査をされる方は居りませんでしょうか。
埋もれた情報は一杯ある筈ですが。

大願成就の予感

$
0
0
11月最初の水曜日。
奥秩父山中の天気がYahooの天気予報に依ると、「午前中持ちそう」に変わっていたので、イヌの散歩を早めに片付け、山に向かいました。
山に連れて行く事が条件で譲ってもらったイヌですから、「散歩を取り止め山に連れて行こうかな・・・?」とも思ったのですが、家で留守番をさせました。
登山口の駐車場で準備をしていると雲行きが怪しくなってきましたが、「ここまで来たのだから・・・」の気持ちが勝り、歩き始めたのですが、15分の急登が終わり小さな峠に着いた時、デジカメを忘れて来たのに気付きました。
往復30分のロスでカメラを取りに・・・とも思ったのですが、「まぁ・良いか!」の甘えの中、先を急ぐ事にしたのですが、それが良かったのか悪かったのか・・・。

イメージ 1
我が家の「蒼穹」号・大きくなりました
 
踏み跡程度の山道に落ち葉が積もり歩きづらいのですが、そこは通い慣れた道ですから先を急ぎます。
アップダウンが少ない片道2時間のトラバースルート上に5台のカメラが設置して有りますが、1台目あたりから小雨模様と云うか霧が懸かり出したと云うか・・・22年前の秩父野犬遭遇時そっくりの空模様になって来ました。
その時フット、カメラが無いことに不安を覚え始めました。
何かが起きる・・・そんな予感です。
折り畳み傘も用意して来たのですが、片手が塞がるのが嫌で帽子だけ被る事にしました。
踏み外してしまうと100m近く転がってしまう場所もあり、傘を選択せずスキーのストックを両手にしたのです。

イメージ 2
ご覧の通りの山道で奥は滑ったら大変な所

イメージ 3
こんな感じが延々と
 
2台目は雨が当たり難い場所ですので、帰りに作業を・・・と思い3台目の場所に向かいました。
3ヶ月前カメラをクマに壊され場所移動した場所で、様子を早く確認したかったからでも有ります。
案の定3台目のカメラは、誰が触ったのか設置角度がずれていました。
クマならカメラが壊れている可能性が高いのですが、ずれているだけですから他の動物の可能性が考えられます。

イメージ 4
犯人はこのカモシカの様です

イメージ 5
クマならカメラが壊れています
 
メンテナンスの後カメラを定位置に戻し、15分位歩いて4台目のカメラに着きましたが、動作チェックをしても作動しないので、背中のザックから予備のカメラを取り出し交換せざるを得ません。
交換作業をしている時、5台目の方面がやけに騒がしいのに気付きました。
サルの集団が谷底全体を騒がせ、時々、イヌ科動物と思われるうなり声が混じるのです。

イメージ 6
カメラにはサルの姿が
 
そこまではやはり15分ですが直線距離だと100150m。
野生動物の脚では、ほんの少しの距離になります。
 
日頃、同行者の前では「オオカミが出たら左手を噛ませて、右手で首を絞める」とか云ってましたが、様子を伺うと相手は複数頭でこちらは一人です。
悪いことに、彼らが私に向かって来ても、デジカメを忘れて来たのでその姿を残す術は無く、私の記憶だけになってしまいます。
いざとなったら怖いもので、両手のストックを打ち鳴らしながら、恐る恐る5台目の場所に向かいました。

イメージ 7
5台目のカメラを設置した場所

イメージ 8
近くには山の神も
 
カメラ近くでストックをガンガン打ち鳴らしていると、サルの集団は逃げ去りイヌ科動物のうなり声は上に移動する様子が伺えます。
姿は見えなくとも私を威嚇するうなり声は続いているので、震えながらストックの音を強く打ち鳴らしていました。
素早くカメラメンテナンスを終わらせ帰途に着きましたが、当然、後方に気を配りながらの撤退でした。
そして、イヌを連れて来ていたらどうなったのか・・・そんな事も頭の中で反芻していました。

イメージ 9
見ていないので解らないですが、こんな姿だったかも
 
車に戻り、着替え終わって運転席に座り、安全が確保された状況に於いて、「うなり声の主を確認すべきだった」「デジカメがなくともスペアーのトレイルカメラが有ったじゃないか!」とか、色々反省点が出て来たのですが、先ずは安全第一・・・と云う事で、妥協点を見出した次第です。
帰宅後、「最後のカメラに当該の動物が映っているか?」の確認をすべくPCを開いたのですが、逃げ去るサルの姿を映しているだけでした。

イメージ 10
安心の中遠回りした栃本の関所は秋の盛り
 
後進を育てる為と間近に迫ったトークイベントの準備もあり、1.000件の映像分析はNPOの若い会員さんにお願いしたのですが、何が幸いするか・・・。
数日後、持参した分析詳細の説明―「鹿が3頭逃げる姿と、逃げる原因を作った咆哮が録られている」―を受けた私は唖然とし、云われるまま10月27日10時27分の映像「鹿逃げる、咆哮?」の映像を開けました。しかし、牝鹿・牡鹿・牡鹿の順に、勢いよくカメラの前を通り過ぎる姿が映し出されているものの、幾度聴き直しても咆哮は聴こえて来ません。ただ、分析者は自分のPCでは間違いなく聴き録れている・・・と自信を持って云うのです。とすると、私のPCの精度が問題有りだったのでしょうか。過去に映像分析した中、鹿が逃げる姿は幾度も幾度も目にしていますので、若しかしたら咆哮も入っていたのか・・・そんな気持ちの中、11月18日のトークイベントで白黒付けようと・・・。そしてその際、分析者の云う通り咆哮が録れているなら、同様の映像を大量のファイルから取り出し、再点検しなければいけません。大変な事になりそうですが、嬉しい悲鳴とも云えます。

イメージ 11
「鹿逃げる、咆哮?」のショット

イメージ 12
「片足の無い鹿」のショット・トラバサミにでも
 
イベントは13時30分,17時00分スタートと2回のトークでしたが、時間的余裕のある17時からの最後に件の映像を流しました。
「素晴らしい音響設備の中でこそ」だったのでしょうが、3頭の鹿が逃げ去る中、逃げる原因を作った(と思われる)咆哮が見事に聴きとれ、イベント参加者の中から「ウオーーー」と歓声が起きたのです。
11月最初の山行・・・・・この日は正しく大願成就の予感が感じられた山行だった様に思われます。

イメージ 13
イベント会場Chaabeeの内部

イメージ 14
イベント「私の中のオオカミ」パンフレット

イメージ 15
お陰様で大勢の皆様にお出で頂きました

分類としてのニホンオオカミ

$
0
0
当欄へ木下さんと云う方から1116日に以下の様なコメントが寄せられました。
 
【はじめまして。わたしもニホンオオカミに興味をを持ち探している一人です。私は過去に二匹ほどそれではないかという動物に出会ったことがあります。はじめに申し上げますと、私のニホンオオカミの定義は、一つニホンオオカミの血筋をひいていること。二つ外見が犬ではなくオオカミであること。三つワンとは泣かないこと。の三点です。つまりニホンオオカミは日本犬の中にDNAとして今でも存在していて、オオカミとして生まれてくる可能性がるということです。例えれば両親が二人とも白人ではあっても何代か前に日本人の血が入っていれば外見が全く黄色人種の子が生まれる可能性があるといったらいいでしょうか。
4
年ほど前、わたしが見たのは秋田犬とシェパードの混血でしたが、外見はまさしくオオカミでした。色々調べてみますと、私がその犬にあった場所の近くには戦時中まで日本最大の軍用犬養成所があり、全国から色々な種類の優秀な犬が集められていたそうです。嗅覚や聴覚、方向感覚など優秀な犬をかけあわせれば、自然とおおかみに近い犬がうまれて来ても不思議はありません。出会った犬もそれらの子孫だと思った訳です。】
 
謎深き「二ホンオオカミ」と云う動物が誤解を持って見られている・・・と云うより、かなり穿った感じのコメントが文面から窺い知れます。
 
これに対し私は【私たちの求める動物と、木下さんの求めるそれには、大きな違いが有る様に思われます。
木下さんが求めている動物は「ニホンオオカミ的イヌ科動物」では無いでしょうか。
私たちは「ニホンオオカミ」或いは「ヤマイヌ」を探しているんですけど】と返信しました。

イメージ 1
                                          こんな感じの動物を求めていたのか?
 
そんな訳で今回は「分類としてのニホンオオカミ」を考えて見たいと思います。
 
ニホンオオカミは明治38年の捕獲を以って絶滅とされています。
近世に於ける研究は昭和510年頃から始まった訳で、研究の先達はそれぞれ個々の考えの下に思考した訳で、分類学的な基本は“ないがしろ”だったのです。
それは先達たちが著した書物に眼を通す事で解ります。
つまり、ニホンオオカミとして知りえる事は、頭骨標本(全身骨格も)、剥製・毛皮標本からでしか得られず、生態学的(行動形態)な物は科学的には明らかになっていない…と考えるべきです。
生態観察をした研究者は居ないのですから、当然です。

イメージ 2
                                     明治38年に鷲家口で捕獲された仮剥製・頭骨
 
分類学的な見地(つまりタイプ標本との比較)からニホンオオカミを研究した学識経験者は今泉吉典博士で、私が師と仰ぐ方です。
今泉博士は頭骨標本からタイリクオオカミ(Canis Lupus)とニホンオオカミ(Canis hodophilax)を比較し、別種説を唱えた訳で私もそれに従っています。
世界中に散在するニホンオオカミの頭骨標本を一番多く調査した者は私です。(だと思っています。)
そうした中、ニホンオオカミはタイリクオオカミとは明らかに違う特徴を持つ・・・つまり、別種となるのです。

イメージ 3
                                                  三峰博の毛皮を前に今泉博士と
 
尚、ポコックを始めとする海外の動物学者の多くは、亜種説をとっていますが、それは比較事例の数の問題だと考えています。
ドイツに3例・オランダに3例・イギリスに2例存在していますが、彼らは身近な最大で3例の頭骨しか観察していない訳で、国立科学博物館に在籍した今泉博士とは比較事例が違うのです。
そして、他の研究者の多くは、提出された個々の論文に従っているに過ぎない訳です。
 
そうした中、日本列島の限られた地域に生息した(している)ニホンオオカミを、イヌ科動物として一括りにし、行動形態を当てはめる事が良いのかどうか。
つまり、群れるかどうか等は「わからない」としか言いようが無いのが現状です。
存在を否定されている動物の生態観察をする事は不可能ですし、当然行動形態が判る筈無い…のですから。
ついでに云うなら、21年前に撮影した「秩父野犬」ですが、反対論を述べた学識研究者は全て、行動形態・生態学的観点からで、分類学的見地から反対論を述べた学術研究者は皆無です。

イメージ 4
                                          タイプ標本と多くの共通点を持つ秩父野犬
 
参考までに16年前行ったフォーラムのレジュメに記した「ニホンオオカミの分類的位置付け」を提示します。

イメージ 5
                                         三峯神社報徳殿で行われたフォーラム
 
ある生物の種や亜種の命名の根拠となる標本を「タイプ標本」と呼ぶ。
その標本には“採集者、採集地、学名、和名(日本の場合)、採集年月日、標本番号”などを記す事になっている。
これが、分類学のルールである。

イメージ 6
                                                ニホンオオカミのタイプ標本
 
私達が通常ニホンオオカミ (Canis hodophilax) と呼ぶ動物のタイプ標本は、オランダのライデン自然史博物館に在る。
剥製1例と全身骨格付きの頭骨1例を含む、全3例の頭骨標本である。
これらの標本をもたらしたのは、江戸時代末期、西洋医学の普及に努めたドイツ人医師のシーボルトである。

イメージ 7
                                             シーボルト生誕200周年の記念切手
 
そしてニホンオオカミ を新種とし Canis hodophilax と命名したのはライデン自然史博物館の初代館長テミンクである。
学名の Canis hodophilax に、オオカミの亜種である事を示す“lupus”が無い事は、テミンクがこれをオオカミではない、新しいイヌ科の哺乳類と位置付けたことを物語っている。

イメージ 8
                                     ライデン自然史博物館の初代館長テミンク
 
しかし、頭骨3例全てが後生の研究者達において、同じ認識下におかれているのかと云えばそうではない。
通称「頭骨A」は多くの点でニホンオオカミ的特徴を有していないため、“イヌ(Canisfamiliaris)”と考えるのが一般的になっている。
つまり、3例のタイプ標本に2種類の動物が混じっているという事なのである。

イメージ 12
                                            3例のタイプ標本、左からC/B/A

イメージ 13
                                                タイプ標本頭骨、左からB/C
 
正しい分類をする為に、裏付けとなる科学的実証をしなければいけないのであるが、まだ結論を得ていないのが現状である。
国内でのニホンオオカミ研究史に目を転じた時、初期の研究者達と、テミング等の認識とに、大きなズレがある事に気がつく。
平岩米吉氏を始めとする多くは、自らの描くニホンオオカミ像を研究の出発点とした為、科学的見地に立った分類は、次の世代への課題となり、混迷が混迷を呼び、一部は現在へと続いている。
しかし、ここ十数年の間に、毛皮を含む多くの標本が新しく見つけられる事となり、次第に真実の解明へと向かっている。
帯広畜産大学の石黒助教授等(現岐阜大学教授)によって、20029月に発表された“遺伝子レベルでのニホンオオカミの分類的位置付け”もその一つと言える。】

イメージ 14
                                                  初期の研究者平岩米吉氏

イメージ 9
                                                         岐阜大学石黒直隆教授
 
この様に、「ニホンオオカミ的動物」であるなら兎も角「ニホンオオカミ」を求める事は大変難しいのです。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1118日に行われたトークイベントに、多くの方がおいで頂き誠に有り難うございました。
前号―大願成就の予感―記載の通り、時間の都合で『3頭の鹿が逃げ去る中、逃げる原因を作った(と思われる)咆哮が見事に聴きとれ、イベント参加者の中から「ウオーーー」と歓声が起きた。』・・・の映像を後半のトークでお見せしたのですが、ご覧になれなかった方たちからお叱りを受ける事となりました。
そうした方たちには何時か機会を設けて・・・とも考えて居りますので、ご容赦の程宜しくお願い致します。

イメージ 15
                                トークイベントでのスクリーン(野瀬昌樹氏より)

イメージ 10
                                                トーク中の私(野瀬昌樹氏より)
 
尚、来たる128日(土)日本TV「世界一受けたい授業」(19562054)で絶滅動物特集を放送するそうです。
番組中で絶滅動物の一つとして「ニホンオオカミ」を取り上げるのですが、22年前私が撮影した「秩父野犬」を、「まだ生きているかも知れない」として紹介される様子です。
興味のある方は是非ご覧下さい。

イメージ 11
                      日本TV「世界一受けたい授業」

昔の文献を読み直して

$
0
0
TheBONE 19916月号に京都大学理学部動物学教室の田隅本生助教授は「“ニホンオオカミ”の実体を頭骨から探る」と題した論文を記しています。
 
シーボルトの“ニホンオオカミ” *“ヤマイヌ”と“オオカミ” *“ニホンオオカミ”の頭骨と項目が続き、*“ニホンオオカミ”の定義中にこんな文面が綴られています。
 【本来の問いは「どんな動物を“ニホンオオカミ”と呼ぶのか」であるはずなのに、現実には逆転して「“ニホンオオカミ”とはどんな動物か」という問題になってしまっている。
 言葉は作られたとたんに独り歩きをしはじめるのである。
 わが国では昔から“オオカミ”のものだと伝えられている一見類似したいくつかの頭骨から、平均的な形のイメージがまず得られ、そのイメージに合わせて、新しく見つかった頭骨が“ニホンオオカミ”かどうか鑑定される。
だがそれはいつもライデンのタイプ標本を参考にし、気にしながら行われる。
在来の直観的な鑑定の図式はこの様なものだ。

イメージ 1
ライデンのタイプ標本―剥製

イメージ 2
ライデンのタイプ標本-頭骨a/b/c/右から

イメージ 3
ライデンのタイプ標本-頭骨b/c/左から

イメージ 4
田隅氏発行の鑑定書
 
しかし近年はもっと客観的な統計的な方法で“ニホンオオカミ”の頭骨を定義することが試みられている。
今泉氏の方法によれば、ライデンのa標本はイヌである可能性が大きく、bは確かに“ニホンオオカミ”らしく、cはサイズや⑨の特徴について難点がある。
(⑨今泉吉典:ニホンオオカミの系統的地位について.2イヌ属内での頭骨における類縁関係.哺乳動物学雑誌56266,1970
絶対的な拠り所であるはずのライデンの3標本がまちまちであることに、混乱の根本原因がある。
aとcは“ニホンオオカミ”の本家本元でありながら、“ニホンオオカミ”ではないかもしれないのだ。
あやふやな根拠に基づいてあやふやな資料を鑑別するしかないわけだが、これは“ニホンオオカミ”の実体を究明するための良い方法ではない。
aとcを無視してしまえば問題は少しすっきりするが、それでは分類学のルールに反する上、生物界の複雑さに目をつぶることになる。

イメージ 5
今泉吉典博士

イメージ 6
タイプ標本の鑑別を誤ったテミンク氏
 
そして*むすびとして、つまるところ“ニホンオオカミ”の決め手となる頭骨の形態的特徴は未発見なのであり、種としての輪郭は依然としてはっきりしない。
 まして“ヤマイヌ”と“オオカミ”とは識別のしようがない。
 それでも、この国に蝦夷オオカミでもイヌでもないイヌ属の野生動物が棲息していたことは、疑いがない。
それは1種だったのか複数種だったのか、ライデンのc標本と剥製は何物だったのかといった疑問とともに、その正体はやはり謎として残る。
その解明は、遺体に残っているDNAの科学的解析によって初めて可能になるのかもしれない。
他方でこの謎は、種分化の分岐点―ある地域に閉じ込められたある種の動物が、もとの主系統から別の系統へ進化しようとするときーの形態変異の混乱した状況を表しているようにも 思える。
不幸にして、これらの動物は何らかの原因―ヒトに接近しようとするイヌ属特有の性質がたたったのかーによって、姿を消してしまったのである。】
 
田隅本生氏が述べた様に、ニホンオオカミを探って行けば行くほど謎が深まる訳で、幾度も私が述べている様に、原点―シーボルトの主張―に立ち戻るのが最良の方策と考えるのです。

イメージ 7
ヤマイヌ・オオカミを買い、飼ったシーボルト
 
また、ニホンオオカミ研究の先駆けの一人として知られる平岩米吉氏の遺した雑誌「動物文学」を継承した、平岩由伎子氏は平成七年初夏号(258号)にて
「狼犬の出現」として以下の文面を記しています。

イメージ 8
ニホンオオカミ研究の先駆け平岩米吉氏

イメージ 9
「動物文学」を継承した平岩由伎子氏
 
【私はかって「動物文学」昭和六十三年の第二四五集及び平成四年の第二五二集で、大陸系の狼(シベリアX紀州/カナダ狼XハスキーXシベリアなど)の血を引く所謂狼犬が日本の山野(紀伊半島)に放されたことを報告するとともに、近い将来、必ずやそれらの狼犬の子孫である狼らしさを持った野犬が出現するであろう予告し、それらをニホンオオカミと誤認することがないよう、繰り返し警告してきたが、ついに、それらしきものが出現して、その鑑定を持ち込まれることになった。

イメージ 16
由伎子氏に狼犬を放したと告げた世故孜氏

イメージ 10
米吉氏が創刊した「動物文学」
 
  ここでは依頼者からの希望で詳細を公表することは出来ないが、仮にA氏としておく。
  昨年の秋、A氏が夕暮れの山道を車で走っていると前方に犬の様な茶っぽい動物が座っていた。
  そして車の前を走りだしたが、一キロほど行くうちに見失ってしまった。
  その動物を見た瞬間,犬にしてはおかしい、狼に似ていると思ったという。

イメージ 11
車の前方に座っていた犬
 
  それから何日かしてA氏はまた、その動物に出会った山道を通って自宅へ戻って見ると、何とその犬がA氏の飼犬たちの処に来ていて、一緒にいたというのである。
  そしてその犬はそれから一ヶ月間、A氏宅に居ついていたが、或る日ふっと姿を消してしまった。
  A氏はその犬の形や行動などに見られる狼臭さについて、日本狼の先祖返りではないかと思われ、写真やビデオ等を送ってこられた。

イメージ 12
件の犬・飼犬等に餌をやるA

イメージ 13
件の犬の姿態4
 
  写真で見ると顔はストップも有り眼、耳などは正に犬以外の何物でも無い。
  しかし、後背の感じに何となく狼くさい感じがあり、前肢は犬にしては後方、肩甲骨の真下についている。
  そしてビデオではそれらの特徴が、いっそう顕著であり、動作なども非常に身軽くて狼を思わせるものであった。

イメージ 14
前肢は後方、肩甲骨の真下につく
 
  ただ、写真等のみで実物をみていないので断定は出来ないが、その犬のもつ狼らしさから狼の血の混入の可能性を否定できないとしても、その狼らしさが本当に狼のものであるとすれば、それは様々な特徴の相違点から明らかに日本狼のものではなく、大陸系の狼のものであるといえる。
 
  日本狼残存を信じ狼研究家と称する人達に依って、主人に捨てられ、あるいは迷って残された洋犬、和犬さまざまな遺伝子のルツボと化している地帯ではそれらが入り混じり、例えば毛色などたまたま一部が狼に似ているものが出ることがあると、作為はないものの科学的な検証なしにあやまった伝承のまま、残存した狼の血と信じ込んだり、あるいは売名的な行為として日本狼の血の残存が唱えられて来た。(原文のまま)(後略)】
 
A氏の下を訪ね詳細を伺っている私ですが、上記平岩文面に関する記事が怪奇秘宝「山の怪談」編に載っていて、同書中では「黙殺を決め込んでいる八木博」となっています。
 しかし私としては、黙殺を決め込んでいるのでは無く、「私が求めている動物とは違う」・・・と考える為、コメントを発する必要が無いと思っている次第です。
 122日の当欄にやはりニホンオオカミあるいはヤマイヌの遺伝子を強く受け継ぐ犬は存在しないのでしょうか?若しくはいたとしてもニホンオオカミとはよばれないのでしょうか
  のコメントを下さった木下さんには、今回の項を良くお読み戴く事で疑問は解消出来ると思います。

イメージ 15
怪奇秘宝「山の怪談」編

2018年の奥秩父山中

$
0
0
本年2月、13年間生活を共にした愛犬が逝ってしまい、空虚な毎日を過ごしていた5月中旬、引き取り手を探していた仔猫にひかれるものを感じ、家族として迎える事にしました。
「命名権を与える事が家族の同意を得る安易な方法」と心得る私は、娘が名付けた「ミィ」を躊躇せずに受け入れました。
白黒模様でパンダ色の3兄弟でしたが、ミイには一目で兄弟と見分ける特徴を持っています。
「かぎしっぽ」です。
『かぎしっぽのネコは幸運を呼ぶ』という諺が有るのは知っていましたが、迎える際は意識外でした。
生まれて初めてネコと同居を始めた私は、行動の全てをイヌとの比較で見ていたのですが、驚くことの連続が続いたのです。

イメージ 1
2018.02.18.四国犬ミカンの最期の時

イメージ 2
NPO会員染矢さんからの贈り物を被り

イメージ 3
かぎしっぽのミちゃん
 
山中に設置したカメラは、8月末をピークとして75台を数えましたが、一人で管理する台数をはるかに超え、山から持ち帰ったSDカードの分析は長時間に渡り、苦痛にさえ感じ始めました。
パソコン相手の作業で視力は衰えますし、どんなに注意していても腰痛が再発するのです。
カメラの寿命は最高40℃最低気温マイナス20℃として、±60℃の悪条件の中、3年稼働が限度です。
毎年25台ずつくらい新台に交換する必要がある上、75台を稼働させるためには数台の予備器が必要です。
傍から見ても大変な事をやっている訳です。

イメージ 4
先日、山根一眞さんから1台寄贈されました
 
奥秩父は他の山域以上に過疎化が進んだ上、名人と呼ばれたマタギたちは一線から離れ、クマを始めとする動物達は生息域を広げて、どんな処でも、設置したカメラにクマは現れます。
今年になってクマが原因と思われるカメラの破損は、5台を下りません。
もともと彼らの領域ですので、野生動物からのそれは仕方ないのですが、今一番手を焼いているのは、ヒトです。

イメージ 5
クマに壊されたカメラ

イメージ 6
カメラが撮ったクマのUP

イメージ 7
ご覧の様に月の輪が白く撮れ
 
昨年921日のこの欄「山中のカメラメンテナンス」で記した「固定バンドを鋭利な刃物で切り落とした悪意を持ったヒト」の所在が明らかになり、再度同様な手口でカメラの紛失を招いたのです。
今秋、山中ですれ違った際色々難癖を付けて来ましたので、カメラを切断された件で抗議をしますと「知らね存ぜぬ」を押し通した上、国有林内に設置してあるカメラが無許可である事に触れ、
「最終的にカメラ引き上げ」にされてしまいました。
ただ私としては、これを一つの教訓として、「ルールに基づいたカメラ設置」の方向に舵を切りましたので、災い転じて福となした次第です。

イメージ 9
今、一番手を焼いているヒト
 
私たちがカメラを設置している15ルートの内「ムジナルート」と呼ぶ、物好き登山者が年に1人通るかどうかのルートがあります。
数十年前登山道が開かれていたのですが、危険個所が多く利用者が少ないので、現在廃道となっています。
コース中に木製のベンチが何ヵ所か設置して有りますが、どういう理由かこのベンチの一つをクマが気に入って、背中を掻いたり、マーキングをしたりで、ショットの70%がクマの映像です。

イメージ 8
クマに気に入られたベンチ

イメージ 10
こんな感じで身体をこすって

イメージ 11
ベンチとして用を為さない台座
 
クマの姿態・動作が面白く、このベンチに焦点を当て、カメラを1台設置して有るのですが、10月末この現場に赴くと、SDカードが紛失していたのです。
そして、傾いてベンチの体を為していなかったのに、上手い具合に倒木が作用した状態で、ベンチと化しているのです。
このカメラを中心として、廃道沿いに5分間隔にカメラが有るのですが、ヒトが通った痕跡が見当たらないのに、カメラのSDカードが無かったのです。
この周辺に棲むクマかサルが私の作業を盗み見していてSDカードを盗ったのか、私がカードを付けなかったのか、それとも透明人間がこの山中には存在するのか。
山歩きを始めて55年の歳月が流れ、山中で多くの不思議な出来事を経験した私ですが、本年で一番ミステリアスな出来事でした。

イメージ 12
倒木を動かすとしたら人間には無理筋
 
処で、1122日の欄「大願成就の予感」で記した「鹿逃げる、咆哮?」の映像を、フェースブック上で公開しましたら多くのアクセスが有って、管理人のスマホが作動しなくなる事態になりました。
現在この素材を下に、今後の展開が変わる様なアプローチが幾つか届いています。
「後進を育てる為1.000件の映像分析をNPOの若い会員さんにお願いした」とブログでは記しましたが、上記の様に腰痛回避がその大きな理由でした。
それこそ、何が幸いするか・・・と云う事です。
そして、「かぎしっぽのネコ」も大きな存在だと思っていたのですが、梓山犬「蒼穹」も「かぎしっぽ」だったのです。

イメージ 13
鹿が逃げ咆哮が聴こえて

イメージ 14
蒼穹のかぎしっぽ

イメージ 15
この2匹、仲が良いのか悪いのか
 
最後になりますが、本年中のご支援・ご愛読・有り難う御座いました。
来年も宜しくお願い致します。
Viewing all 242 articles
Browse latest View live