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Channel: ニホンオオカミを探す会の井戸端会議
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だんだんよくなる法華の太鼓

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「狼満」・・・オオカミで満たされる一年。
ロマン・・・・オオカミから得られる夢が正夢になる様に!
書家から送られた字体からそんな気持ちが思い描かれます。 

昨年59回目となった山行終いは1229日でした。
10月に新しく仲間となったS・Y両会員が、「トレイルカメラを5台入手したので設置したい」の、想いを叶える為の山行でした。
8月にはYO会員が秩父の奥山と云われた浦山にカメラを3台設置、一昨年12月にO会員が秩父野犬撮影現場山域に4台設置し現在観測中。
 
徐々にですが、会員さんのフィールドに於けるオオカミ探しが広がって来ています。
まさしく「だんだんよくなる法華の太鼓」で、私の望む処となりつつあります。
もっともっと調査の輪が広がって行けば・・・と、願うばかりです。
 
帰りの車中同行者が「秩父の祭りの湯」に浸りたい・・・と云いましたが、体中に鍼灸・膏薬の痕をたくさん持つ私は誘いを断りました。
表面は健常者そのものでも、年相応の肉体なのです。
 
昨年2月に13年間連れ添った愛犬と別れ、その寂しさの中5月中旬、引き取り手を探していたネコを家族として迎えました。
『「かぎしっぽ」のネコは幸福を呼ぶ』の諺通り、猛暑が過ぎた頃から、私の身辺が微妙に変化して来ました。
本年否応なしに古希を迎えるわけで、山中のカメラメンテナンスを行えるのもあと数年ですが、それまでにはニホンオオカミ研究に目途が付くのでは、と、期待を抱く今日この頃です。
 
私たちの活動に賛同するF社のプロデューサー氏が、想像を絶する企画を持参したのは11月末の事でした。
話を伺いながら、ビックリ・びっくり・吃驚・の連続でしたが、その確認の為122429日の両日山行に同行願いました。
企画の内容をこの場で記す事は出来ないのですが、準備が終わり新しい調査が始まれば「ニホンオオカミの生存確認」に一歩近づくのは確実です。
 
「ニホンオオカミを探し求めて50年」経ってしまいましたが、続けて来て本当に良かった・・・と、実感できる一年でありたいと思う次第です。
昨年に引き続き、本年も相変わらずのご支援、宜しくお願い申し上げます。
 
平成三十一年 元旦
         〒3620051埼玉県上尾市地頭方3767
                   TEL/FAX :048-781-8463
                   E-MaiL : hodopcanis@yahoo .co.jp
イメージ 2         秩父宮記念三峰山博物館 客員研究員

   NPO法人ニホンオオカミを探す会 代表 八木 博


蒼穹号の山デビュー

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昨年の12月から好天が続いて、山中のカメラメンテナンスも順調に進んでいます。
12/2,10,15,24,29と続き、新年になってからも147、と連日のように入山していますが、4日は蒼穹と一緒に山に入りました。
 
昨年8月26日に家族の一員となった蒼穹と、何時山に入れるか…そればかりを考え毎日朝晩の散歩をして来たのです。
朝は近くの公園で人・イヌとの接触を繰り返し、夕方は出来るだけリードを放して、蒼穹の持つ潜在能力を引き出す散歩。
全ては山行を一緒にする前提での、散歩と云うか…訓練でした。
 
散歩1ヶ月目頃から蒼穹の能力は目を見張るばかりで、梓山犬の管理者が常々言っている事例を眼の前で行動として表すのです。
散歩仲間も1週間会わないと目を見張り、「また、大きくなったね!」の連続です。
そして、公園で遊んでくれたイヌ達もいつしか、蒼穹を避ける様になってしまいました。
 
頭胴長85cm,体高45cm、体重も13kgでもう立派な大人の体となりまた。
12月下旬に来宅された山根一眞氏も、惚れ惚れ見とれて「イメージ的にはイヌと云うよりオオカミ的」と言ってくれました。
仏壇に並んでしまった5頭のイヌ達を、手抜きして育てた訳では無いのですが、私の人生最後のイヌとしての位置付けですから、知らずの内に力が入っているのかも知れません。

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山中の蒼穹号-1

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山中の蒼穹号-2

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山中の蒼穹号-3

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登り口最初の5分の景色
 
そんなこんなで正月4日が蒼穹号の山デビューとなったのですが、当日は秩父市在住のY氏同行のカメラメンテナンスでした。
最初1.500mの現場に向かうつもりでしたが、予定した山域は巻き狩りの大勢のハンターとイヌ達が入山準備中で、「君子危うきに近寄らず」の心境となり、別の尾根筋に変更です。

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カメラに映ったハンター達
 
20年以上昔記した文面が頭を過ったので、下記を是非ご覧下さい。
 
朝、犬の散歩は荒川の土手です。 
そこには、多くの生きる物の風景が流れて行きます。
これから11月中旬までの風景が一番嫌いな私です。
11月15日の狩猟解禁日に合わせてハンターが犬の訓練を始めるからです。 
それをやらなければ 生きられない「マタギ」と違って、動物の生をもて遊ぶハンター。
子供たちが動物たちと遊びながら、命の大切さを学び取るのと違って、自分の気晴らし、欲望の為、だけで命の継続を否定するある種の大人たち。
河川敷には色々な動物が生きています。
雨の朝必ず出てくるカタツムリ。
そしてミミズ。
それを捕食するカラス、すずめ、鳩。
そしてそれを狙う四足のキツネ、タヌキ、イタチ。
動物たちは、自らが生きんが為、もがいているのです。・・・後略】
 
ハンターたちと離れた私たちは車を走らせます。
支度を済ませ登山口へ向かうのですが、目的地への道筋は標高差350mで、来た道を振り返りたくない程の急峻なガレ場です。
カメラ3台が設置してある尾根筋は以前連れて行った仲間が「修験道の道」と称した断崖が続く、一歩でも足を踏み外したく無い獣道です。
 
当然山中は獣の臭いが充満している訳で、途中から蒼穹をセーブする事が出来なくなりました。
と云うか、リードを引っ張る蒼穹の勢いが、私の脚をもつれさせるのです。
仕方なしにリードを離したのですが、それからは蒼穹の独壇場。
梓山犬は猟犬としての遺伝子を色濃く残すイヌですから、こうした山でリードを引くのこそ無理筋と云う事です。

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今井興雄氏飼育の五郎丸号
 
ただこのイヌは(犬種は?)、我が家に来た時から不思議な習性を発揮していました。
知らない処を歩くときは、リード無しでも私の側にいるのです。
もっとも、慣れて来ると段々距離を置く様になるのですが、それでも視界から私が見えなくなる事は有りません。
 
と云う事で、標高差350mの作業ルートを幾度往復したか知れません。
人間の脚では普通、標高差300mを1時間と云いますが、呼べば蒼穹は12分で帰って来るのです。
帰って来ても息を切らしている訳で無く、若しかして、もっと短い時間だったかも知れません

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カメラが捉えた牡鹿のUP

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1212日のクマ。気温はマイナス1℃。

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初めて捉えたアオバトの姿

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妊娠中と思われるカモシカ

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駐車場に戻ってもご覧の元気さ
 
同行のY氏は、現在柴犬を2頭飼育しています。
山歩きの同行者として四国犬を飼おうと仔イヌを探している最中でしたが、蒼穹の行動を目の当りにして、梓山犬に主旨替えしたのです。
主旨替えのY氏同様、鋼の肉体、バネの様な下半身、300mの急坂を一息で登る蒼穹に惚れ惚れする私でした。

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写真左側が断崖の為リードを引いて
 
7日も経験を積ませるべく、長野・群馬・埼玉の県境奥深くの沢筋に向かったのですが、山歩きがとても似合う蒼穹に、二度惚れする私がそこに居ました。

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氷瀑を前に蒼穹号

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耳の下には見事な頬髭が

21年前の記憶から

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私たちは最終目標としてニホンオオカミの生存の証明を掲げている。
その為の行動として一番必要なことは、フイールドワークであるのは言うまでも無い。
見た、聞いた、等の生存につながる情報を得ると、可能な限りできるだけ早く現場に足を運んで、体験者の話を聞くようにしている。
そして聞いた話の信憑性が高くて、複数の体験談を得られた周辺等で、深く長く調査を続けるのである。

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最初は咆哮の収録から始まった
 
人それぞれ得意な分野があって、私以上にフイールドワークを得意とする、京都で仏師をしている岡田と云う友人が居るが、彼は私と知り合う前にも本州の各地で奥深く山に分け入り、その足跡を求めてきた。  
長野オリンピックの有った年だから1998年の事になるが、その前年の11月に岡田氏が1ヶ月間山に篭って捜索した結果大きな手がかりを得、それを踏まえて私たちは、2月、3月の2ヶ月間その山域でフイールドサインを求めて再調査を始めた。
あわよくば生存の証明も・・・と考えて・・・と言っても山に篭ったのは岡田氏なのだが。
その冬は予想以上の降雪だったが、テントを雪に押し潰されることにもならず、多くの困難の連続の末何とか無事に、そして生存に関しより大きな確信を得る事となった。
持ち時間が無くなったのと、雪が消えてフイールドサインを得にくくなったのとで、京都に帰った岡田氏は今回の捜索でより一層翌冬の山篭りに想いを馳せた。
そして私は岡田氏からの情報を元に雪消えから初雪まで調査を続けた。


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 オカミ探しに一番熱かった岡田氏

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テントが埋もれそうになった山域

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東京・埼玉県境の仙元峠

調査を積み重ねて季節が移り変わった11月半ば、京都を出た岡田氏は今冬の捜索の為数箇所に荷揚げをするべく、何度となく我が家と山を往復した。
捜索地域は当時もっとも多くの生存情報が寄せられ、現在でも最重要地点の一つとして数え上げられる、和名倉山(2.036m)を市ノ沢から入るルート。
11月22日にTVの取材で近くの山に入る私は、岡田氏を入山地点まで送ってから自分の作業にかかったのであるが、翌日の昼ごろ、たまたま持参していた携帯電話が鳴り出した。

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市ノ沢から和名倉山への遠望

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和名倉山山頂
 
お互いが山中での事で全てを理解出来たわけではなかったが、どうも岡田氏が事故って、いま救急車で秩父市内の病院に運び込まれたらしい!・・・事までは解った。
何はともあれ収容先の病院に駆けつけた私は岡田氏から事情を聞いたのだが、昨日別れたあと間もなく、重い荷物にバランスを失い、ダム湖に落ち、バウンドした所が岩だった為,運悪く数箇所を骨折したらしい。
必死の思いで荷物をダム湖から引き上げ、上半身の力だけで対岸の監視小屋まで移動し、寒さに耐えしのぎながら一晩明かし、朝から3時間掛けて林道まで這い上がって、通りすがりの車に収容されたとの事。
健康体ならわずか15分の登りだったのだが。

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大洞川にあるダム湖
 
岸辺にあるザックの中に保険証等の貴重品があるため今後の事を考えて、私は折り返し遭難地点に向かった。
夜6時を過ぎた頃から雪が降り出して瞬く間に白い登山道と化したのだが、不幸中の幸いと言うか、一日遅い初雪に岡田氏の、私達の、運の良さを思い知らされた。
兎も角五体満足の私が荷物の収容に死ぬ思いだったのであるが、背中の荷はダムに落ちたザックの半分にしか過ぎなかった。
 
残された荷物の収容は年末休みに出向いたのだが、林道から大洞川を渡って対岸の山に入る最善のコース上である為、付近にはかなりの数の車が駐車されて全てがハンターの車であった。
嫌な予感を抱きつつ道を下って行くと、案の定湖畔は少し前に処理された鹿の鮮血で、真っ赤に染まっていた。
1時間と少し過ぎた頃、回収した荷物を背にして林道に戻った私は,ハンターの中に見かけた顔を見つけてホットしたのも束の間、彼らから罵声を浴びるのである。

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遭難翌日、雪の中を歩く私

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TBSテレビ「世界ふしぎ発見」の一コマ
 
『お宅等、オオカミだオオカミだって騒いで山に入るのは構わないけど、遭難騒ぎでも起こされて、迷惑するのは地元なんだからな!
そもそもオオカミなんかいるわけ無いだろ!
90年以上も前に居なくなった物を,何馬鹿やってるんだ。
もし万が一出て来て見ろ!
この銃で撃ち殺してやるからな!
野犬だと思ったって言えば終わりなんだからな!
いい加減馬鹿を止めろよな!』
 
ハンター達は次から次に自分たちの勝手な言い分を並べた後、ふと思い出すようにこんな事を言い出した。
『何年か前この辺に良い犬が出てきてナ、一之瀬の方から山を越えて来たんだろうが、猟に使ったら面白いだろうと、皆で捕まえようとしたけど、駄目だった。
確か雄雌のつがいだったよ!そんな事位しかこの辺には無いよ!』・・・・・。

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ハンターが見た動物はこんな感じだったのか?
 
其れを聞いた私は喉許まで出かかった言葉をぐっと飲み込んで、ハンター達の嘲笑を背中に受けながら、その場を立ち去った。
ニホンオオカミと言う動物をイメージした時、ほとんどの人達は大陸オオカミを頭に思い浮かばせるのだが、そうではないのだ。
分類学のルール上に於いてニホンオオカミ(Canishodophilax)を考える時,オランダのライデン 自然史博物館にある剥製のタイプ標本抜きに外部形態を考えてはいけない。

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ライデン自然史博物館初代館長テミンク
 
ある生物の種や亜種の命名の根拠となる標本が”タイプ標本”であるのだから、ここから考察に入っていかなければ、とんでもない事になるのである。
私が以前、秩父野犬の写真を撮ったときも、福岡県の西田氏が祖母山中で撮影された時も、学識経験者の人達を含めてほとんどの人達がイヌ、イヌ、イヌ、の大合唱であった。
しかし、私達がニホンオオカミと呼んできた動物は、果たして本当にオオカミであるのか・・・?。
命名者のライデン自然史博物館初代館長、テミンク(Temminck)は“Canis hodophilax”と命名したのであって、オオカミの亜種である事を示す“Lupus”とはしていないのである。
と言う事は、極端に言うならば、Canis hodophilak(ニホンオオカミ)は犬であるかもしれないし、秩父野犬等が百歩譲って“オオカミ的特長よりも犬的特長を多く有していた”としても全く問題はないのである。
 
要はタイプ標本と比較した時どうであるか?と言う事なのであって、生態的に云々等は、当然論外と言える。
なぜならCanis hodophilaxはまだ生存の確認が成されておらないし、その研究が国内で始まったのは昭和初期のことであって、最後の標本は明治38年1月に奈良県で捕獲された若い雄である。
公に存在が認められていない動物の、生態を語ったとしても、現時点では真実と言えるわけが無い。

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ニホンオオカミのタイプ標本
 
上記のハンターと同様、自分のイメージで想像で語っているに過ぎない。
ただ剥製標本はそうとしても、タイプ標本の頭骨3点全てがイコールと思われない所に、私たち後世の研究者に混乱をもたらしているのだが、其れは其れとして、国内における初期の研究者と、テミンク(Temminck)等の認識に大きなずれがあった為に、科学的見地に立った分類が次の世代への課題となっていると言える。
彼らは自らの描くニホンオオカミ像を研究の出発点としたのである。

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画面右からA/B/Cの頭骨標本
 
この項を認める為、現在村役場の幹部になっているハンター氏に改めて話を聞いて見たところ、『あれはイヌだよ、あんたがなんと言おうと、甲斐犬の黒っぽい奴。
雄雌のつがい!万が一オオカミがいたとしても、あんな林道に出てくるわけ無いだろう!
40年も猟をやっていて、其れらしき痕跡に出会った事が1回も無いんだぞ! 
鹿が食い散らかされた跡とか、其れを食った後の糞とか、生きていればそういうのに遭うだろう』
『私はそういう痕跡を持っていますよ』
『お前もしつこいな!誰がなんと言おうとあれはイヌ、オオカミなんかいる訳ねえだろ!』
電話の向こうで興奮している姿が見えてきた私は、礼を言って静かに受話器を置かざるを得なかった。 
 
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「鬼の霍乱」でしょうか、ここ1週間ほど風邪の為節々が痛い状態です。
「蒼穹」の散歩だけは何とか行っていますが、今回は17年前のノートの記述を掲載しましたのでご理解下さい。
皆さま,悪い病気が流行っていますのでお気を付けください。

今まで公にしなかった事-1

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年明け早々、国有林内に設置していたカメラ11台を引き上げて来ました。
昨秋山中で、すれ違いざま云いがかりを受けトラブった事が有り、その人物が指摘していた箇所と合致しますので、その人物が国有林管理者に告げ口したのだと思っています。
国有林内にカメラを設置する場合、1年間の借地使用料が生じまして、台数が重なるとそれなりの費用が必要となりますので、台数の少なかった20年前は兎も角、現在は正直無許可での観察でした。
カメラ内には管理者の姿が映っていますので、外部からの通報が無ければ、或る意味で黙認されていたと思います。
カメラ設置の目的は「山域における野生動物調査」ですので、決してやましい事は無いのですが、この欄で掲示した様々な嫌がらせの通り、色々な価値観を持った人たちが存在しているのです。
つまり、私たちの活動を好意的に捉えてくれる人ばかりでは無い、と云う事です。

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中津川・西沢の入口

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中津川・西沢の大カツラ

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戸門剛さんの概略図、20146/13の体験
 
処で下記後半の文面は、皆さんの殆どが初耳の事だと思います。
敢えて公にしなったのは、現在同様、色々な問題が生じていたからです。
当時、同じ志を持ってオオカミ探しをしていた仲間の中に、違う考えを持っていた者が居り、私たちの行動を筒抜けにし、大きな弊害をもたらしました。
秩父市内の毛皮の所有者名を、秩父野犬の撮影場所を筒抜けにされ・・・。
その事実を知ったのは後々の事ですが、それ以降私は「来る者は拒まず」と云う訳には行かなくなったのです。
それは、現在のNPO法人になってからも同様です。

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この小冊子が問題の発端

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この小冊子にヌケヌケと実名で投稿

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毛皮と最初の所有者内田さん

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秩父野犬の撮影現場
 
1996101616時、秩父野犬と遭遇し写真撮影に成功したのですがそれは有馬渓谷での出来事でした。
 
【毛色は似通っていたが、10分前に出会ったカモシカとは雰囲気が全く違った動物が、左前方の小さな沢から顔を覗かせ、そして私の車の前に立ち塞がった。
大血川集落の名猟師黒澤武次氏から以前、既に絶えたとされる秩父の地犬「秩父犬」に付いて詳しい話しを聞いていたので、若しかしたら・・・と思ったのだが、ボンネットの先1mの位置から動こうとしない動物を観察していると、秩父犬とは似て非なる動物で、私が探し求める動物にそっくりで有る事に気が付いた。

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これしか残っていない秩父犬の写真
 
まだ何処かに幼さが残る動物は、私に対して興味津々のようで動こうともせず、車の窓ガラス越しに私を見つめていたし、動物の全てを脳裏に刻み込もうと、私も瞬きせずに見つめていた。
しかし自分の記憶力に自信を持てない事と、この喜びを共有せんが為、師と仰ぐ和歌山在住の井上百合子氏に携帯電話を掛けていた。
幾度掛けても繋がらない携帯の画面を見ると“圏外”の二文字が浮かんでいて、我に返った私は、ここが山中の谷底で有る事を認識したのだが、次の瞬間心に悪魔が忍び寄って来て、「目の前の動物を得ろ!今この体験が嘘でない証をする為に、車のアクセルを踏むべきだ」と、他人事の様に何かが囁いているのを感じていた。

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井上さん・右、と吉行瑞子博士
 
ブレーキに置いた足をアクセルに移そうと思った時、1年前私の腕の中で突然亡くなった愛犬の顔が浮かんで来ると同時に、乗っている車が車検切れで有った事にも気が付き、結局悪魔の選択を採る事は出来なかった。
弱い人間である私は、それをやらないで済む理由を、瞬間的に見つけていただけだったのかも知れない。
実を言うと大滝村山中からの帰りに、国道140号線を通らず、浦山から名栗に抜ける林道を選択したのは、’野性動物と会う機会を得る’ といった綺麗ごとだけでは無く、警察の取締りを避ける事も重要な要素だったのである。

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19951017日に逝った愛犬 

悪魔の誘惑を断ち切った私は、最後の手段として「写真を撮れば何とかなるのかな」と考えを変え、助手席に眼を向けたのだが、有るべき筈のカメラはそこに無かった。
その日に限って、正しくその日に限って、トランクにカメラを閉まっていたのだ。
一瞬なりとも眼を逸らしてしまった私だが、心配しつつ視線を戻すと、動物は相変わらず私に対峙した状態だった。
そこで私は「動物との信頼関係が築けた」と勝手に理解して、静かに運転席のドアーを開け、視線は動物から逸らさず、後ずさりしながら後部のトランクまで辿り着いた。
 
動向に細心の注意を配りながらカメラを取り出したのだが、元に戻した視線の先に動物の姿は無かった。
眼を逸らした時間は数秒だったので、安心していたのだ。
気配を残さず忽然と消えた状態だった。
最初に顔を覗かせた沢筋を探して見たものの、追い求めていた動物と出会えた満足感から、写真撮影の事はあっさりと言える程のあきらめようで、再び車のハンドルを握った私は、林道を下りだした。
20数年間オオカミ探しをしていた訳だが、「たった一回のチャンスで全て上手く事が進む訳が無い」と、心に言い聞かせてもいた。

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秩父野犬との遭遇現場
 
そもそもその日の山入りの目的は、ニッポン放送の企画で、来月始めに収録を行う場所の下調べの為だった。
言うならばそれ以外のことはプラスアルファー、おまけであった。
増して、私の人生を大きく左右する1日になるとは、思っても見ない・・・この周辺で何時かまた遭える・・・そんな気持ちが支配していた。

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番組のロケ現場

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ロケが終わった翌日参加者と
 
多分距離にして1km位だっただろうか?撮影をあきらめた動物とは違う、2頭のイヌ科動物が私と同じ方向を目指して歩いているのを発見した。
私は彼らの行く手を阻む様に車を停めて、少し様子をみた。
すると先ほどの動物と同じように私を見てはいるが、逃げる素振りもみせない。
私は車を降りて彼らに近づいてみた。
2頭は♂♀でほとんど同じ様な姿態をしており、明らかにカップルと思える。
側に近づくと異様に臭い。
何処かで見た動物の様だが何故か思い出す事が出来ない。
兎も角臭い動物だった。
 
当時、京都在住の民間研究者と“ニホンオオカミの爪は黒く在るべきか?”と言う点で議論をしていたため、爪を見てみる。
雄は見える範囲で全て黒い。
雌は・・・黒く無い爪も在る。
乳房も少し垂れた状態で、授乳が少し前に終えた様だ。
しかし、身近な所で出会っている筈なのに、思い出せない。

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タイプ標本の前肢の爪
 
先ほど用意したカメラでとりあえず写真をとらなければ・・・と考えていた処、私が今しがた下って来た方から,1台の車が来ると2頭の動物の後ろに止まった。
丁度2台の車が2頭の動物を挟み込む様に。
運転していた若者が私に近づくと「おじさん、そのイヌ、おじさんのイヌ?」と聞いてきた。
「いや、私のイヌではないけど変な動物だよね」と答えるとその若者は「変なイヌって上の方にもっと変なイヌが居たけど」と言い出して来た。
驚いた私は「上ってどの辺?これこれこんな感じじゃなかった?」と無理矢理同意を求めながら場所の確認だけすると、Uターンの出来る場所を求めて急いでアクセルを踏んだ。
 
少し走ると広いスペースではなかったが、何とかUターンできる場所があったので、何度か切り返しをしながら必死の思いでハンドル操作をしていると、後ろのバンパーに思わぬ衝撃が走った。
ガードレールに車がぶつかったその時、胸のつかえが降りるように、ほんの少し前まで観察していた2頭のイヌ科動物の正体が明らかになった。
『ライデンのタイプ標本』だ!。
何ということだ。
両方撮れれば其れに越した事はないが、24枚撮りのフイルム1本しかないし・・・。
どちらを選択すべきか迷いつつ先ほどのところに戻ると、運良く()つがいのイヌ科動物は、そこにはもう居らなかった。

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この標本そっくりの動物がペアーで
 
選択肢の無くなった私は、吹っ切れた状態で青年から教えられた所まで戻ったのであるが、そこにはもう何も居らず、上の方へ移動したのか?との思いでゆっくり探しながら車を運んだ。
10分以上走りながら、ここまでは来ていないと判断できる広いスペースを見つけると、落胆の気持ち一杯に“やはり縁が無かったんだな!”と自分に言い聞かせながら、それでも諦めきれず心の隅に“もしかして・・・”の思いも抱いて、林道を下って行った。
この林道上で一番嫌らしい場所-二つのヘヤピンカーブに挟まれた上、急斜度で狭い沢沿いの箇所―を過ぎてホット一息つくと、進行方向右手の沢底から道路に出ようとしている動物が居ることに気がついた。

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秩父野犬を探し回った周辺

今まで公にしなかった事ー2

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1月中旬にインフルエンザA型に疾患して5週目になりますが、思ったように体力回復が為らず、山中のカメラメンテナンスも滞っています。
ただ、イヌの散歩だけは欠かすことが出来ず、その日の体調に応じたやり方をしているのですが、最近幾つかの散歩ヵ所で、下記の張り紙を見掛ける機会が有りました。
こうした事は然程珍しい事では無いので、余り気に留める事はありませんでしたが、或る日荒川の土手で、探し主とお会いして詳細を伺えましたので、皆さんにお知らせ致します。

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探し主の山口さんー090-8346-5017です
 
昨年4月に行方不明となり、情報が届く都度そこまで足を運んで探す・・・私のオオカミ探しと重なり、とても他人事とは思えなくなったのです。
本年2月4日(月)に鶴ヶ島市の運動公園で見かけた人が有り、40代の娘さんが黒のプードルを、そのお母さんが当該のイヌを散歩していて、はっきり保護イヌと申したそうです。
情報提供者は母娘の居住先を聞いたらしいのですが、失念してしまったそうで、運動公園からは車で2030分の距離らしいです。
私としては、飼いイヌが1時間でも行方不明になれば気が狂ったように探すのですが、それを11ヶ月近くも続けているのです。
どんな小さな情報でも、連絡先までお知らせ戴ければと思います。

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鶴ヶ島市運動公園略図

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圏央道鶴ヶ島インター近くです
 
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さて、ここからが前回の続きとなります。
【距離が思いの他有った為、間違いなくその動物であると確認できるまで・・・時間にしたら数秒の事だったのだが、・・・そのもどかしさと言ったら無かった。
道路に出てから少しだけ私の方に向って来たのだが、私の車を確認した動物は左足から右足に重心を変えて、私の進行方向である緩やかな下り坂を急ぐともなくトロットで歩いて行った。
沢沿いに続く林道を40~50メートル経ると直角に近いカーブが有り、その角はまるで御伽噺のこぶとり爺さんに出てくる瘤のようになっている。
瘤の中に入ってこちらを見ながら、車をやり過ごそうとしている動物の前に車を止めて、私は窓から身を乗り出した状態で、続けざまに4回シャッターを押した。

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瘤の中で私を見ている秩父野犬
 
動物の後ろには地元の林業事務所の看板が設置されており、プロポーションを知る上ではお誂えむきとも言うべき状態の場所であった。
ストロボ連動にセットされてはいたが、2回目のストロボは作動せず、もう少し近づいて写そうとドアーに手を触れた時、動物は瘤の外に出て下り始めた。
先程カメラを取り出した時、接写用の50㍉マクロレンズから250㍉の望遠レンズに変えておくべきだったのだが、慌てていたためセットされたままの状態で取り出して、ストロボを付けていただけだったのである。
 
瘤の先からは切り立った崖の為かガードレールが施設されている。
瘤の外に出てから2回程シャッターを押すと、車をガードレールぎりぎりに止めて私は動物の行く手を遮った。
すると敵意を見せるでもなく踵を変えて、何度か行ったり来たりを繰り返したので、動物に合わせて車を移動させながら、その後13回のシャッターを押す事となった。

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瘤から出たばかりの秩父野犬

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ストロボが作動しなかった際の写真

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行く手を遮られ戻った際の右側面写真

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同じく右側面からの秩父野犬
 
今までのプロセスで絶対に襲われる事が無いと確信した私は、直角に近いカーブの手前に戻った時、運転しながらつまんでいた煎餅を片手に、どんな行動をとるか興味を持ち、思い切って車の外に出てみる事にした。
動物は私との距離を測りながらガードラインを保ちつつ、かといって逃げる様子を見せるのでも無く、差し出した煎餅にも全く興味を持つ事無く、言わば“困った素振り”を続けていた。
出来るなら体に触れてみたいとも思ったが、数十分前一度諦めた事でもあり、これ以上を望む事は動物を困らせるだけと思い直し、車とガードレールの間を開けて進む道を作ってやると、私からの束縛を逃れた動物は、一度も後ろを振り返る事無く林道を意のままに下って行った。

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秩父野犬を鑑定する際に重要な写真

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科博の全身骨格を透写するとご覧の通り

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極々接近して撮影した写真―1

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極々接近して撮影した写真―2
 
多くの満足感を得た私は、少し距離を作って付いて行ったのだが、3個目のカーブの左側に有る細い山道に迷う事無く入って行った。
一番初めに遭遇した場所は眼と鼻の先で、これ以上深追いしなくても今度また来た時に遭えるような気がして、私は車の中で動物の後姿を見送っていた。
最初の出会いから後姿を見送るまでの凝縮された時間は、夢の中の出来事の様であり、大袈裟に言うならば私の人生を変えた30分だった。

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細い山道に消えて行った
 
全てが予期せぬ出来事だった為、ライデン自然史博物館に有るタイプ標本の動物と思われる2頭の撮影は逃したものの、長い事求めていた動物の写真撮影に成功した私は、ニホンオオカミ研究の第一人者、今泉吉典博士に19枚全ての写真と書簡をお送りし判断を仰ぐ事とした。
今までにも秩父市内の毛皮、幾多の頭骨等で教えを戴いており、私たち民間研究者にとって博士はシンボル的存在の学者だったのだ。

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今泉吉典博士
 
『多忙の所大変恐縮ですが、1996年10月14日(月曜日)PM4:00~4:30の間、秩父山中にて、写真のイヌ科動物に遭遇致しました。
そのときの天候は雨です。
声は全く発生しませんでしたので、鳴き声等は不明ですが、幸運にも写真撮影が出来ましたのでお送りする次第です。 
 
まさか・・・とは思いますが、ヒョットすると・・・とも思えます。
大きさは柴犬よりも大きく秋田犬よりも小さい。
紀州犬位でした。
雨中でしたので、全てフラッシュ使用です。 
はるか昔、斎藤弘吉先生が、奥多摩山中でつかまえて、少しの間飼育した犬科動物が、多分同一地域と考えられますので、もしかしたらとは思いますが、今泉先生の所見をお願い致したく、送付する次第です。
次から次へと難題ばかり、お願い致しまして大変恐縮ですが、宜しくお願い申し上げます。
今泉先生     1996年 10月26日   八木  博 』 
 
待ちに待った博士からの手紙が私の元に届いたのは 月を一つ跨いだ12月2日のことであった。
博士からの書簡は、私の撮った写真の動物を“秩父野犬”と仮称し、ライデンのタイプ標本との比較をしつつ12点の類似点を例示、秩父野犬とは何であるか?との導き方をされていた。
タイプ標本と写真での比較を行なった上で、今泉博士の目にピッタリ一致すると思えたのはどの様な点なのか?原文のまま記して見る事にする。

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ライデンのタイプ標本
 
八木  
拝復 雑用に負われて10月13日に頂いた御手紙と頭骨写真のお礼も未だ申し上げていない所に、今度は秩父の山中で10月14日に撮影された貴重な野犬の生態写真を見せて頂き、お礼を早く出さねばと思うものの迂闊に返事が書けなくなって困りました。
というのは写真の「秩父野犬」がニホンオオカミのタイプ標本(ライデン自然史博物館の夏毛)にそっくりなのですが、頸に首輪を吐けていたような毛並みの乱れがあり、人をあまり恐れていないようにも見えるので、噂のように狼とハスキー犬等の雑種「狼犬」を誰かが放したのかも知れないと心配になって来たからです。
 
しかし「狼犬」に「秩父野犬」のような耳介の短く丸い個体が現れるものでしょうか。
その可能性は低いとしか思えませんが、そうすると「秩父野犬」はニホンオオカミの生き残りということになってしまいます。
雉鳩その他の野鳥や狸のようにニホンオオカミも人を恐れなくなってのこのこ人里に出てきたのでしょうか。
「狼犬」を除いて考えれば、「秩父野犬」は二ホンオオカミ-Canishodophilax-のタイプ標本(ライデンの自然史博物館所蔵の夏毛の本剥製)に酷似していて相違点が私には全くみつかりません。

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愛知県在住・鈴木さん飼育の狼犬
 
タイプ標本にぴったり一致するのは
(1)耳介が短く前に倒しても目に届かないこと(大陸オオカミCanis  lupusは耳介が長く前に倒すと目に達する)。
(2)前肢が短く体高率(体高/体長×100)が約50%(写真13)に過ぎないと思われること(タイプは48,5%。大陸オオカミは体高率が高く、ソウル昌慶苑飼育のチベットオオカミCanisl,chancoの写真では約62%、Brown,1983が調べたメキシコオオカミC,l,baileyiのそれは65,7-71,4%)。
(3)耳介の前に始まり下顎に達する長毛の塊(頬髭)があること(この特徴はBrownが初めて指摘したものでタイプにこれがあることは写真で確認。頬髭は日本犬やデインゴにはない。しかし大陸オオカミには顕著な頬髭がある)。
(4)胸と腰の上半分を覆う毛は胴下面の毛より長いマントを形成するが、この部分の毛は基部が灰色で先1/3だけ黒いため霜降り状を呈すること(普通の犬にはマントがない。しかし大陸オオカミにはある)。
(5)背筋には先1/2以上が黒色の更に長く、且つやや逆立った毛で形成された黒帯があり、その外縁が肩甲骨の後縁に沿って下降し菱形班を形成すること(普通の犬には黒帯がない。大陸オオカミには時に見られる)。
(6)尾の上面基方1/3にはスミレ腺の存在を示す黒班があること(写真16。Brownによると犬にはない。大陸オオカミにはある)。
(7)尾端が黒いこと。
(8)耳介の後面と頸側(写真17)及び前肢外面(写真7)には先の黒い毛が殆どなく鮮やかな橙赤色を呈し、灰色のマント部に対照する二色性を示すこと(二色性は犬や大陸狼では稀)。
(9)前肢全面、腕関節の上方に暗色班があること(写真7,9,17。犬では稀、大陸オオカミでは約半数に現れる)。
(10)目の周りに鮮明な淡色班がなく特に四つ目でないこと(大陸オオカミでは殆ど常に明瞭な淡色班があり、しばしば四つ目を形成する)。
(11)顔に額段(ストップ)がなく、吻が前頭部に対してしゃくれていない。このため吻上面に接する平面が目の上と耳孔より上の耳介前縁基部を通る(写真8,大陸オオカミには軽度の額段があり、吻上面が前頭部に対してしゃくれていて、吻上面に接する平面が目と耳孔を通る)。
(12)足底(前後足の地に接する部分)は中度の楕円形のようである(タイプでは計測不能であったが、ロンドンの鷲家口標本では前足が55×74ミリ、後足が46×60ミリであった。大陸オオカミはもっと細長いようである)。

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136781011・の識別点

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2459・の識別点

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(写真1812・の識別点
 
「秩父野犬」に見られた以上12の形質は全てニホンオオカミのタイプ標本に一致するが、大陸オオカミとはこのうちの1,2,8,10,11,12,が違い、日本犬やデインゴに似た犬とは1,3,4,5,6,8,9,11,12が違う。
したがって「秩父野犬」の形態は二ホンオオカミに最も近いと断定できる。
さらに「秩父野犬」の耳介は外縁が耳嚢bursa上方で強く前方に屈曲し、先端部が丸い(写真9,10,19)が、これは耳介の外縁の曲がりが弱く先が尖った日本犬や大陸オオカミとは顕著に違う特徴だと思います。
これに似たオオカミは私が別種と考えている北極オオカミCanis arctos(全身白色)と二ホンオオカミ(秩父の毛皮)しかないようです。

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頭骨から紐解くニホンオオカミの特徴
 
ただ残念なのはニホンオオカミのタイプ標本でこの点を確認していないことです。
二ホンオオカミは大陸オオカミに近縁な動物でその亜種に過ぎないと長い間考えられて来ましたが、どうやら全く別の種のようです。
しかし「秩父野犬」も冬毛になればオオカミらしい姿になるのではないでしょうか。
なお「秩父野犬」の左右両足には狼爪がありますが、紀州犬の80%には狼爪がある(太田、1980)そうですから、これは残念ながら識別形質と見なすわけには参りません。
もっと詳しい報告を書きかけていたのですが突然週刊誌においかけられ、慌てて要点のみ御報告することにしました。
不完全ですがお許し下さい。 
「秩父野犬」の正体はともかく、ハスキー紛いの狼犬ではなく二ホンオオカミの生き残りの可能性がある貴重な動物であることだけは確かです。
この正体は今後の調査によってしか解明されないでしょう。
調査と保護に全力をつくされるよう期待しています。         敬具          
 1996年11月29日       今泉  吉典      

今まで公にしなかった事ー3

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218日、6週間ぶりのカメラメンテナンスに行って来ました。
朝早いと云う事を除けば、寒くも暑くも無い絶好の登山日和で、私の体調を心配して2人の若い会員さんサポートの中でした。
厚・薄の靴下を履き違えたり、準備に手間取った点は有りましたが、「昔取った杵柄」で、体調不良でも何とかなるものだと実感した次第です。

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ハンターに誤射されないよう派手な格好です

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現在通行止めの中津川林道開通時
 
近況は別にして、ここからが前回の続きです。
 
翌年私は、マスコミを通して今泉博士の書簡と共に写真の動物を提示したのだが、蜂の巣を突付く騒ぎ!とはまさにこの事で、予想をはるかに超えた反響が私の周辺を襲った。
生存に繋がる新しい情報は兎も角、多くのマスコミ取材依頼と共に、首を傾げたくなる様な電話も頻繁に架かって来たのだ。
私が撮影した十九枚全ての写真を提示した第三者は今泉博士ただ一人であり、世間に公表した写真はその四分の一に過ぎない。
部分部分を捉えてアレヤコレヤと異議を唱える・・・一般人なら兎も角、名を出せば吃驚するような著名人も、マスコミの求めに応じてしたり顔で語っていたのだ。
知らない事を“知らない”と言えないで、自分の中のイメージでニホンオオカミを語る・・・初期の研究者が犯した過ちを70年後にも再び繰り返していた。
 
“耳のプロフィールがすっきりしてないから犬である!”
“スミレ腺は猫にも有る!” ・・・等等。 
耳のプロフィールがすっきりしてないから犬であると言うなら大陸オオカミの群れの中にどれだけの犬が混じっているのだろうか?
タイプ標本に存在するスミレ腺が秩父野犬にも有ると述べているのであって、ニホンオオカミ個有の特徴であるとは言っていないのである。
様々な批判中傷が飛び交う中で呆れるだけで笑うしかない私がいるのを感じていた。

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両耳の赤丸部分がすっきりしない・・・とイヌ?

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尾のスミレ線
 
今泉著「分類から進化論へ」に依ると心配なタイプ判定システムの崩壊として、以下のように述べている。
『どうしても許せないと思うのはリンネ式の類型分類、つまりタイプシステムを逸脱した偽りの統合分類がはびこりだした事である。
と云うのは、タイプシステムのおかげだと思うが、統合分類の中には、タイプシステムの原則を無視したものが少なからず見られるからである。
そして、タイプシステムを厳守するには、タイプ標本を保管する施設がどうしても必要である。

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今泉著「分類から進化論へ」
 
ところが分類学が普及するにつれ、タイプ標本の保管場所が、北米、南米、インド、ニホン等とヨーロッパ以外の国にも分散するようになり、いちいちタイプ標本を調べに出向く事が困難になってきた。
このためタイプ標本を見ないで、現記載だけで同定する安易な分類が横行するようになった。
これが偽りの統合分類をもたらしていると思う。』
タイプ標本との比較の重要性を訴えつつ、写真での同定が不可能である事を、「相違点が見つからない」と云う表現にしているように、私には思えてならなかった。

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今泉先生の追悼抄
 
ところで秩父野犬遭遇のきっかけとなった、ニッポン放送の収録は11月初めに荒川の支流安谷川の上流部で行われた。
当初、日本音響研究所で創作したニホンオオカミの咆哮を山中に流し、それに応えてくれるであろう生体の咆哮を収録するのが番組のテーマだったが、私の撮影した『秩父野犬』に関してがその日の最大の話題になってしまっていた。
呼びかけに応じて10数名の仲間が集まったのだが、今泉博士からの書簡はその時点で私の手許に与えられておらず、それぞれが自分のイメージでニホンオオカミを語るだけで、本来するべきはずのタイプ標本からの擦り合わせは、全くと言ってよいほど行われなかった。
多くの者がオオカミ好きであっても、ニホンオオカミ研究者足り得ず、そのジレンマは最近まで背負わざるをえなかったのである。

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写真中央が音響研究所の鈴木松美氏

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ニッポン放送収録の翌日記念写真を

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フジテレビの松尾氏と談笑
 
秩父野犬との遭遇を遡る事1年前の1995年11月始め、秩父の最深部大滝村三峰神社で、ニホンオオカミに興味を持つ人達が集まり、様々な意見交換をした事があった。
関東地方では初めての二ホンオオカミフォーラムと云う事も有り、十指に余るマスコミに取り上げられると今までの活動が多くの人達に知られる事となり、私がコツコツと収集した情報など比較にならない程のオオカミ体験事例が入って来た。
全てが正しい情報とは思えなかったが、連絡先等がはっきりしている事柄に関しては一つ一つ足を運んで、聞き取りの再確認を行なった。
足を運んだ範囲は日本全国と言える位の広範囲で、そのことに費やしたエネルギーも大変だったのだが、努力に応えてくれるだけの喜びも多かった。

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フォーラム参加者と記念撮影
 
その中の一つが飯能市在住の茂木章氏をはじめとする4名の遭遇体験で、彼等は埼玉県警の現職警察官だった。
それも、時の本部長直々の発想で創られた山岳救助隊一期生。
19906月最初の日曜日の事で、場所も昔から二ホンオオカミの体験事例が多い山での遭遇だった。
 
三峰神社正面に立ちはだかる和名倉山(2036メートル)頂上から、東側に派生するナシ尾根上部まで、深い藪に悩まされながらも登っている時の事で、先頭を歩いていた茂木氏と内山氏がその動物に気付いたとき、その動物は4人の動作を注意深く観察している最中だった。
絶滅を信じていなかった茂木氏は、驚きはしたものの、不思議な気持ちにはならなかったと言う。

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退官後の茂木章氏と私

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ナシ尾根上部の赤丸周辺が遭遇現場
 
5メートルの距離をおいて2人の人間と動物は長い時間見つめあっていたが、人間の観察に飽きたのか動物は踵を返して間もなく見えなくなった。
もしかして後続の二人の存在が気になったからかもしれない。
その時の様子を茂木氏はこう表現している。
 
『お互いに、敵意が無いことを確認したあと、ずーっとながい事(30秒位)、良い雰囲気で、見詰め合っていた。
躍動的で肉付きが良く、しっかりとした顔立ちで、牙が大きいのが印象的だった。
耳は立っていて、尾はフサフサして尾端はスパッと切れたようになっていた』。
 
そして二人はその時、たった一言『いまのは、オオカミだったよね!』と会話を交わしていた。
茂木氏等が二ホンオオカミの絶滅を信じていなかったのは、懇意にしていた甲武信小屋の主人千嶋兼一氏から、「小屋の前の真沢方面から二ホンオオカミの咆哮が時々聴こえて来る」と、教えられていたからだった。
 
10年近く私と共にオオカミ探しをしていた京都の岡田直氏も、友人が甲武信小屋に勤めていた際、「小屋の前の沢でオオカミがよく啼いている」と聞かされていた為、半年間も山に篭っていられたのだ。

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現在の甲武信小屋
 
埼玉県警の現職警官が、フォーラムでオオカミ体験者として発言したなら、生存説への影響力は限りなく大きくと感じた私は執拗に参加を願ったのだが、茂木・内山氏のどちらも、「世間を惑わす様な発言は、公務員として、現職警察官として出来る事では無い!」と、頑なに断り続けたのだった。 
たら、れば、の世界になってしまうが、1995年のフォーラム時茂木氏等が体験談を発表していたなら、今泉博士の論文発表と合わせて、違った反響になっていたと私には思えるのだ。

ようやく冬も去り

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Yahooからのメッセージがあり、ジオシティーズは今月末で、それよりリンクしているこのブログは随時終了となります。
ブログを開設して10年弱、アクセス数も20万件を超え、皆さんのオオカミに関する熱意が伝わって来ています。
生存に関する新しい情報も、このサイト経由で沢山届けられました。
誠に有り難う御座います。
4月以降はどの様にするか・・・現在検討中ですが、何か良いアイデアが有りましたら、お知らせ戴きたいと思う次第です。
 
1月のインフルエンザから何とか逃れることが出来、32日(土)久し振りに単独山行をして来ました。
2月下旬から天候不順の日が続きましたので、束の間の晴れ間を見つけて・・・の山行でしたが、ここ数年は未だ大丈夫・・・そんな気持ちが湧き出た一日でも有りました。
それもこれも、朝晩のイヌの散歩がもたらしてくれているのかも知れませんが、とすると、感謝です。

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秩父湖は氷が張っていました

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蒼穹号の今日この頃

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運動が過ぎた日はこんな姿に
 
我が家は川越市・旧大宮市・上尾市の境に在りますが、蒼穹の散歩は車で5分の土手になります。
荒川・入間川・沿いの河川敷には多くのグランド・ゴルフ場が在り、時間にも依りますが格好の散歩(運動)コースとなります。
1115日から215日の狩猟時期はパン・パンと乾いた嫌な音が聞こえて来るのですが、3月に入ってからは気の早いウグイスの鳴き声、菜の花も咲き始めます。
土手一杯に菜の花が咲き誇る様になれば、近くのミツバチも大賑わいになる筈です。

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土手はサイクリングコースです

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晴れた日は奥に浅間山・日光連山が

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一冬越したミツバチの巣箱

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冬を越せなかったミツバチも
 
16時過ぎになりますとゴルフコースにお客様の姿も消えて、蒼穹の運動場と変わります。
先ずはじめに、ロストボール拾いをやりまして、それを力一杯投げ蒼穹が持ち帰って・・・その繰り返しを5コース位回りながらの運動です。
私にも蒼穹にもこれ以上無い運動となるのです。
 
ゴルフ場にとって私たちは、招かれざる客なのでしょうが、カート道を通って移動していますから、今のところ穏便に済んでいる処です。
このコースは荒川を跨いだところにクラブハウスが有りますので、よこしまの人間は係りが滅多に来ないのを知ったうえ、無料でコースを廻っているのです。
「イギリス発祥の紳士のスポーツ】で有るゴルフなのですが、そんなことを知らない人達なのでしょう。

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紳士では無い人たちの車
 
同じコースで同じことをしていると双方とも飽きちゃうので、広い川敷を色々の楽しみ方をしています。
最近一番吃驚した事は、ニワトリが4羽捨てられていた事です。
二日後には3羽になっていましたので、外敵に食われたのかも知れません。

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河原での寒さを凌ぐニワトリたち 

この河川敷には外敵である、キツネ・イタチ・タヌキ・ネコが見られます。
そして、もっと悪質なのはニワトリ・ネコ等を遺棄する人間。
どこの河川敷も同じなのでしょうが、産業廃棄物・家庭廃棄物を捨てるヒトたち。

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この奥に未だ沢山・・・

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国土交通省の張り紙が
 
冬枯れの河川敷に現れたビニールハウスにも吃驚しました。
廃屋かなと思い足を運びましたら、しっかり生活の跡が見受けられました。
河川敷を耕し、野菜の栽培をしている様子です。
ここの住人では無いと思いますが、10年位前、直線距離で500mの場所に、大麻栽培している場所を見つけた事が有ります。

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左奥が住まい・右に荒川が
 
荒川・入間川沿いで魚釣りを楽しむ人たちも非常に多いのですが、良いポイントは他人に譲りたくないものです。
その為、度が過ぎた場所の確保をするべく、河原に建造物を作ってしまうのでしょう。
ご承知の通り河川の管理は国土交通省が行っていますので、こんな張り紙をされてしまうのです。
尤も、国有林内のカメラ11台を引き上げて来た私ごときが、申す事では無いのを承知の上です・・・が。

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釣り場への入り口にはテープが

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対岸も同様の景色が

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国土交通省の張り紙が

早春の山で

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3月に入りNPO法人の決算業務、東京都水源林内・東京大学農学部演習林内への調査更新手続き等が重なる中、yahooホームページの移転手続きも有りまして慌ただしい毎日を過ごしています。
 
1月にインフルエンザをこじらせ、2月の天候不順で入山がままならずカメラメンテナンスが滞っている中、
3月に入ってから2日・10日・13日と、晴れ間を狙って遅れた作業を挽回しているのですが、未だ4ヶ所の作業が残っています。
34月に掛けて野生動物は活発に行動を起こしますので、残りの2週間で何とかこなそうと思っているのですが、果たしてどうなることやら。
 
何時も車の運転をやってくれる会員のYさんは、山中でも素晴らしい能力を発揮してくれます。
野生動物の気配をいち早く察知し、「xxの鳴き声がする・xxの気配がする」と、必死で歩いている私に教えてくれるのです。
10日の山行も一緒でしたが、路上のハクビシンの死体、すぐ後に2頭のカモシカを発見、山中で”オコジョ”を見つけ教えてくれました。
そして間もなく岩場で日向ぼっこをしている猿の群れを見つけたのもYさんでした。

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目の前に現れたカモシカ

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サルたちが日向ぼっこ

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保護色で雪上のオコジョ
 
年齢とともに体力が落ち、足下だけを見て歩く私は眼も耳も悪くなりましたので、若い会員さんたちの存在は心強い限りです。
数日前に降った雪の残る山道でしたが、冬眠から覚めたクマの真新しい足跡が現れた時はYさんに言おうかどうか迷いましたが、これも現実ですから時間にサバを読んで教えました。
足跡の状況からして10分前後のすれ違いだと思いましたが、Yさんは私の心中を察していた様でした。
5年近く動物観察に同行していれば、その足跡が半日前か1時間前か判って来るのです。
クマにしてみれば私たちは、「招かれざる客」ですし、私も若い会員さん達には「私たちが作業している場所は、野生動物達に先住権がある」と教えていますので、全て穏便に済ませたいのです。


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岩手県博所蔵のイイズナ

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車にはねられたハクビシンの子供

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SDカードに納まったクマの家族
 
登山口の林道上に整地用の車両が停まっていましたが、右前の大きなタイヤがパンクしていました。
私が調査している十数ヶ所中で最も気を使う悪路で、出来るだけ後回しにするコースです。
昨年、同じ林道上で私の車もパンクして冷や汗物だったのですが、「このタイヤがパンクするなら、私のタイヤなら”さもありなん”」と思った次第です。

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林道整備中だった車両

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右前のタイヤがご覧の通り
 
13日は、会員の晒(さらし)さん・横山(美佐子)さんが昨年12月に設置したカメラの、最初のメンテナンスでしたので指導方々同行したのですが、危険な場所も無い為「蒼穹」も一緒でした。
蒼穹と山に入るときは”ノーリード”を常としますが、このコースは登山者が多い為最初から最後までリードを離さず歩きました。
と云っても、同行の会員Yoさんが一緒に歩いてくれたのですが・・・。

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横山(美佐子)さんと蒼穹の2ショット
 
5台のカメラメンテナンスが終わり帰り道を辿ったのですが、先頭を歩くYoさんが雪上のイヌ科動物の足跡を見つけました。
勿論、蒼穹とは違う足跡です。
1台目のカメラ設置位置から5分位下った場所に刻まれた足跡で、トロット歩行のそれが2030m続き山中に消えていた、誰でもイヌ科動物と判る足跡でした。
写真撮影・計測等をしていると若い女性の登山者が登って来ましたので、途中イヌ科動物を見なかったか尋ねるとすぐさま首を振られました。

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こんな感じで雪上を30mくらい

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逆光でしたが見事に撮れました

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足跡幅はご覧の通り

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長さは・・・計測器は常に持参
 
時計の針は1200でしたので登山者に目的地を尋ねると、山中泊で雲取山(2.017m)経由鴨沢との事。
話をするとたどたどしさが残る日本語でしたので、Yoさんが国籍を聞くと「タイ国」で、地図も磁石も持参の様子。
少し安心し足下を見るとスパッツもアイゼンも着けていないので、持参の有無を聞くとアイゼンを持って来なかったのを後悔している感じです。
 
このまま見過ごしてはまずいので、履いているアイゼンを渡すと、「優しい・優しい」の連続です。
しきりに私の住所を聞くので、アイゼンはプレゼントする旨伝えて彼女を見送ったのですが、その日は朝から寒い一日でした。
山中の何処に宿を取ったのか、無事、鴨川まで下れたのか・・・そんな心配が数日続く今日この頃です。

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蒼穹の忍法隠れみの術

無礼な女性

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年度末で多忙真っ盛りだった7日の夕食時でした。
家電が鳴ったのでナンバーディスプレーを見ると見知らぬ人の様でした。
一度でもお話した人は携帯に電話をくれるので、通常はそのままにして置くのですが、どういう訳か電話に出てしまいました。
 
奈良県在住の村田と名乗る女性で、骨董品を扱っているのだが、倉庫の整理を頼まれ、その中から「オオカミと思われる毛皮が出て来た」と興奮口調でした。
ニホンオオカミの最期とされている標本が採集された、東吉野村の近隣高取町の民家に眠っていたから若しかしたら…と思い連絡したとの事。
私としても、圧倒的に標本数が少ないニホンオオカミの毛皮であるかもしれないとの気持ちの中で、食事を中断して女性の話を聞いていました。

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劣化した高取町の毛皮
 
頭胴長120cm、尾長40cmとの事なので、その点はニホンオオカミである事を否定する材料にはならなかった・・・つまり、大きさ的にはニホンオオカミの毛皮としての範疇に入っていたのです。
三峯博物館に常設展示されている毛皮の1点は125cm、30cmであるし、もう1点も120cm、30cmです。
この毛皮2点が発表される前は、頭胴長100cm、尾長30cm(それぞれ約)とされていましたが、それは標本事例が少なかった頃の事でした。

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秩父の民家で見つかった毛皮(三峯博蔵)

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リニュアル後の三峯博蔵毛皮

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三峰博蔵の二つ目の毛皮
 
私の下に山中での遭遇事例が寄せられる時、最初に伺う事は「耳の大きさと寝ていなかったか」、「尾は巻いていなかったか」の2点で、その次に体長・体高・体色と続きます。
生体の場合観察時間が限られているので、「その動物は何に似ていましたか?秩父野犬?祖母野犬?」「大きさ的に秋田犬くらい?四国犬くらい柴犬くらい?」そんな質問もします。
勿論、何時・何処で・誰と・・・それらの点も重要です。

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秩父野犬
 
タイプ標本と秩父野犬の比較の際今泉博士が述べられた12点の類似点は、
1,短い耳介 2,前肢が短く体高率が約50%程度 3,頬髭 4,マント 5,黒帯
6,スミレ腺(臭腺) 7,尾の先端が黒い 8,二色性 9,暗色班 10,四つ目ではない
11,額段がない 12,楕円形の足底
ですが、電話の村田さんにもそうした点を聞きながらの話の進め方でした。

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タイプ標本

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身体的12の特養

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僅かに残った背面の毛

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尾にはスミレ腺らしき模様も

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毛皮の裏面

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この部分は右後肢
 
しかし体長等の他にこれはと云った材料が見当たらない様子です。
標本はその謂れが重要ですので、倉庫(標本)の所有者から聴く事を薦めたのですが、不可能との事。
八方塞がりの中、出来るだけ多くの写真送付を依頼して電話を切り、冷めた夕食を口にしました。
話の途中で村田さんは「オオカミの遠吠えと思われる咆哮を幾度も聴いた」と云うので、むしろ私はその方に関心が移る感じでした。

イメージ 12
頭胴長は120cm弱に
 
送られて来た添付ファイルは3通で合計29点の写真が有りましたが、いずれの部位も保存状態が悪く、例えば、1の耳介に関しては右耳が欠損、左は中途で切断。
2の前肢は左右とも無く、後枝も不完全な状態、尾のスミレ腺がある様な無い様な・・・。
ニホンオオカミとしてよりオオカミであるか無いかの識別も難しい毛皮でした。

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耳介部分

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尾は細く引っ張られた様子
 
ちなみに、村田さんからの文面を表記します。
From: kyoko murata
Sent: Thursday, March 7, 2019 8:18 PM
To: hodopcanis@yahoo.co.jp
Subject: 先程お電話いたしました村田と申します
お世話になります。
先程はありがとうございました。
狼の毛皮らしき物の画像送信いたします。
画像サイズが大きいと表記されますので分けて送信致しますね。】
 
From: kyoko murata
Sent: Thursday, March 7, 2019 8:23 PM
To: hodopcanis@yahoo.co.jp
Subject: 狼?画像2です
画像2です。】
 
From: kyoko murata
Sent: Thursday, March 7, 2019 8:30 PM
To: hodopcanis@yahoo.co.jp
Subject: 狼?画像3です
狼?画像3です。
これで以上です。
詳しく見たい部位ございましたらお待ちしております。】
 
送付された写真は殆どが46枚の集合写真でしたので1枚づつ切り分け、所有のファイルと比較したのですが、彼女の望む結果にはなりませんでした。
そして4日後に以下の返事を送信しました。

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ご覧の通り7枚が纏められて
 
-----Original Message-----
From: 八木 博[@yahoo.co.jp]
Sent: Monday, March 11, 2019 3:28 PM
To: 'kyoko murata'
Subject: RE: 先程お電話いたしました村田と申します
村田 さま
送られて来た29枚の写真拝見しました。
想像以上に劣化した標本でしたので、添付ファイルに記された今泉博士の仰る12の識別点の殆どが不能です。
(ブログからの添付ですから、村田さんもご覧になっているかも知れませんが)
その為毛皮がオオカミだとする判断、そうでは無いとする判断にもつながりません。
 
頭胴長120m、尾長40mはニホンオオカミとしての許容範囲ですが、この辺は毛皮作成時の問題とも考えられます。
奈良県高取町の古民家から見つかったとしても、動物の採取地点としての判断には繋がりませんし・・・。
多分どなたの処にお願いしても、同じ判断をすると思います。
 
遺伝子レベルでの識別にしましても、ニホンオオカミに関しては毛皮での識別が為されて居らず、現段階では不可能と思えます。
(骨に依るミトコンドリアDNAは為されていますが、毛皮からの核DNAは為されていません)
残念ながらこんな形でしかお返事できません。
 
尚、他人に物事を頼む際は、先ず、「氏素性を名乗るところから始めるべき」と私は考えていて、仲間の人達にもその様にさせています。
 老婆心ながら一言添えさせていただきます。   2019.03.11.   八木 博 】
 
”村田kyoko”と名乗る女性のメールアドレス、携帯番号しか知らされていない私は、人間としての道義を求めました。
期待溢れる村田さんには酷なメールだったかも知れませんが、誠実に吟味し、私の考えを忠実に認めた文面です。
過去に於いても同様なケースを幾度も経験していますので、想像はしていました。
そして想像通り、その後村田さんからの音信は一切ありません。

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毛皮の顔面
 
【私が7年前に借りていた資材置き場住所です。
資材置き場から西に向いた山から聞こえてきました。
葛城山や金剛山の麓に位置します。】
村田さんからのメールに記載された、「オオカミの遠吠えと思われる咆哮を幾度も聴いた」とされる場所ですが、それに関して彼女に問う事を私はしませんでした。

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この周辺で咆哮が聴こえて来たらしい
 

ちちぶmagazine

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こんなメールが来たのは226日の事でした。
 
【ニホンオオカミを探す会 代表理事 八木博様
はじめまして、私は雑誌『ちちぶmagazine』を編集しております中川と申します。
貴法人のWebページを拝見しまして、不躾ながらメール致しました。
八木様のご活動はWebページ、書籍『ニホンオオカミは消えたか?』、雑誌『SINRA』などを拝見して、存じ上げております。
 
弊社発行の『ちちぶmagazine』は秩父エリアに特化したカルチャー雑誌ですが、その特集記事で「実はまだ生息している!? 秩父オオカミ伝説」という企画を考えております。
記事の内容はニホンオオカミの特徴や、ニホンオオカミ(と思われる)の目撃談などです。
是非とも、八木様の活動内容や目撃談をお聞かせいただきたく、ご連絡した次第です。
八木様の活動を読者に知らしめて、秩父にニホンオオカミがいる可能性があることを、少しでも多くの方に知ってもらい、賛同する方が増えればと考えております。

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ちちぶmagazine創刊号
 
弊誌の取材にご協力いただけるようであれば、ご都合の良い日時をお知らせいただければ幸いです。
八木様のご自宅、もしくはご指定の場所にお伺いします。
取材時間は1時間程度を想定しております。
なお、雑誌発売日の関係で315日までに、取材をさせていただけるようご配慮いただけると幸いです。
企画概要を添付致します。
不躾なお願いで大変申し訳ございませんが、ご検討いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
 
●『ちちぶmagazine』概要
 都心から電車で80分ほどの近さでありながら、大自然に囲まれ、埼玉県内の他の地域とは、まったく違った文化がはぐくまれてきた秩父。
秩父夜祭や川瀬祭りといったお祭り、札所巡り、秩父銘仙、食文化、そして、周囲に広がる自然豊かな山々と、見どころが多く、近年特に、注目を集めています。
そんなちちぶエリアにフォーカスし、秩父の文化と最新情報を深堀りしていくのがこの雑誌です。
地元の人でも意外と知らなかった、さらなる秩父の魅力を知り、「秩父をみんなでもっと面白がってしまおう」というのがこの雑誌の目指すところ。
合わせて、観光客にも役立つ、グルメや観光情報も、地元ならではの切り口で紹介していきます。
2号発売日:2019年4月19日 A4変形/128ページ/部数:25000ぶ(予定)/価格:980円(予定)/販売ルート:全国書店、ネット書店、
埼玉県内のコンビニエンスストア(ローソン、ファミリーマート、セブンイレブン、発行元:株式会社シティ・プロジェクト、発売元:キラジェンヌ株式会社)】
 
3月に入ると多忙この上ないので228日午後に拙宅までお越し頂いたのですが、編集者の中川氏は40代になったばかりの好青年(?)で私の娘と同年代。
つくづく時間の流れの速さと、自らの老いを実感したのです。
お話に付いては、過去に幾度も話した事の繰り返しですから、約束の1時間をはるかに超えた5時少し前。
蒼穹が散歩をねだり出したのを契機に引き取り願った次第です。
ただ、書籍『ニホンオオカミは消えたか?』発売の際、ゲラ刷りの下見無しで大きな間違いを沢山した事などが思い起こされ、ゲラは必ず見せて貰う事を条件にしました。

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雪の上でご機嫌な蒼穹号

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突っ込みどころ満載だった書籍
 
新しい年号「令和」を知ったのは秩父山中の事でした。
暑い暑い・・・と辿った現場でしたが、作業終了後未知のルートに入って1時間、突然青空が消え白いものが降り出しました。
このルート上は殆ど登山者が通る事が無い、私にとっても未知の尾根筋だったのですが、若い会員さん2人がその気になったので、持参のトラロープ100mを固定してのルート開発でした。
予想以上の難ルートで大幅に下山が遅れたのですが、携帯に中川氏からのメッセージが入っていたので、帰宅後ゲラを読むことにしたのです。
が、年齢相応の体力しか残っていない私ですので、実際は翌日になっていました。

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冷や汗タップリで着いた129m峰

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鋸が樹に・異様な風景写真

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赤い太線がザイルを固定した場所
 
【ニホンオオカミを探す会 八木様 
お世話になっております。『ちちぶmagazine』編集部の中川です。
228日に取材させて頂いてから、ご無沙汰して申し訳ございません。
「秩父オオカミ伝説」と題したページが出来ましたので、
ご確認いただき、間違いがありましたらご指摘頂けると幸いです。
(文字が足りていない部分は加筆後にもう一度お送り致します)
雑誌の校了日の都合で44日までにお返事頂けると助かります。
不躾なお願いで申し訳ございませんが、何卒よろしくお願い致します。】の文面にA47頁の記事が添付されていました。
 
それは【秩父オオカミ伝説】のタイトルの下、
すでに絶滅したとされているニホンオオカミだが、 今も生き残っているとの噂は絶えない。
果たして、目撃談が相次ぐ秩父にニホンオオカミはいるのか。
そして、古くから伝わる狼信仰との関連は・・・・・と続き、
サブタイトルのPart1が「今も噂が絶えないニホンオオカミの痕跡」、Part2が「秩父に残る狼信仰の歴史」。
巻末に《体験記》として佐々木信さんの『オオカミの群に囲まれた93年の夏』が載っていました。

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秩父オオカミ伝説

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今も噂が絶えないニホンオオカミの痕跡

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秩父に残る狼信仰の歴史
 
私としては佐々木信さんと直接お話がしたい訳で、
「只今、送付された文面を拝見しましたが、間違い・不適切な表現・が多々有りました。
本日は10時以降なら対応出来ますので、必要ならご連絡ください。 42日 八木」のメッセージを送信しました。
 
419日の「ちちぶmagazine」発売後、佐々木信さんの体験談を聞けそうです。
佐々木さんの体験現場と秩父野犬の撮影現場は目と鼻の先で、時間差は3年間だけです。
皆さん是非ご期待ください。

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佐々木さんの体験動物はこんな感じ?

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ご存知・秩父野犬

ニホンオオカミの背骨

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4月に入って少し時間の余裕が出来て来ました・・・と云っても、カメラメンテナンスについてですが。
8日は奥秩父山中での作業を予定していましたが、生憎の雨模様でBT/SDカードの交換を伴うカメラメンテナンスは出来ません。
2016年9月の「奥多摩、日原川支流倉沢谷にて」で記した現場の成績が思わしく無く、思い切ってカメラ撤収に行く事にしました。

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廃村集落の石垣で生命の偉大さを

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初めて得られたムササビの飛翔(→)
 
カメラメンテナンスはそれ相応の時間が掛かりますが、雨が降ろうが槍が降ろうが撤収は直ぐ終了します。
車まで戻るのに1時間位要したでしょうか。
家を出たのがAM6:00ですから10:00には全てが終わりました。
(と云っても帰宅後の作業が大変なのですが。)
 
時間が有ったので奥多摩周遊道路を通り檜原村に行って見る事にしたのですが、檜原村は、知られて居りませんがニホンオオカミの標本を多く産出する村です。
1.大岳山(m)に奥宮を持つ大嶽神社所蔵の上顎吻端部。
2.小林家所有の同じく上顎吻端部。
3.現在は三峯博物館で常設展示となっている上顎吻端部も檜原村御前山産です。
4.そして極め付けが檜原村郷土資料館に展示されている「ニホンオオカミの背骨」。
私が知る限り以上4点の標本が現存していますが、隈なく探せば未だ見つかる可能性が有ると思っています。

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檜原村周辺の地形図

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大嶽神社奥宮

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大嶽大口眞神

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小林家の標本

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上田高校標本(下)との比較
 
通常、公共的な施設は月曜休みですので郷土資料館目当てでは無く、檜原村経由で青梅市まで抜けようとの軽い気持ちでした。
資料館の前を通って「神戸岩(かのといわ)」まで行こうとしたのですが、ラッキーな事に資料館が開いていたのです。
若い会員さんに勉強して貰う絶好のチャンスですから、お腹がすいているのを我慢して入館したのですが、多分本日最初の来館者だったのでしょう。
展示物を見学しながら、館長さんと長話が続いてしまいました。
因みにこちらの資料館は火曜日休館との事です。

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神戸岩(かのといわ)

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郷土資料館全景

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清水館長から説明を受ける私

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陳列されていたヤマネの剥製

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ニホンオオカミの背骨

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標本の説明書き

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直良先生の鑑定書と最初の箱
 
私は師である井上百合子さんと共に、1996年3月に郷土資料館を訪れていますから23年振りの訪問となります。
その時の市川館長さんとも話が合って、後日、大嶽神社所蔵の上顎吻端部の写真を送って戴いた事が有りました。
この標本の存在は直良信夫先生の「日本産狼の研究」に「ニホンオオカミの背骨」と共に掲載されていたのですが、何故か写真が載っていなかったのです。
東京都で3番目の広さを持つ檜原村ですが、人口は僅か2.000人。
市川元館長さんの現況を伺うと80余歳で元気に毎日農作業を行っているとのことでした。

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市川さんの書簡と標本の写真
 
ところで、御前山産の標本は、イノシシ穴に落ちたオオカミを捕獲したのですが、牝オオカミで乳が出た為、その乳を飲んだと言う事で有名な人が写真の市川貞次郎氏です。
勿論乳児の頃の話ですが、標本が何故三峯博物館に展示されているかと云うと、これは元々清水大典先生が所有していたもの。
秩父市出身の清水先生は「冬虫夏草」研究の第一人者で、ニホンオオカミの研究者でも有ります。
奥秩父山中を歩きながらこの標本を見つけ吻端部を所有したのですが、清水先生はフィールドワークの実践者ですので、私も先生から薫陶を受け山形県米沢市の自宅まで訪問した事が有ります。
そうした縁も手伝って先生亡き後、三峯博物館に寄贈されたのです。
「何事でも一生懸命取り組めば何か良いことが有るものだ」・・・私の人生訓の一つでも有ります。

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標本と市川貞次郎さん(撮影・林道子)

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在りし日の清水大典先生

ちしゃ猫さん

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平成最後の山行は奥多摩でした。
地権者である東京都水道局への事務手続き上で偶々そうなっただけで、意図するものがあった訳では有りません。
いつものメンバーYさん・Yoさん・そして蒼穹・が同行者でしたが、待ち合わせ場所に行くとあらあら吃驚、Yoさんの車に奥様と愛犬2頭が乗っていました。
Yo奥さんと愛犬2頭は駐車場で帰りを待つとの事でしたが、今回のルートはアップダウンの少ない快適な行程ですので、無理を云って目的地まで同行願いました。
午後になって雲行きが怪しくなったので草花の散策もそこそこに、急いで車まで戻ったのですが、手慣れた作業とは言えカメラの設置台数が6台ともなると、結構時間が掛かる事となりました。

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沢筋に在る大きなヌタバがターゲット

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Yoさん御夫妻と2頭のイヌたち

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こんな形でカメラごとに
 
昨年の4月も2度ほど奥多摩迄足を伸ばしたのですが、その時はスミレの花が疲れた体を癒してくれました。
 すみれって すみれって ブルーな恋人どうしが
 キスして キスして 生まれた花だと思うの
 淋しかったから あなたを愛して 淋しかったから あなたを憎んだ
 淋しかったから あなたにさよならを そして一粒 すみれ色のなみだ
笹枯れの殺風景な林の中にスミレを見た私は思わず、岩崎宏美の「すみれ色の涙」を口ずさんでいました。
そしてそのスミレが「タチツボスミレ」だと言う事を知らせてくれたのが「ちしゃ猫」さんでした。

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奥多摩に咲く「タチツボスミレ」
 
そんな事がきっかけでお付き合いをさせて戴いているのですが、ちしゃ猫さんは秩父市の山間部在住です。
現在評判のTV番組「ポツンと1軒屋」って程の山奥ではないですが、しいて言えば「ポツンポツンと1軒屋」くらいでしょうか。
夜中、イヌがどんなに騒いでも隣近所の迷惑にならない、朝晩の散歩も当然ノーリードで、イヌ好きには理想的な住まいです。
 http://wookouga.blog.fc2.com/「甲ちゃんと一緒 いつまでも一緒」をご覧になると、その生活ぶりが垣間見られます。

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ちしゃ猫家の愛犬「甲ちゃん」

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山中をこんな感じで毎日散歩
 
私も定年時、妻に提案して奥秩父の山間部に移り住もうとしたのですが、一人での移住に自信が持てなく、あえなく挫折した事が有りました。
ちしゃ猫家は甲斐犬を飼っているのですが、以前は十国犬を飼っていた事もあるとかで、我が家の蒼穹号にも関心を寄せて貰っています。

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ちなみに奥多摩での蒼穹号
 
話し変わって、
【初めまして、英字新聞ジャパンタイムズで記者をしております、アレックス・マーティンと申します。
突然の連絡、大変失礼致します。
この度は、八木様の長年に渡るニホンオオカミの研究・探求について取材させて頂けないかと思い、連絡させて頂きました。
私は米国籍なのですが、母が山形県出身の日本人でありまして、その母が15年程前に秩父の山奥に老後の庵を建てました。
そのような事情もあり、私も折をみては秩父を訪れているのですが、その影響で奥秩父周辺で目撃情報があるというニホンオオカミに興味を持った次第です。
八木様のニホンオオカミとの出会いや1996年の秩父野犬撮影のエピソード、また最近の活動等について、ご無理でない範囲でお話し頂けないかと思いました。
来週以降、今月(あるいは来月)のどこかでお時間を頂けないでしょうか。お忙しい中大変恐縮ですが、ご検討頂ければ幸いです。
また、弊紙について簡略に説明させて頂きますと、ジャパンタイムズは国内最古の英字紙で、現在は日刊の新聞として紙面で、またインターネット上のホームページの双方を通して様々な記事を配信しています。読者層は主に国内外の英語圏の方をターゲットにしています。
どうぞよろしくお願い致します。】   
こんなメールが届いたのは4月に入って間もなくの事です。

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ジャパンタイムズMARCH31、2019判
 
前後した状態でちしゃ猫さんから、「ポツンポツンと1軒屋」の隣人Tさんからの情報として、
Tさんのお友達がどうも犬ではない茶色の斑点のある動物とご対面したとの事で、そのご友人は野性味たっぷりの動物だったと仰ったそうです。
そこで「二ホンオオカミを知っていますか?」と主人の所にメールが入りました。
ですので主人が二ホンオオカミの事なら八木さんのHPがある事をお返事しました。
Tさんは二ホンオオカミがいたら嬉しい?楽しい?・・・と、とても興味が有る様でした。】と、吃驚するようなお話を戴きました。
 
ちしゃ猫さんからの話と、ジャパンタイムズからの取材依頼が交錯する中、もつれた糸を解いて行くとTさんの存在がクローズアップされて来ます。
双方と幾度かやり取りする中、アレックス・マーティン記者とT さんが親子であると判りました。
とするなら私の求める処は、「Tさんの友人に会って野性味タップリの動物の詳細を聞く事」です。
当初取材は、「411日に拙宅訪問」と決めていたのですが、Tさんにお骨折り頂き、動物出現場所近くの友人宅に伺う・・・と云う事になりました。
 
私とマーティン記者の取材先であるKさん宅は、このブログ上で幾度も取り上げている河川が家の近くを流れていました。
昨年12月中旬、動物好きのKさんが敷地の一角に現れた動物と遭遇したのですが、体長、体高、尾長、耳介、体毛、その他の点で、私が求める動物である事を否定するものは一つも有りませんでした。
写真を提示すると、タイプ標本にも、国内3例の剥製にも似ているとの事。
話の中でKさんは「動物の遠吠えが聴こえる事は稀では無く、月に1回くらいは聴こえて来る」・・・そんな言葉も発しました。

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Kさんが差し出したスマホに祖母野犬が

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遭遇した動物と似ていたと、本の写真を

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ニホンオオカミのタイプ標本

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東京大学の剥製

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国立科学博物館の剥製
 
思わぬ展開に心を躍らせたのですが、脳裏に「2014年の出来事」として私に届いていた文面を思い出していました。
【八月某日、私は母と甥っ子二人を連れて秩父の山奥にあるXX旅館へと足を運んだ。
宿の裏手が山になっており、露天風呂からは山肌と急な斜面が見れる感じだった。
午後八時過ぎ、二人の甥っ子を連れて露天風呂で入浴中に鳴き声を聴いたのである。
最初に気付いたのは上の甥っ子で、「山の中から鳴き声がする」と言い出した。
私は、湯沸かし器の音では無いかと思っていたが、今度は下の甥っ子が「牛みたいな鳴き声がする」と言い出した。
私も耳を澄ませて聴いてみると、風の音と揺れる樹々の音、湯沸かし器などの音が聴こえた。
気のせいでは無いだろうかと思っていると、小さな音で「オーン」と聴こえて来た。
二人に聞いてみると「オーンって鳴いている」と口を揃えて言っていた。
次に「オオーン」と聴こえたのを最後に音は消えた。
私は、クマか何かと思い早々に風呂場を後にした。
甥っ子二人は上が9歳、下が3歳。】

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体験を寄せてくれた柏木祐作さん
 
常々私が云う事の「一つの事例は点であっても二つになれば線となり・・・」が実現したのです。
この河川流域として見れば多角形としての密度が増した訳です。
 
現役のジャーナリストでもあるTさんの情報は綿密で、「Kさん宅の隣人も同様の動物に遭遇」し、それが本年3月の事であったと知らされました。
後日、山中でのカメラメンテナンスを終えた私達は、Kさん宅周辺を散策した末獣道を見つけ、カメラ2台を設置したのは云うまでも有りません。
「縁は異なもの味なもの」という諺が有りますが、昨年4月に奥多摩の山道で「タチツボスミレ」に会わなかったら、今回の事例が皆さんに届く事は無かったと思います。

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獣の侵入経路を探す私

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進入路上に設置したカメラ

泣きっ面にハチ、そしてアブまで

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今年の正月過ぎから左肩に痺れが生じたのですが、だましだましの形で入山していました。
だましだましが効かなくなって3月下旬、整形外科に行き施術を施したら、薬が効いたのか痺れが徐々に小さくなりました。
痺れが全く無くなった4月中旬が過ぎ連休に突入しますと、左右の首筋に痛みが生じ目薬さえ差せない状態、ベットから起きるのが苦痛となったのです。
それでもイヌの散歩は否応無くせざるを得ない訳で、イヌはイヌで私の痛みを察知し、私の動きに合わせてくれていたのですが、或る日つまずいて股関節も痛めてしまい、痛みを和らげるべく湿布をすると、それにかぶれて全身が酷い感じになってしまいました。
股関節が痛くて椅子に座る事もままならず、当然パソコン操作も出来ず本日に至っている次第です。
電話をする事は可能ですから、同年配の友人達に体調を聞きまくったら、大なり小なりは有りますが、皆さん身体の何処かに故障個所を抱えているのが現実です。
とすると、当欄への掲載は勿論の事、山中でのカメラメンテナンスを何時まで続けられるか・・・小市民としてはそんな気持ちにもなって来る今日この頃です。
 
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ところで3/26発信の当欄「無礼な女性」に関して、4/23に田村と名乗る方から下記のコメントが寄せられました。
【こうして一般人の実名と在住地域を公開ブログに晒し上げた上で「無礼な女性」と批判するのは、貴方が仰る「無礼」のレベルを超えているのでは?
そんな感覚であればインターネットでの情報発信は控えた方が良いです。
近年のネットリテラシーが身についていない中高年の多さは目に余りますが、貴方もその一人であると自覚を持った方が良いでしょう。
「無礼」なことを申し上げましたが、心配故にコメント致しました。】削除
 
田村と名乗っていますが文面からして「無礼な女性」ご本人からと察せられ、私は下記のコメントを発しました。
【私の下には彼女の様に、真贋を求める多くの連絡が来ます。
そうした人達の多くは、「利を求める」方たちが殆どです。
それでも、「本物の標本が一つでも発掘できれば」の思いの中、一つ一つ対応しています。

過去に於いて、2015924日・101日に当ブログで掲載した「詐欺師まがいの人12」がそのさいたる事例です。」良かったら覗いてください。
限られた時間の中で対応している「利を求めない私」がそうした人達に求めているのは、氏、素性、連絡先です。
しかし今回の事例では、正しいかどうか判らない、「氏」と携帯の番号だけで、連絡先は今もって不明です。
ちなみに、当人には添付ファイルで私の名刺を送付しています。

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「詐欺師まがいの人」が持参した毛皮

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毛皮の頭部

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毛皮の耳介

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毛皮の尾端

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毛皮の計測値

今回私は、彼女にとって都合の悪い判断をしたのですが、それ以降先方から
は「なしのつぶて」です。
これを無礼と云わずして、何を無礼と云うのでしょうか。
私をして「ネットリテラシーが身についていない中高年」と批判するのは自由ですが、私は私の心に従って情報発信しています。】
 
つまり、自分の素性を明らかにしないどころか、彼女の要望に沿って写真を吟味した私の労に対し、労いの言葉の一つ無いのです。
それどころか、若しかしたら4/23のコメントを発しているとしたら・・・「何おか云わんや」の最たる処です。
削除
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「無礼な女性」が所有する毛皮

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毛皮の頭部

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毛皮の尾端
 
「無礼な女性」とやり取りをしている最中の事でした。
【突然のメールで失礼します。
初めまして私は久貴谷(くきや)と申します。
以前より気になり自分では判断が難しい剥製、山犬として当家に伝わり所持しているのですが失礼ながら画像を送信させて頂きますので御教示、頂ければ幸いです。】

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久貴谷氏所有の剥製側面

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剥製の正面

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剥製の背面

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背面の拡大

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剥製の尾
 
送られて来た写真を吟味した数日後、私は以下のメールを送りました。
【久貴谷 さま
鑑定依頼の件ですが、標本はその由来が重要です。
何時、何処で、誰が・・・ですが、それ以前に貴方の住所連絡先を含めた、氏素性を名乗るのが筋道と考えます。
そして、標本の大きさ・・・頭胴長、高さ、尾の長さ等が必要です。
また、送付された写真に耳の裏の写真が含まれていませんので送付願います。2019.04.07. 八木】
 
私のメールに対し、折り返しの状態で届いたのが以下の文面です。
【八木様 こんばんは
画像の最下部に私どもの住所、氏名、連絡先等の詳細を書き入れてましたが、どうやら含まれて無かったようですね。
申し訳ございませんでした。
改めまして久貴谷 誠と申します。
大阪府和泉市xx町xxx-xxに現在は居住しております
連絡先は自宅0725xx xxxx 携帯090 xxxx xxxx です。
剥製は私の記憶が正しければ昭和47年に父の知り合いで、ごく近所の猟師の方より譲り受けたものです。
その当時私は小学校二年生で正確な情報は把握しておりませんが私が中学二年生頃まで猟師の方は近所に住まわれており猪肉、鹿肉、兎など度々、頂いており小学校の六年生、時分に二度ほど猟にお供させてもらったことがありました。
その時に行った先は奈良県吉野山周辺で今まで頂いてたものの大半が、吉野山で仕留めたものだと聞かされました。
しかし山犬と伝わるものが吉野山で仕留められたものなのか猟師の方が山犬と伝えたかと言うことの確証を得るものではございませんので悪しからずご了承ください。
尚、剥製の耳は片耳ちぎれた状態ですがかろうじて残り片耳は最早、あと影もございません。
耳の裏の画像、寸法等の詳細は後日、送付させていただきます。
お忙しいおりに返答を頂戴しまして感謝しております。
此度のご無礼をお許しくださいませ。
久貴谷拝
追伸  証拠にはならぬとは思いますが下記の画像下へ私共の連絡先を記載しておりました。
決して悪気はございませんので重ねて何卒ご理解下さい。】

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再度送られて来た連絡先
 
これが、社会人として一般的なやり取りだと私は考えています。
そして、少し時間が掛かりましたが下記の文面を送ったのです。
【久貴谷 誠 さま
遅くなりましたが、所見を添付ファイルで送付します。
尾の長さから見て「キツネ」と思われますが詳細は添付ファイルをご覧下さい。
悪しからず。 2019.04.24.   八木】
 
返事を出すまで時間が掛かったのは、若い会員さんの勉強に適した教材でして、私と会員さんのやり取りに時間を要したからでした。

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久貴谷氏所有剥製の鑑定解説
 
【八木様 二日前に中国出張より帰国しました。
出張先でメールがウィルス感染してしまい開封できないままの状態で大変、返信が遅れたことをお詫び申し上げます。
またご丁寧な鑑定解説を頂戴した事に心より感謝します。
鑑定結果は残念でしたが謎が解明でき安堵しております。
この度の御縁に感謝します。
ありがとうございました。 久貴谷拝。】
 
依頼者からのメールが届いたのは10連休が終わって後の事でしたが、不愉快な気持ちを抱く事は全く有りませんでした。

眼の前にニホンオオカミが現れたら・・・

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2014年の春でしたが、氏・素性・居住地・その他が不明な「Wolve」と名乗る人物と十数日の間33回に渡るメールを交わした事が有りました。
そのやり取りを読んだだけで「一端の二ホンオオカミ通」となれる(?)程の、濃い内容でした。
当人も2008年秋、長野・岐阜県境の某所で・・・と思われる【これまで見た事のない野生味の溢れる力強く歩行する犬科の動物で、尾は短く首の周囲が黄色がかった色の、目測で約100cm~120cmほどの動物に遭遇しています。】に遭遇した経験をお持ちでした。

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Wolve」氏が遭遇した動物はこんな感じ?
 
私が最初「Wolve」氏に記した考えは、
【二ホンオオカミに限らずどんな生物に関しても、「“絶滅を証明する”事より“生存の証明”をする事の方が容易い」のは御承知だと思います。
それはシーラカンスの例を提示するだけで充分事が足ります。
二ホンオオカミでは、生体を提示するか、50年に満たない標本を提示するので良い訳です。
行政がその種を絶滅宣言するのは、一つのケジメとしてであって、調査の末の結論等では決して無い事を承知下さい。
私は「絶滅したと言う事と存在しないと云う事は同義語では無い」と皆さんに言っています。
過去に於いて絶滅動物が発見された例を辿れば、私の発言の真否は明確です。
私の人生は過去に於いてもこれからも、「二ホンオオカミの生存確認」でありまして、それは公にもしています。
過去に於いても幾多の生存情報が届く中、出来るだけ現場に足を運び確認作業をする様にしています。】と云う事でした。
そして、【うそか本当か、不確かなものを否定する前に、まずは真摯に向き合う、それこそが科学だ】と、申し添えました。

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2年前対馬で見つかったカワウソの記事

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1910年福井城址で捕獲されたニホンオオカミ

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20131月の朝日新聞記事
 
数日後、
【もし、今後ニホンオオカミが目の前に現れた時には、どのようなモーションを起こしますか?お考えになられていますか?】の質問が飛んで来ましたので、
 【マスコミからの質問で一番困るのは、この質問です。
2年前(2012年)「雪男は向こうからやってきた」の著者角幡唯介さんに同じ質問をした事がありましたが、角幡さんも困った末に「解かりません」と云いました。
雪男調査隊の人達は、そうした想定を全く持って居なかったのだと思いました。
秩父野犬が現れた時は、車の前に立ち塞がった状態でしたので、アクセルを踏もうか悩みましたが、出来ませんでした。
でも全く後悔はしていません。
命の重さを考えると、やってはいけない事だと思っています。
翌年1997年に仲間が冬篭りで調査をした際は、吹き矢を準備していましたし、山から動物を下ろす為に橇も用意しました。
ただ、私達は微力ですので私達が出来る事は、動く映像を撮るところまでだと考えています。
調査を積み重ねた後、捕獲を含む作業に参加するとしたら、放映済みの『二ホンオオカミを追い続ける男』で紹介した、麻酔銃か吹き矢を用いるかも知れません。】・・・と、返答しました。

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角幡唯介著「雪男は向こうからやってきた」

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私の車の前に現れた秩父野犬

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半年間オオカミ探しに没頭した岡田氏

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岡田氏のスケッチ

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吹き矢を実演する獣医

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捕獲した動物を運ぶ橇
 
すると、こんなメールが帰って来ました。
 
【イヌ科動物の生息する可能性が高い山地、立地条件をお伝えします。参考にして下さい。
 以下の事は、知人の猟師と野生動物との出会いを願う私たち(少人数制で野外活動において山地、雪中での行動力、判断力のスキルを持ち合わせる「オール一般人」)グループが実際の山地フィールドにおいて得た環境見解であります。
 
1. 山地活動域は、下限標高 約300m以上。上限標高が約1800m以下。
2. 濃霧、霧の発生が頻繁に現れる山域。天候の晴れ、雨、雪、は全く関係ない。
  山を登る空気は気圧が低くなるとともに膨張し温度が下がり、飽和した水蒸気が霧となり、発生して山域を登って流れ込む風が霧の原因とななります。
  強風では、まず行動しない。
3. 出現しやすい時間帯は、早朝~午前10時の間、夕方15時~18時の間。
  上記の時間以外の日中、夜間は標高が比較的高い山域に上がります。
4. 山域形状は、過去に火山活動があった火山帯のある山地の周辺域が濃厚。
  山肌の特性として高域では火山石で構成された低域では泥岩、砂岩の特性。
  酸化鉄を含む赤土(せきど)の見られる山地域。
  急な崖斜面で岩肌が露出する勾配が非常にきつい斜面域の山地域。
  ブナ、コナラの落葉樹とカラマツ、モミの針葉樹の山地周辺域。
  渓谷、魚類の遡上記録のある河川のある上流域。
5. 私たちの見解は、イヌ科動物は、鹿などの野生生物の捕食よりも、上流河川域において魚類、爬虫類、両生類などを捕食する機会が多いと考えています。
6. 過去からの経緯を考えるとイヌ科動物の行動距離は、非常に広大である事が考えられます。
  私たちは行動範囲円を描いた事がありますが、予測では約2050キロの距離短時間に移動すると考えます。
   1か所に滞在型ではないようです。
 ※ 上記の項目を信じて下さい。とは偉そうに言える立場ではありませんが、八木さんのニホンオオカミの生存確認を証明する為の活動に役立てて下さい。】

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咆哮の収録にも力を注いだ
 
何を根拠に・・・と首を傾げる部分も有りましたが、万が一、自らの体験から導き出した考察であるなら尊敬に値する・・・そんな思いを抱かせる文面でした。
その後濃密な文面を両手に余る程交わす中、「Wolve」氏の素性を知りたい、出来るだけ早く会いたい、と切望するようになりました。
そして、
【八木さんは、これまで秩父山域は勿論の事ですが、他の地域でのフィールドワークをした経緯の中で訪問した都道府県は、どのような地域ですか?
 私は、長野県、岐阜県、福井県、石川県、富山県、奈良県、和歌山県、三重県であります。】が届きましたので、以下の文面を認めました。
33回目のメールとなりました。
 
【情報収集、確認、標本調査で足を運んだ都府県は、貴方の記した8県で富山以外は全て行きました。
山登りをやりながらのフィールドワークと云う事であるならば、北海道、青森、秋田、山形、岩手、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、東京、神奈川、山梨、新潟、富山、石川、福井、長野、岐阜、静岡、三重、奈良、和歌山、滋賀、京都、鳥取、岡山、愛媛、徳島、高知、熊本、宮崎、大分、熊本、鹿児島、で、千葉、愛知、兵庫、大阪、島根、広島、山口、香川、福岡、長崎、佐賀、沖縄、の12府県の山に入った事は有りません。
ただ、山に入った、山登りをした、通ったと云う事で二ホンオオカミのフィールドワークをした事には繋がらないと思います。
現在は埼玉県下の山域だけで手一杯の状態ですが、奥秩父山域は東京、山梨、長野、も含まれて居ますし、彼等の行動域として考えると群馬の一部も入って来ます。
尚恐縮ですが、公私とも非常に多忙でして、従来の様な遣り取りはそろそろ限界に為りつつある事を、ご承知置き下さい。
過去に於いても、素性が不明な方との交流を行った事は有りませんし、私自身はHP、マスコミ等を通じ全てを曝け出していますので、同じ立ち位置での遣り取りを希望します。】

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2ヶ月間オオカミ探しで籠った小屋

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スケッチ画の実践

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林道上に網を張り巡らせて
 
この文面を最後に「Wolve」と名乗る人物から連絡が来ることは有りませんでした。
限られたスペースにやり取りの全てを記すのは出来ない事ですが、真摯にニホンオオカミに取り組んでいた様子は垣間見られました。
過去に於いて多くの人達と交流しましたが、一度会ってみたかった一人です。

ジャパンタイムズの記事

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427日付けこの欄でUPしました『ちしゃ猫さん』の後半で記しました英字新聞ジャパンタイムズ関連の取材に付いてですが、525日の紙面に大きく取り上げられました。
早稲田大学探検部OB会の「ニホンオオカミ倶楽部」代表望月さんが、パソコンを駆使してザックリ訳してくれたので、それをザックリ紹介する事とします。
内容は『ちしゃ猫さん』で記した体験者のKさんと私のやり取り、私のオオカミ遍歴、ニホンオオカミの歴史、ニホンオオカミの遺伝子解析、その他ですが、
特に注視戴きたいのは「最後のニホンオオカミ」とされる大英自然史博物館蔵の皮のゲノム解析に付いてです。
再度繰り返しますが、パソコンでの機械翻訳ですから皆さんの語解力が重要になって来ます。
それでは、ザックリザックリの始まりです。
 
日本の絶滅したオオカミを求めて:
秩父の不思議なイヌの目撃は動物愛好家を魅了してきました BY ALEX MARTIN

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                      紙面の出だしは3枚の秩父野犬
 
      May 25, 2019
埼玉県秩父市 - 12月の寒い日の午後3時ごろ。
過去に見た事の無い生き物が彼女の前に現れたとき、空は曇りで雨の香りが空中にぶら下がっていた。
優雅に風化させた150年の伝統的な木造家屋の正面玄関を開き、彼女は庭に出ました。
小さな庭園の池の縁で成長している枯れた低木の中に、ただ一匹、イヌのような動物が立っているのに気付いたとき、彼女は凍りつきました。
山に囲まれた秩父市の郊外にある彼女の住居の庭に現れた動物と、彼女の距離は約34メートルでした。
動物の写真を撮るべく、カメラを持ってくるため母親を呼ぼうとしたのですが、数秒間動物は彼女を見つめたと言います。
動物は細長い三角形の鼻を持っていた。一般的に顕著な額を持つイヌとは異なり、その顔は頭蓋骨の上から鼻まで比較的平らに見えた、と彼女は思い出す。
動物はまっすぐな尾と斑状の、黒と茶色の毛皮を持っていて、大きさは中型犬より少し大きめ。
それはその肋骨を見せて、空腹に見えました。
「それは間違いなくイヌではありませんでした」と彼女は言います。
"私はそれがオオカミだと思いました“ 

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                       奥多摩の山を背に望月さんと私
 
ロンドンのオオカミの毛皮(として≪大英自然史博物館蔵の標本≫が記されていますが省略します。)
 
Closeencounters密接な出会い?
19961014日、八木博氏は関東地方の狼崇拝の中心地とされていた秩父の山の中の孤独な道を走っていたときに出会った中型のイヌ科動物の写真を19枚撮りました。
47歳の八木が車の正面窓から、先のとがった耳と林道の端に立っている黒い先端の尾を持った毛皮のような短い足の動物を見たのは夕方だった。
ある意味、この出会いは、環境省の絶滅危惧種リストに掲載されている動物の存在を突き止め証明するための、数十年にわたる八木の取り組みにおける予想外のボーナスでした。
秩父の山で出会ったオオカミのような生き物の八木博氏の写真は、熱い分類学上の議論を巻き起こした。
八木の写真はすぐに分類学上の激しい議論を巻き起こした。
八木はそれらを今泉に送った。
当時の二ホンオオカミ研究の権威として知られていた。
八木の写真と比較したタイプ標本は現在、オランダのライデンにある国立自然史博物館の所蔵品の一部としてマウントされ、保管されています。今泉は八木が撮った生き物を秩父野犬と命名した。

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                          1996年撮影の秩父野犬
 
200078日に、大分県でのハイキング旅行の間に、西田智は足と耳の後ろにオレンジ色の色合いを持っていたほとんど白黒の中型犬を撮影しました。
高校の校長はまた、それを二ホンオオカミに似ていると言い、写真を撮影した祖母山を参考にして、それを「祖母野犬」と言った今泉と画像を共有しました。
西田の写真はすぐに懐疑論者を描いた。生態系のバランスを取り戻すためにオオカミを国内に再導入する運動をしている日本オオカミ協会を率いる東京農工大学の名誉教授である丸山直樹は、動物は国内のイヌのいくつかの特徴を共有していると述べた、それはジャーマンシェパードまたはジャーマンシェパードの雑種である可能性がより高いようでした。彼は孤独なオオカミがきつく編まれたパックで動くことが知られていたので発見されることはありそうもないと。八木や西田などのオオカミ愛好家が二ホンオオカミの存在を証明するには、写真では不十分でした。彼らはより困難な証拠、理想的には科学的に分析することができる生きた標本を必要としていました。

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                        西田智氏撮影の祖母野犬
 
カメラトラップ
秩父市の山間部の村に週末の家を所有している私(筆者)の母は、動物発見者Kさんと彼女の母の親友です。
Kさんの奇妙な動物との出会いの話に最初は多少驚異的でしたが、母は私に伝えられるほど興味深いものでした
私は八木に連絡した。結局のところ、秩父はオオカミに捧げられた多数の神社があるエリアで、時折オオカミのような動物の目撃で知られています。伝説の生き物が大口の真神として大恐怖と畏敬の念を抱いていたのであれば、それは秩父であるかもしれません。今年70歳になる八木は、もともと新潟県出身で、埼玉県上尾市に住んでいます。話が彼の一生の情熱である生き物に向けられるとき、彼の態度が強さの空気を帯びるけれども、空手の黒いベルトの保有者、彼は堅く造られて、そして彼の年齢のために友好的、おしゃべりでそして若々しいとして出会います。
「私は高校の登山クラブに所属し、卒業後、苗場山の山小屋で働き始めました」と彼は言います。長野県と新潟県の境界にある2,145メートルの火山を指しています。
ある夜、彼が19歳の時、彼は遠吠えの叫び声がブナの森の空気を突き刺すのを聞いた。彼はそれが普通のイヌではないと確信していました。
「私はそれが存在してはならない動物から来たことを私は知っていました」と彼は言います。
事件は彼の使命に乗り出すために八木を推進します。半世紀後、彼の探求は続く。

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                                                    御眷属のオオカミ像

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                    境内にはオオカミが至る所にある
 
八木と彼の非営利団体のメンバーは、二ホンオオカミの写真を撮るために関東周辺の幾つかの県をカバーする奥秩父山脈に約70台のモーションセンシティブ赤外線カメラを設置しました。週に一度、彼は後で見直すためにSDメモリーカードを交換するために山道をハイキングし、残量が少なくなっていたカメラのバッテリーを交換するでしょう。それは彼の年齢の男には簡単な仕事ではありませんが、八木の献身とコミットメント - おそらく強迫観念に接して - は揺るぎないです
進行中の捜索とオオカミの神話に焦点を当てた2012NHKドキュメンタリー「見狼記」で、八木は彼の死後、彼の遺骸が山の浅い穴に埋められて空腹なオオカミがそれらを食うことができるようにしたいと言います。
いくつかの電子メールを交換した後、八木と私は動物発見者Kさんの家を訪問することを決めた。
411日、東京から特急列車で約75分かけた西武秩父駅で、私を迎えた彼のバンに乗りルート140を南西に走らせた。

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            モーションセンシティブ赤外線カメラ
 
失われた動物達(としてブレットL.ウォーカーの著書「日本の失われたオオカミ」の概略が記されていますが省略します。)
 
Geneticevolution遺伝的進化
現代の技術はその謎を解明するのを助けています。
岐阜大学農学部教授石黒直隆氏は、シーボルトの標本が絶滅した動物に属しているかどうかを判断するために、ミトコンドリアDNA検査と他の日本のオオカミの骨サンプルとの比較を使用しています。石黒はまた、古代の標本のミトコンドリアゲノム配列を分析して、二ホンオオカミの起源を突き止めました。彼の研究によれば、二ホンオオカミは、日本列島が依然としてアジア大陸に接続されていた朝鮮半島を通じて、更新世後期(25,000年から125,000年前)に日本を植民地化したようです。対照的に、北海道に居た蝦夷オオカミはサハリン島との陸橋を介してごく最近になって導入された - およそ14000年前 - 。二ホンオオカミよりも大きい、蝦夷オオカミは、灰色オオカミの亜種と見なされます。しかしながら、二ホンオオカミは、大陸性の灰色オオカミと比較してその小さな体の大きさといくつかの際立った骨格の特徴のために独立した種として扱われることがあります。

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                   岐阜大学農学部教授石黒直隆氏
 
ミステリーの一部をクリアするために、Jonas Niemann、博士。オオカミと犬の進化を専門とする古生物学者MikkelSindingの最善を尽くして、コペンハーゲン大学の学生は同僚と一緒に、ロンドンの自然史博物館の日本のオオカミの皮のゲノムを分析しました。初期の結果は興味深い可能性を示していました。「我々の予備的なデータは、本州オオカミのゲノムは、更新世後期(頃)のある時点で絶滅した超肉食性の更新世オオカミに似ていることを示唆しています」とNiemannは言います。北半球を覆っていた氷床が2万年以上前に溶け始めたとき、ほとんどの古代オオカミは絶滅しました。そして、オオカミが狩りをしたような大きい哺乳類を殺しました。 Niemannとその同僚による進行中の研究に関して昨年出版された物語Science誌はSindingを引用し、これらの絶滅したオオカミのDNAの一部は二ホンオオカミに棲んでいた。

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                       少し前ツイッターで取り上げられた
 
Mountainguides山岳ガイド(として麻布大学獣医学部教授、菊水武文氏の記事、「ニホンオオカミは消えたか?」の著者宗像充氏の記事が掲載されていますが省略します。)
 
Connectingthe dots’ 「点をつなぐ」
私たちが彼女のイヌの出会いを思い出して聞くと、八木は目に見えて興奮します。
Kさんが動物が立っていたと言う低木のそばに立って、八木は巻き尺を取り出して、彼女の記憶に応じてそのサイズを計算します。
身長約50センチメートル 、二ホンオオカミのためにやや小さい、と彼は言いますが、それは間違いの範囲内です。
Kさんが見た動物の体格やその他の特徴についての描写は、二ホンオオカミの剥製標本や、2000年に西田が撮影した祖母山の写真に似ているようです。

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                       出現場所にて調査中の八木

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                     似ていたとする東大農学部の剥製
 
彼女の主張に信憑性のある空気を加えて、Kさん宅隣人は3月に彼女の家の近くで不思議な生き物を目撃し、地元の町役場に事件を報告しました。
オオカミは人の集まりから遠ざかることが知られていますが、八木には、Kさんの物語を信じる理由があります。
彼女の家のそばを流れる荒川支流は、狼の目撃情報の源でした。
多くの経験から「点が二つになれば線になり三つになれば面になる」と八木は言います。
 
会話が50年前に苗場山で聞かれた八木の吠え声に目を向けると、Kさんはさりげなく入り込みます。
「それは私に思い出させます。私は夜の真っ只中に流れの方向から夜中にかなり頻繁に遠吠えを聞きます」と彼女は言います。八木の驚きに、彼女はこれが月に1回か2回起こると言います。いくつかのイヌは遠吠えすることが知られているが、八木は現代の音声認識技術はオオカミの遠吠えからイヌの遠吠えを区別することができると言います。

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                      目撃者から様子を伺う八木
 
遠吠えが記録されることができるならば、それはオオカミの存在を証明するための証拠として潜在的に使用されるかもしれないと彼は言います。
私たちが去る前に、八木は彼女の家に通じる獣道に焦点を合わせて2つの赤外線カメラを設置することを神林が許可することを頼みました。
そして、それは彼が次の週にしました
「学者はこれらの可能性を完全に拒絶する傾向があります」と八木は言います。
「私は肯定することから始めます。もちろん、私たちは彼女がまだ見たことを確信することはできません。しかし、これまでのところ、私は彼女が二ホンオオカミの存在を否定すると言ったことを聞いたことがありません。」

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               紙面最後の写真

ネットサーフィンのニホンオオカミ

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お陰様で、前号ジャパンタイムズの記事は国内に限らず、多くの方たちにアクセス戴いた様子です。
そして、フェースブック、ツイッターにも会員の方たちが載せてくれた為、多数の二ホンオオカミ情報が届く事となりました。
本来はそれを掲示すべきなのでしょうが、未だ整理が出来て居りませんので後日掲載として、今回はジャパンタイムズの記事を優先的に載せた為、後回しとなった文面をご覧いただきます。
 
夜明けが早くなるに連れて蒼穹の散歩も早い時間となりつつあります。
散歩デビューからずっと近くの公園を利用していますが、何時も同じコースでは飽きが来ますから、色々考えて廻る様にしています。
一周30分位の公園なのですが、季節季節で新しい発見をする事が有り、とても新鮮な気持ちにさせられます。
散歩道に黒い落下物が目立ち始めた5月下旬。
頭上に桑の実が有るのを見つけた私は、無心にそれを口もとに運びました。
そして気が付くと、手元と口の中が紫色になっているのです。
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実がピンクでは未だ早いのです

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食べごろは実が黒くなってから

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落ちた実をタヌキが食べて・・・
 
小学校低学年の頃、私の田舎では養蚕農家があちこちに点在していました。
蚕の食べ物は桑の葉ですから、桑畑に足を伸ばせば桑の実を得る事が出来ます。
初夏は桑の実、秋はアケビの実・・・大戦後10年位は、そんなものがかけがえのない御馳走だったのです。 
 
そう云えば「赤とんぼ」の歌にこんな歌詞が有りました。
【夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か
山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか】
 
会員のYoさんからこんなメールが届きました。
【ヤフーのブログ『三峯神社へ』≪耳すましブログー201583日付け≫、「ウォーーン」と遠吠え聴いた。
こんな記事が掲載されています。念の為。】
時折ネットサーフィンは試みますが、全く知らない情報でした。
検索してみると
【私がよく見る黒い山犬様は三峰神社(埼玉県秩父市三峰)に居ると云われていましたので行ってみたいなと、常々思っていました。
今回、根子岳を登る事になり地図上、三峰神社付近を車で通るので師匠にお願いして寄ることになりました。
あと2,3Kmで三峰神社に着くところで渋滞となり、車が前に進みません。
師匠「耳すまし!このままだと何時に三峰神社に着くか分からない…俺はこのまま神社を目指して運転しているから…先を見て来ないか?」
耳すまし「!、…では、車を降りて行って来ます。ついでに参拝して来ても良いでしょうか?」
師匠は、頷いて「良いよ!俺は1度参拝しているからな。」
耳すましは、車を降りて歩きました。
道路の照り返しが熱いです。
歩いていると、道路脇に山道がありました。
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見るとどうやら三峰神社に続いているらしい。

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山道を歩く事にしました。
 
渋滞を横目に歩きます。

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山道はいくらか涼しいです。
 
ずっと登り坂です。
……「ウォーーン」とイヌのような遠吠えが聞こえました!
「!!!!嘘でしょ??」ハッキリと耳で……こんな事って…あるんだぁ…(°_°)
周りを見渡しても誰もいないし、イヌの気配さえない…。(°_°)
少し立ち止まり、様子を伺いましたが、あの、遠吠えを聞いただけで何も起こりませんでした。
「三峰神社1.5Km」の道標を見つけて安心しました。】・・・・・・と、こんな感じだったのですが、83日の事例ですから、牡鹿のラッティングコールとは違います。
 
私は以前まとめた生存情報を紐解き、2015年前後の三峯山中での情報を比較しました。
すると、20141023日にUPした「湯気が出る程の最新情報」に、
【そうした善男善女の方から、数日前電話が掛かって来ました。目撃情報でした。
267歳のカップルが、先週の10/18(土)神社参拝を終っての帰途、三峰山中で遭遇したとの事でした。
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三峯神社随身門
 
東京都北区在住の二人は、パワースポットで有名な三峰神社を参拝しようと車で向ったのですが、神社に対し全く予備知識を持っていなかったそうです。
参拝を終わり、神社の駐車場を出たのが1730分、少し車を走らせれば周りは暗闇の世界です。
三峰山周遊ルートとなる大陽寺経由で車を走らせていた時、ガードレールの下から顔を覗かせていた動物に気付きました。
ライト越しでは有りますが、白っぽくグレーが混じった模様の、かなり大きめのイヌ科動物だったそうです。
一目でイヌとは違うと感じましたが、耳の形状、尾の形状はよく判らなかったと言います。
ただ、巻き尾で無かった事は確かで、二人の車が来なければ道路を越えて、山に登ったのでは・・・とも。
車が行く手を阻んだ為、ガードレール地点でUターンして、斜面を下って行ったのですが、体の右半分は良く見えたとも言っていました。
もし、動物が道路を歩いている状態だったら、車を避ける感じで見事な跳躍を披露したのでは・・・と思っています。】
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遭遇地点で、2014年の春偶然発見した鹿の骨
 
何故なら、このブログに掲載した
2010.7/29-目撃情報が届きました」
2013.7.30-2013216日の咆哮-(M神社神主の体験)
2014.5/14-ニホンオオカミを探す会さま」の3例と同じ動物に思えるからです。】・・・こんな目撃情報を掲載していました。
 
三峯山周辺でのそう云った情報は、出来過ぎた・・・思われるでしょうが、実際私の下に時折届くのです。
尚、最近の情報として、2017727UPの『2017盛夏・三峯神社境内にて』も御覧願えればと考えます。
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ジャパンタイムズ記事の、人による翻訳文が「ニホンオオカミ倶楽部」の望月さんから届きましたので、遅ればせながらで申し訳ありませんがカット無しで掲載します。

日本の 絶滅したオオカミを求めて:
秩父の謎のイヌの目撃が動物愛好者を魅了する
 
埼玉県秩父市 - 12月の寒い日の午後3時ごろ
過去に見た事のない生き物がKさんの前に現れたとき、空は曇り、雨の香りが空気中に漂っていた。
味わい深く風化した150年の日本木造家屋の玄関を開け庭に出ると、小さな池の縁の枯れた低木の中に一匹のイヌのような動物が立っているのに気付き、彼女は凍りついた。
その動物との距離は約34メートルあったと、4月に山に囲まれた秩父市の郊外にある彼女の住居に訪れた際、彼女はその時の状況を思い起こし語ってくれた。
動物は数秒間、彼女を見つめていたが、写真を撮ろうと、カメラを持ってきてもらうため母親を呼んだその声に警戒し、荒川支流の川へと続く谷を隔てる竹林の中に姿を消してしまった。
動物の鼻は細長い三角形、一般的に出っ張った額を持つ犬とは異なり、その顔は頭蓋骨の上から鼻まで比較的平らに見えた。
尾は真っ直ぐで、毛皮は黒と茶色の斑状。
大きさは中型犬より少し大きめ。肋骨が見え、空腹に見えた。
「絶対、犬ではありません。私はオオカミだと思います」と彼女は言う。
 
「謎のイヌとの遭遇?」
19961014日、八木博氏は関東地方の狼崇拝の中心地とされていた秩父の山の中の一本道を車で走っていたときに出会った中型のイヌ科動物の写真を19枚撮った。
当時47歳だった八木が車のフロントガラス越しに、林道の端に立っている先のとがった耳と黒い先端の尾を持つ、短い足の動物を見たのは夕方だった。
この出会いは、環境省の絶滅危惧種リストに掲載されている動物の存在を突き止め証明するための、数十年にわたる八木の取り組みにおける予想外のボーナスとも言えるものだった。
八木の写真はすぐに分類学上の激しい議論を巻き起こした。
八木は写真を当時の二ホンオオカミ研究の権威として知られていた今泉吉典氏に送った。
今泉は、八木の撮ったイヌのような動物の写真が、1823-1829年、日本に滞在したドイツの医師であり植物学者でもあるフィリップフランツヴォン・シーボルトが手に入れた、ニホンオオカミの標本に非常に類似していると言った。
その標本は現在、オランダのライデンにある国立自然史博物館の所蔵品の一部として展示され、保管されている。
今泉は八木が撮影したその生き物を「秩父野犬」と命名した。
 
200078日、高校の校長をしていた西田智氏は大分県でのハイキング中、耳と足の後ろがオレンジの色がかった、毛皮はほとんど灰色と黒の中型犬を撮影した。
彼もその写真を今泉氏に送った。
それが二ホンオオカミに似ている事と、写真が撮影されたのが祖母山だったことから、「祖母野犬」と命名された。
西田の写真はすぐに懐疑論を招いた。
生態系のバランスを取り戻すため、オオカミを国内のエコシステムに復活させる運動をしている日本オオカミ協会を率いる東京農工大学の名誉教授である丸山直樹は、動物は二ホンオオカミといくつかの特徴を共有はしているが、それはジャーマンシェパードまたはジャーマンシェパードの雑種である可能性がより高く、固く結ばれた群れで行動することで知られているオオカミが、単独で発見されることはありそうもないと主張した。
八木や西田などのオオカミ愛好家が二ホンオオカミの存在を証明するには、写真だけでは不十分でした。
彼らはより確かな証拠、理想的には科学的に分析することが可能な、生きた標本が必要だった。
 
「カメラトラップ」
秩父市の山間部の村に別荘を所有している私(筆者)の母は、動物発見者のKさんと彼女の母親の親しい友人です。
Kさんの謎の動物との出会いの話は最初信じがたかったようだが、母は十分興味深い目撃情報と思い私に報告してくれたのです。
私は八木に連絡をしました。
何しろ、秩父はオオカミに捧げられた多数の神社があるエリアで、時折オオカミのような動物の目撃があることで知られているところです。
大口の真神として恐れ敬われていた伝説の生き物が絶滅とされているなか姿を現す場所があるとするならば、それは秩父でしょう。
 
今年70歳になる八木は、もともと新潟県出身で、埼玉県上尾市に住んでいます。
体格の良い、空手の黒帯の保有者で、年齢より若々しく、気さくでおしゃべりな印象だが、話題が彼の一生涯の情熱の対象である生き物に向けられると、彼の物腰は高ぶります。
「私は高校の登山クラブに所属し、卒業後、苗場山の山小屋で働き始めました。」と彼は長野県と新潟県の境界にある2,145メートルの火山でのことを語った。
彼は19歳の時のある夜、ブナの森の空気を突き刺す遠吠が聞こえ、それが普通の犬ではないと確信した。
「私はそれが存在しない筈の動物の遠吠えだと察しました。」と彼は言う。
この出来事は彼の使命へと駆り立たせ、半世紀後も彼の探求は続いています。
 
八木と彼の非営利団体のメンバーは、二ホンオオカミの写真を撮るために関東周辺の幾つかの県をカバーする奥秩父山脈に、約70台のモーションセンシティブ赤外線カメラを設置しました。
彼は映像確認のためのSDメモリーカードと、残量が少なくなったカメラのバッテリーを交換するために週に一度、山道を登ります。
それは彼の年齢で簡単な仕事ではありませんが、八木の生涯をささげた、恐らく執念に近いと言っていいほどのコミットメントに揺るぎはありません。
進行中の捜索とオオカミの神話に焦点を当てた2012NHKドキュメンタリー「見狼記」で、八木は自分の死後、遺骸が山の浅い穴に埋められて、空腹なオオカミに食い尽くされたいと言っています。
 
幾度かのメールを交した後、八木と私は動物発見者Kさんの家を訪れることを決めた。
411日、東京から特急列車で約75分かけた西武秩父駅で、私を迎えた八木のバンに乗り、最も新しいとされるオオカミの目撃情報を調査しに、ルート140を南西に走らせた。
 
「遺伝的進化」
現代の技術がその謎の解明を助ける。
岐阜大学農学部教授石黒直隆氏は、シーボルトの標本が絶滅した動物に属しているかどうかを判断するために、ミトコンドリアDNA検査と他の二ホンオオカミの骨サンプルとの比較を行った。
石黒はまた、古代の標本のミトコンドリアゲノム配列を分析し、かつては数千匹生息していたと思われる二ホンオオカミの起源を突き止めました。
彼の研究によれば、二ホンオオカミは更新世後期、日本列島がアジア大陸の一部だった頃(25,000年から125,000年前)、朝鮮半島を通じ日本に住み着きコロニー化したと考えられる。
対照的に、北海道に居た蝦夷オオカミはサハリン島との陸橋を介してごく最近、およそ14000年前に移り住んだと思われる。
二ホンオオカミよりも大きい、蝦夷オオカミは、灰色オオカミの亜種と見なされます。
しかしながら、二ホンオオカミは、大陸性の灰色オオカミと比較してその小さな体といくつかの際立った骨格の特徴のため、独立した種として扱われることがあります。
 
コペンハーゲン大学の研究者Jonas Niemannと彼の同僚は、オオカミと犬の進化を専門とする古生物学者MikkelSindingの要請を受け、二ホンオオカミの謎を解くため、ロンドンの自然史博物館の二ホンオオカミの皮のゲノムを分析した。
初期の結果は興味深い可能性を示した。
「我々の予備的なデータでは、二ホンオオカミのゲノムが、更新世後期頃のある時点で絶滅した超肉食性の更新世オオカミに似ていることを示唆しています」とNiemannは言います。
北半球を覆っていた氷床が2万年以上前に溶け始めたとき、オオカミが捕食したマンモスのような大きな生き物が死に、ほとんどの古代オオカミは絶滅した。
昨年出版されたScience誌のNiemannとその同僚による進行中の研究に関しての記事のSinding の引用に、「これらの絶滅したオオカミのDNAの一部は二ホンオオカミに受け継がれ、オオカミとイヌの進化にとっての新しい可能性となった」とある。
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 ASA64日の記事

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氷漬けで発見された3万年前のオオカミ

「点をつなぎ合わせる」
Kさんの自宅で彼女のイヌ科の動物と遭遇した時のことを聞く間、八木は明らかに興奮してきた。
八木は、Kさんが動物が立っていたと言う低木のそばに立ち、巻き尺を取り出し、彼女の記憶を元に動物のサイズを計算した。
体高約50センチメートル 、二ホンオオカミにしてはやや小さい、と彼は言いますが、その誤差は範囲内でした。
Kさんによる動物の体格やその他の特徴は、二ホンオオカミの剥製標本や、2000年に西田が撮影した祖母山の写真と類似していると思われた。
彼女の隣人も3月、自身の家の近くで不思議な生き物を目撃し、地元の町役場に通報したという情報もあり、Kさんの主張に信憑性を加えた。
オオカミは人間の集まる場所に近寄らないことで知られていますが、八木には、Kさんの情報を信じる根拠がありました。
彼女の家のそばを流れる荒川支流の川は狼の目撃情報の源で、八木は20年前にフィールドワークの一環として支流を登り調査していました。
「(散らばった)点と点を繋いでいくような作業です」と八木は言います。
話題が50年前、苗場山で八木が聞いた遠吠えの話に移ると、Kさんが「そう言えば、夜中、川の向こう側からかなり頻繁に遠吠えを聞こえます」と話を遮った。
八木が驚いたのは、彼女がこれが月に1回か2回起こっているということだった。
遠吠えをする犬もいるということは知られているが、八木は現代の音声認識技術はオオカミの遠吠えからイヌの遠吠えを区別することができると言います。
遠吠えを記録することができれば、それはオオカミの存在を証明する証拠になり得ると彼は言う。
帰り際、八木は彼女の家に通じる獣道に焦点を合わせた2つの赤外線カメラの設置許可を得、翌週、カメラは設置された。
「学者達はこれらの可能性を真っ向から否定する傾向があります。
私は、肯定することから始めます。
もちろん、私たちは現在の時点ではまだ、彼女が目撃したものが何なのか確信することはできません。
しかし、今のところ、彼女の証言の中で二ホンオオカミの存在を完全否定するものもありません。」と八木氏は言う。

雙葉中の理科の入試問題より

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前項で少し触れた、シベリアの永久凍土の中から見つかった3万年前のオオカミに引き続き、バングラディシュで70年ぶりにインドオオカミが見つかりました。
インドには飼育されたものも含め3000頭くらいは生き残っているらしいのですが、バングラディシュでは1949年に確認されて以来の事とか。
そんな情報を寄せてくれたのは空手の弟子のS君ですが、「インドオオカミは発見されたので次はニホンオオカミですね。」のコメントが添えられていました。
今は未だ詳細を記せませんが、その為の準備を着々と積み上げているのは事実です。
そんな事も手伝って、この欄での投稿が遅れている訳です。

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バングラデシュの町で殺されたインドオオカミ
 
ネットサーフィンをしていたら、稀に見る文面を見つけました。
栄光ゼミナール吉祥寺校、久道知良講師が2016.05.28(Sat)に「雙葉中の理科の入試問題より」として、記した文面です。
中学入試問題ですから対象は小学6年生と云う事になります。
超が付くほどの難関校とは言え、中学入試でこんな問題が出されている事に驚いたと同時に、是非皆さんに読んで戴きたいと思った次第です。
部分的に首を傾げたくなる箇所も有りますが、全体的にはとても優れた文面だと思いますので、途中で投げずに最後までご覧下さい。
下記がその全文です。

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栄光ゼミナール、久道知良講師
 
【本年度の雙葉中の大問1では、食物連鎖に関する総合問題が出題されました。
食物連鎖ピラミッド、外来生物、生物濃縮といったように食物連鎖に関する幅広い内容が凝縮されている大変興味深い問題でした。
この大問の中に、およそ100年前に絶滅した「ニホンオオカミ」に関する出題がありました。

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学校法人雙葉学園
 
ニホンオオカミはかつて本州、四国、九州に生息していたオオカミの一種で、過去50年間生存が確認されていないため現在は絶滅種となっています。
(これは「絶滅」したことを示す決まりごとで、中学入試でも出題されています。)
なぜ絶滅してしまったのか・・・は後で書きます。
 
小型~中型の草食動物、雑食動物の多くはニホンオオカミの捕食の対象であったと考えられています。
ニホンオオカミが絶滅するとニホンオオカミを天敵としていた、ニホンジカ、イノシシ、ニホンザルなどが大繁殖し、数が莫大に増えることとなりました。
その結果、数が莫大に増えたこれらの動物たちは、エサを求め森林、人が作った農作物を食い尽くし、生態系に大きな影響を与えることとなりました。
「北海道でエゾシカが増えすぎて・・・」というテーマは過去の武蔵中の入試問題でも出題されています。
 
さて、増えすぎたニホンジカ、イノシシ、ニホンザルの数を減らし、元の生態系により近づけるためにはどのようにすれば良いでしょうか。
この解決策の一つとして、「ニホンオオカミに近いオオカミを日本の森林に放ち、過去に近い環境をつくる」という案が挙げられました。
(これは現在でも策が練られています。)過去に同じような事例があり、アメリカで成功した一例がある、ということが背景にあります。

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この考え方に私は反対です
 
では世界のどこからか、ニホンオオカミに近い種類のオオカミを日本に連れてきて野山に放ってみましょう。
どのようなことが起こると考えられますか。
どのようなことが起こるか考える前に、少し違う話をします。
 
みなさん、多くの植物の種子が発芽するための条件として、水、空気、適当な温度の3つの条件が必要ですね。
では、なぜこの3つの条件が必要かを理解していますか。
 
今回は「適当な温度」に着目します。
なぜ種子は「適当な温度」で発芽するのでしょうか。
数え切れないくらい長い歴史の間に、その環境に適した進化をした植物だけがその場に適応し、生き残ることができました。
 
つまり、「適当な温度」とは、その場でその植物が生育するために進化した結果、その場で生き残るために必要な生育条件なのです。
少し気温が低いとその年に生育するその植物の数は少し減ってしまうかもしれません。
しかし、自然環境の中での「少しの増減」であれば、長い年月の間で見た場合数を大きく変化させることはありません。
カントウタンポポを何もせずにそのまま北極に持って行ったらどうなるか?という予想と比べて見て下さい。
後者は絶滅します。
 
つまり、その場所に生えている植物は、その場所で生き延びていくことができるよう、環境に適応して進化した植物であると言えます。

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今泉吉典著「分類から進化論」
 
少し話がそびれてしまいましたが、世界のどこかからオオカミを日本につれてくるとどうなるのでしょうか。
野山に放つオオカミが、どんなにニホンオオカミと近い亜種であっても、またニホンオオカミと共通の祖先を持つものであっても、絶滅したニホンオオカミとは違う種類のオオカミです。
どんなに近い環境で育っていても、日本、四方を海で囲まれた環境とまったく同じ環境で育ったオオカミはいません。
したがって、外国から連れてきたオオカミは日本の環境に100%適しているとは言えない、ということです。
この状態になると、元々日本にいる動植物はもちろん、日本に持ち込まれた新たなオオカミも含め、生態系に大きな影響を与えてしまうことが予想されます。
 
ではなぜニホンオオカミは絶滅してしまったのか。
人間が野山を切り開き、ニホンオオカミの生息地を減らしてしまいました。
また、かつてはニホンオオカミを猟犬としていた人間がニホンオオカミを駆除してしまったことが原因です。
 
人間はなぜニホンオオカミを駆除してしまったのでしょうか。
 
オオカミが人間を襲う、という先入観があるかもしれませんが、ニホンオオカミはイヌほどの大きさで単独行動をしていたと記録されています。
また前述の通り縄文時代は猟犬として人間と共存してきました。
ニホンオオカミは人間を襲うことはほとんどありません。
ではなぜ?

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岸田日出男著「日本狼物語」

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北越雪譜「雪中狼入人家図」
 
オオカミは動物なので伝染病にかかります。
狂犬病などです。
狂犬病のウィルスを持ったオオカミにかみつかれた人間にも狂犬病のウィルスは感染します。
もし、狂犬病が大流行したとすると、私たち人間の生活に大きな影響を与えることとなります。
 
また、ニホンオオカミの生息地はなぜ減らさなければならなかったのか。
その時々で細かい背景は違いますが、人間が科学技術を発展させ、生活をより良いものにするためには自然環境のある程度の破壊は致し方なかったことであると言えます。
実際、その過去がなければ今の私たちの生活はありません。
 
少し難しい話になってしまいましたが、様々な背景があったとしても、人間が環境を破壊してしまったことは事実です。
しかし、その事実がなければ人類の科学技術の発達、または私たちの生存はなかったことかもしれません。
大切なことは、自然環境を壊してしまったという事実を前提として、これ以上壊さないように、今いる動植物たちと人間が共存できるような環境をつくり出していくことだと考えます。

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描かれたニホンオオカミ-1

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描かれたニホンオオカミ-2

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奈良の神鹿を襲ったオオカミ
 
みなさんに身につけてもらいたい力
ただ単純に物事を詰め込むのではなく、
なぜ?どうして?を大切にしながら、常に考え続けることです
 
雙葉中の過去の入試問題でこのような問題がありました。
 
オニヒトデはサンゴを食べ、サンゴ礁を破壊します・・・(略)
オニヒトデを人間の手で完全に取り去ろうと思います。
このことに関して、賛成か反対かを答え、その理由を書きなさい。
 
みなさんならどう答えますか?
頑張れ!受験生!】
 
受験生では無いこの文面をお読みになった皆さん。
如何でしたでしょう。

三峯神社行きのバスで

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62日にソフィーさんと名乗る方から、この欄に目撃情報が投稿されたのですが、ご存知の方もお出でになると思います。 
 
S)【 二ホンオオカミのことを調べていて、こちらのブログをみつけました。
先月、530日に、秩父の三峯神社へ行きまして、西武秩父駅から、直通の三峰神社行きのバスに乗りました。
三峰神社に着く15分~20分前くらい、午前10時前後だったと思いますが、バスの前を横切った野犬を見ました。
私は右側の座席に座っていたので、一瞬でしたが、ガードレールを潜って降りて行くのが見えました。
ガードレールの向こうは人が降りることの出来ない崖に近い急斜面で、イヌでも落ちるんじゃないかと思うような場所でした。
野犬の見た目は中型犬くらいで、日本犬のガッチリした体型と比べるとスレンダーで、手足は長め、耳は短め、換毛期なのか、胴体部分はモサッとした白っぽい毛で、それ以外は薄茶に黒毛の渋が感じで、  
パット見灰色オオカミ?!と、思ってバスの中で調べましたら、二ホンオオカミととてもよく似てました。
日本にオオカミ、若しかしたら、まだいるかもしれませんよね!】

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顔出し不可のソフィーさん

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『ソフィーのコトダマ』を検索すると
 
こんな内容だったので、吃驚し、メールアドレスを記した投稿を致しました。
 
Y)【ソフィさん、 ご連絡有難うございます。
管理人の八木です。
実は201212月に同じ現場(と思われる場所)で、遭遇者が居るのです。
530日には私も秩父市内に居たのですからとても残念です。
出来ましたら詳細を伺いたいと希望しています。宜しくお願いします。 】

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東大演習林利用者の発表会で秩父に
 
すると、待っていたかの如く下記のメールが届きました。
 
S)【八木さんこんばんは!ソフィです!。
私は、都内で美容師をしています。
たまたまお客様から、三峰神社と橋立鍾乳洞に行ってきたという話を聞いたので、
530日は仕事が休みの日で、たまたま早起きしたので、急に思い立って一人で出かけました。

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オオカミの骨が見つかった橋立鍾乳洞
 
本当に、たまたま見かけただけなので、お役に立てるかどうかはわかりませんが、私は、北海道函館出身なので、狐とイヌの見分けはつきます。
狐ではありませんでした。
でも、イヌとも言い切れないんです。
イヌのようで、イヌとは少し違うと思いました。
子供の頃、家では柴犬を飼っていまして、当時、今は亡き父は日本犬保存会に入っていまして、日本犬が好きでした。
イヌは、踏ん張りに強い立ち方、歩き方をしますよね。
ところが、私の見た野犬は動きがしなやかというか、忍び足のような、柔らかいスムーズな歩き方でした。
横から見た体型は、コヨーテに近いような気もします。
もしもこの野犬が、三峰神社付近を行き来しているのなら、ここは路線バスもあるので、西武バスの運転手さん達の中に、目撃している人もいるのではないでしょうか?
いつも歩くルートが割り出せたら、見つけやすいかも知れませんよね。
 
三峰神社は、とても素敵な場所でした。
興雲閣で温泉に入りまして、その後橋立鍾乳洞へ行きました。
秩父はとても自然の豊かな土地ですね!
オオカミがまだ生きていても、全然不思議じゃないと思います。
秩父は、オオカミが神様の土地ですしね。^^
八木さんが、オオカミさんと出会えますように、お祈りいたします。
因みに、私の母も旧姓が八木です!では〜〜(o^^o)
また、
【ふと、思ったのですが、路線バスには、車載カメラがついているのでは無いでしょうか?
若しかしたら動画が残っている可能性もありますよね。
ただ、お願いして見せてもらえるものなのかどうか。
それから、本名を伏せたままでしたが「XXゆかり」と言います。
私の母の故郷は、佐渡ヶ島の小木ですよ。
大昔のどこかで繋がっているかもしれませんね!】
 
こんな文面が追伸の形で送られて来ましたので、「なるほどー」と思いつつ以下の文面を送りました。
 
Y)【本日6/3に秩父市在住の仲間が、発見現場(と思われる場所)に調査に行きました。
柴犬2頭を連れて行ったのですが、目新しい物は見つけられませんでした。
56年前、情報が寄せられた時、カメラを56台設置し観察したのですが、若しかしたら再度カメラを設置するかもしれません。
ところで、530日は西武秩父駅何時何分発のバスに乗ったのでしょうか。
明後日は週に一度の山歩きの日ですから、時間次第で西武バスの営業所迄足を伸ばそうかな・・・とも思っている処です。】

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三峯神社の神主が遭遇した現場
 
それに対して、
S)【私は、オオカミを探し求めていたわけではなく、本当にその日思い立って出かけたんです。
三峰神社よりも、橋立鍾乳洞に行くのが当初の目的でして、それならついでに三峰神社へ先に行こう!と思い、秩父5号に乗りました。
西武秩父についたのが859、そのまま駅前の5番乗り場から、91010:25着の三峰神社行きへ乗りました。
 
三峰神社の1つ手前の停留所を過ぎてからどのくらいだったかは、目印のようなものも特に無くて、はっきり覚えていません。
でも、山から降りてきてバスの前を横切って、ガードレールを潜っていったので、ドライブレコーダーには、絶対に映っていると思います!
良い手掛かりが掴めたら本当に嬉しいです!
私の見た野犬は、首が長く感じました。
ヒョロット寸胴な感じで、しっぽはストンと下がっていて、巻いてません。
胴体に冬毛が白っぽく残っていて、頭と背中、腰からしっぽは、ぱっと見黒っぽい灰色。
薄茶にごま塩的な黒毛の渋が上がった毛色です。
横向きの感じでしたが、イヌに比べると頭も小さく感じました。

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タイプ標本・こんな感じだったのか?
 
私、三峰神社でおみくじを引きまして、大吉でした!
「新」という漢字のお題で、『新しい風が吹いてます。 風はすべて追い風に、爽やかな大空を吹き抜ける春風の如く、旺盛な行動力を持ちなさい』
と、書いてありました。
この言葉は、是非八木さんへと計らわれますように。
奇跡のような偶然が降り注ぎますように、お祈り申し上げます。】
 
ソフィーさんが遭遇した動物が想像通りでしたので、私は比較の為秩父野犬の写真と、これまでのオオカミ探しの経験を含めた文面を送付しました。
 
Y)【私は民間人で、縁あって長い間ニホンオオカミに係わっているだけですよ。
長い間係わっているので、経験が上積みされ、多少の知識を持っているに過ぎません。
云える事は、この世の中、科学で解っている事なんか、ほんの一部でしかない・・・って事です。
ニホンオオカミは、100年前に絶滅した事になっていますし、それが科学の常識です。
ところが、530日にソフィーさんがバスの中で見た動物は・・・。
結論付けは為されませんが、そうした経験者が私の下に100人以上その体験を寄せてくれているのです。
常識が何であろうと、自分の体験を先ず信じる・・・それが皆さんに云う言葉です。
一枚写真を添付しますのでご覧下さい。
これは1996年の10月に私の前に現れた、所謂「秩父野犬」の1/19のスナップです。
若しかしたら、イメージ的にはこれに似ていたのかも・・・と。】

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今から50年以上前の私
                             
すると、
S)【仰ってらっしゃることは、とてもよくわかります。
絶滅って、何を根拠に絶滅なのかもわかりませんしね。
歴史にしても、科学にしても、医療にしても、昔教わったことと今現在とでは、随分と違ってきています。
するとそれは、絶対ではないということになりますよね。
教わったことを鵜呑みにするというのは、情報の溢れる今の時代はナンセンスですし、疑ってみる必要がありますよね。
私も、自分の目で見たり体験したことが自分の中の揺るぎない真実だと思います。
 
ところで添付されていた秩父野犬のお写真ですが、濡れているのか汚れているのか、毛が寄り集まった感じで、サラサラに乾いていたら黒毛がもう少し多く見えるのかな。
顔は黒っぽいですよね。
私の見た野犬は、胴体の冬毛が浮き上がった感じのところ以外は、この秩父野犬よりも黒毛が多い印象です。
秩父野犬の顔の黒っぽさが体の方までという感じで、骨格は似ていますし、写真の秩父野犬よりも若いと思います。】
こんな文面が届きました。

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ソフィーさんに送った秩父野犬の写真
 
数日後私は、
Y)【一昨日、秩父の山に入ったのですが、色々アクシデントが有って、西武バスでの聞き取りは出来ませんでした。
帰宅後、パソコンを開けますとNHKの某番組からアクセスが有りまして、番組編成等に関して話し合いました。
西武バスの件も、NHK経由で調べようと考えている処ですが、ソフィーさん!
若しかしたら、番組の中でお話して戴くようになるかもしれません。
そうなったら、お願いできますでしょうか。
勿論、現在は私個人の考えだけです・・・が。 】の文面を送ると、
 
翌日ソフィーさんから
S)【ちょうど今ネットで色々調べていまして、カモシカの子供を検索してyoutubeで見てました。
もしかしたらカモシカの子供かもしれない気もして来ました。
大人のカモシカなら、ガードレールは潜れませんよね。
オオカミだと信じてましたが、もしも、違っていたらどうしましょう。
若しそうなら、大変なお騒がせで、平謝りです!
八木さんは、NHKからの取材をされるほどの、すごい方だったのですね。
八木さんのひたむきな情熱は、尊敬します。
はい、私に出来ることでしたら、協力したいと思います!】のメールが届きました。

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カメラの前に現れたカモシカの親子
 
先ほどNHKからCメールが来まして
Y)【現在西武バスに問い合わせています。
通常レコーダーの記録は警察以外見せられないそうですが、事情を話し、検討して貰っています。」 の内容です。
録れてるのを確認出来たら、凄いスクープになりますね。
そして、物凄い閃きと云う事にもなります。
ただ、NHKと云っても、番組制作会社のディレクターです。
今回はニホンオオカミ特集ですので、出来るだけ協力する心算で、ソフィーさんの目撃情報を提供した次第です。
尚、私とソフィーさんのメールのやり取りの一部をNHKに提供するのでご理解の程宜しくお願いします。
 
ソフィーさんの目撃現場での件は、20121227日に続いて2回目だと云う事はお話したと思います。
一昨日の山行中にカモシカが現れましたが、最近生息数を減らして、今年初めての遭遇でした。
あの周辺はカモシカの生息地でも有るのですが、2012年の前例が有りますので私も確信めいたものを感じています。
尚、カモシカの尾は67cmですから、バスの中から見た動物とは明らかに違います。】と、自信を失いかけているソフィーさんを勇気付けました。
その後、ドライブレコーダーを見せて貰えない旨NHKから連絡が来ましたので、ソフィーさんに伝えますと、
 
S)【ドライブレコーダーは、警察にしか見せてくれないんですねやっぱり。
難しいですね〜〜残念!
でも、ドライバーの人にも、今後気にかけて貰えたらいいですね!
秩父での体験をお店のお客さんに話していましたら、オオカミはいるんじゃない?っていう人も、結構いらっしゃいますね。】
 
そんなやり取りが続く中、ソフィーさんの休日に現場を案内して貰いつつ、カメラの設置を予定しているのですが、毎日毎日が雨模様で・・・。
三峯神社のおみくじ通りには行かないものです。

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大洞川に掛かる吊り橋

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吊り橋の先・山道に掛かる木道

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今回の現場の核心部

早春の山で

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3月に入りNPO法人の決算業務、東京都水源林内・東京大学農学部演習林内への調査更新手続き等が重なる中、yahooホームページの移転手続きも有りまして慌ただしい毎日を過ごしています。
 
1月にインフルエンザをこじらせ、2月の天候不順で入山がままならずカメラメンテナンスが滞っている中、
3月に入ってから2日・10日・13日と、晴れ間を狙って遅れた作業を挽回しているのですが、未だ4ヶ所の作業が残っています。
34月に掛けて野生動物は活発に行動を起こしますので、残りの2週間で何とかこなそうと思っているのですが、果たしてどうなることやら。
 
何時も車の運転をやってくれる会員のYさんは、山中でも素晴らしい能力を発揮してくれます。
野生動物の気配をいち早く察知し、「xxの鳴き声がする・xxの気配がする」と、必死で歩いている私に教えてくれるのです。
10日の山行も一緒でしたが、路上のハクビシンの死体、すぐ後に2頭のカモシカを発見、山中で”オコジョ”を見つけ教えてくれました。
そして間もなく岩場で日向ぼっこをしている猿の群れを見つけたのもYさんでした。

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目の前に現れたカモシカ

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サルたちが日向ぼっこ

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保護色で雪上のオコジョ
 
年齢とともに体力が落ち、足下だけを見て歩く私は眼も耳も悪くなりましたので、若い会員さんたちの存在は心強い限りです。
数日前に降った雪の残る山道でしたが、冬眠から覚めたクマの真新しい足跡が現れた時はYさんに言おうかどうか迷いましたが、これも現実ですから時間にサバを読んで教えました。
足跡の状況からして10分前後のすれ違いだと思いましたが、Yさんは私の心中を察していた様でした。
5年近く動物観察に同行していれば、その足跡が半日前か1時間前か判って来るのです。
クマにしてみれば私たちは、「招かれざる客」ですし、私も若い会員さん達には「私たちが作業している場所は、野生動物達に先住権がある」と教えていますので、全て穏便に済ませたいのです。


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岩手県博所蔵のイイズナ

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車にはねられたハクビシンの子供

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SDカードに納まったクマの家族
 
登山口の林道上に整地用の車両が停まっていましたが、右前の大きなタイヤがパンクしていました。
私が調査している十数ヶ所中で最も気を使う悪路で、出来るだけ後回しにするコースです。
昨年、同じ林道上で私の車もパンクして冷や汗物だったのですが、「このタイヤがパンクするなら、私のタイヤなら”さもありなん”」と思った次第です。

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林道整備中だった車両

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右前のタイヤがご覧の通り
 
13日は、会員の晒(さらし)さん・横山(美佐子)さんが昨年12月に設置したカメラの、最初のメンテナンスでしたので指導方々同行したのですが、危険な場所も無い為「蒼穹」も一緒でした。
蒼穹と山に入るときは”ノーリード”を常としますが、このコースは登山者が多い為最初から最後までリードを離さず歩きました。
と云っても、同行の会員Yoさんが一緒に歩いてくれたのですが・・・。

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横山(美佐子)さんと蒼穹の2ショット
 
5台のカメラメンテナンスが終わり帰り道を辿ったのですが、先頭を歩くYoさんが雪上のイヌ科動物の足跡を見つけました。
勿論、蒼穹とは違う足跡です。
1台目のカメラ設置位置から5分位下った場所に刻まれた足跡で、トロット歩行のそれが2030m続き山中に消えていた、誰でもイヌ科動物と判る足跡でした。
写真撮影・計測等をしていると若い女性の登山者が登って来ましたので、途中イヌ科動物を見なかったか尋ねるとすぐさま首を振られました。

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こんな感じで雪上を30mくらい

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逆光でしたが見事に撮れました

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足跡幅はご覧の通り

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長さは・・・計測器は常に持参
 
時計の針は1200でしたので登山者に目的地を尋ねると、山中泊で雲取山(2.017m)経由鴨沢との事。
話をするとたどたどしさが残る日本語でしたので、Yoさんが国籍を聞くと「タイ国」で、地図も磁石も持参の様子。
少し安心し足下を見るとスパッツもアイゼンも着けていないので、持参の有無を聞くとアイゼンを持って来なかったのを後悔している感じです。
 
このまま見過ごしてはまずいので、履いているアイゼンを渡すと、「優しい・優しい」の連続です。
しきりに私の住所を聞くので、アイゼンはプレゼントする旨伝えて彼女を見送ったのですが、その日は朝から寒い一日でした。
山中の何処に宿を取ったのか、無事、鴨川まで下れたのか・・・そんな心配が数日続く今日この頃です。

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蒼穹の忍法隠れみの術

ジャパンタイムズの余波

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ジャパンタイムズ記事の余波が続いています。
5月下旬の記事掲載から始まって、生存に関する情報が続々届きました。
その中の一つが75日にUPした「三峯神社行きのバスで」だったのですが、この事例は7年前、三峯神社の神官が遭遇している現場で、非常に興味が持たれる処でした。
神社までのルート上で思考すると、多くの遭遇者が居り「再度カメラの設置が必要」と、現在準備をしている次第です。

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神社の神官が遭遇した現場

ただ、情報提供者からのメッセージを多用した為、お叱りを受け数日で記事の削除をしています。
まだご存知でない方たちにサッと流れだけをお伝えします。
 
5月末、「三峯神社行きのバスに乗った乗客が、車中で・・・と思われる動物を見た」のですが、機転の利くこの乗客が「バスのドライブレコーダーに動物が映っている筈」と私にメールして来たことから、様々な展開になった訳です。
「ニホンオオカミを探す会の井戸端会議」はフィクションを交えず正確に伝える事が最優先されます。
過去にもメールのやりとりをそのまま掲載しているのですが、それが情報提供者の意に反したと云う事です。
当ブログの定期的な読者であるならばこうした事にはならなかったのでしょうが、その辺の事を踏まえなかった私の責任大・・・と云う事です。
改めてお詫びいたします。

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カメラ設置へのルート

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こんな木道も渡って

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ここが核心部
 
この件は兎も角、提供者了解の下続々届いた他の情報を、従来のやり方で皆さんにお届けする事とします。
 
63日に、会員の小野俊之さん経由で届いたオオカミ情報です。

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 会員の小野俊之さん

お世話になっております。
会員の小野俊之です。
ツイッターに英字新聞の話を投稿したところ、昔からの山友達からオオカミ情報が寄せられました。
土屋xxさんからの情報です。
ブログに掲載するときには、「土屋さん」でお願いします。

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顔出し不可の土屋さん
 
日時:2013429日 午前11時頃
場所:両神山 両神神社 清滝小屋と山頂の間くらいにあり、祠ですが両脇に狼が祀られていました。
状況:日向大谷から登って神社前で休憩中、方向としては甲武信ヶ岳方面から、遠吠えが断続的に聞こえていました。
こんな山の中で不思議でしたが、周囲は誰も気にかけている様子はありませんでした。
結構不自然な状況だったと思うのですが。
両神山では他の人はお喋りに夢中でしたし私は1人で来ていたから気付いたのかも。
あともうひとつありますので、続けて書きます。

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両神神社奥宮のお犬さま

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両神神社奥宮のお犬さま
 
日時:2013918日 明け方4時頃
場所:瑞牆山近くの富士見平小屋テント場
状況:寝袋を忘れて(おバカ)、一晩中寒くて起きていたのですが、明け方に、方向としては甲府方面から、犬の鳴き声と遠吠えが混じったものがずっと聞こえていました。
それが行ったり来たりしていて、パン!パン!という銃の音がしていました。
猟?と思いましたが、確か猟銃を使ったものなら日の出までは禁止だった筈です(ちなみに禁猟期です)。
朝、他の方に確認しましたが、これも聞こえていたのは私だけでした。
空耳にしては、そんな空耳ある???と思いまして。
富士見平小屋ではみんな寝てる時間ですのでしょうがないのかなと思いましたが、どうも空耳とも思えないのです。

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富士見平小屋のテント場
 
お電話もOKですし、ブログに載せていただいても問題ないです。
名前も苗字くらいなら本名でも全く問題ありません。
両神、奥秩父、ちょっともう一度行ってみようかという気になってきました。
オオカミの会のページ等、少し見させていただいてますが、目撃情報あるんですね。
ネッシーとかより現実味あるなぁ。活動が興味深いので、ブログやホームページもっと読んでみます!・・・とのことでした。
 
他にもツイッターでは、今は関係が切れてしまった山友達が雲取山で遠吠えを聞いたと書いていました。
「その友人とはもう20年前に、もう縁が切れてしまいました。
雲取山登山に行き、山荘で宿泊していた際に遠吠えが何度も聞こえて怖かったとのこと。
時期は5月だと記憶しています」との事です。
 
両神山でのオオカミ体験と云うと柳内賢治さんの「幻のニホンオオカミ」を思い出しますが、他にもオオカミ情報が私の下に寄せられていますので羅列して見ます。

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柳内賢治著「幻のニホンオオカミ」

この欄での201531日版『柴田哲孝』を検索下さい。
二ホンオオカミに興味を持って奥秩父山中を聞き歩く中、19924月、両神山中丸神の滝で咆哮を聴いたのがきっかけで、角川書店から【WOLFを出版しています。

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柴田哲孝著「WOLF
 
また、瀬川さんと云う方がフェースブック上で『34日、清滝小屋ではAM500にオオカミの遠吠えを聞いた』と記して有ります。
因みに、土屋さん指摘の甲武信岳方面、両神山の枝尾根上に私たちは6台のカメラを設置して調査中です。

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廃道となった山道の奥にカメラが
 
設置のきっかけは、当ブログ「18年振りの遭遇」12(201710/5,10/19)に記して有りますが、探す会会員浅井さんの遭遇体験からでした。

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時々登場する浅井公一さん
 
尚、昨年1122日に掲載した「大願成就の予感」内で記した【3頭の鹿が逃げ去る中、逃げる原因を作った(と思われる)咆哮が見事に聴きとれた】・・・の咆哮も、土屋さんが仰る甲武信岳方面と云う事になります。
この咆哮に関しては音声分析済みで、「私たちが求めている動物の咆哮に限りなく近い」との鑑定が得られています。

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「鹿逃げる…咆哮」の図
 
今ここで詳細を述べる訳には行かないのですが、そう遠くない時期にメディアから発信されますので、ご期待戴ければと思います。
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