哲学者・教育者の井上円了を皆さんご存知でしょうか。
井上円了は現在の新潟県長岡市で真宗大谷派慈光寺の長男として生まれ、29歳の若さで東洋大学の前身となる「哲学館」を創立した方です。
東洋大学関係の方なら良くご存知しょうが、私は最近まで全く知りませんでした。
同じ新潟県で、そう遠くない地域(旧越路町)出身にも拘らずです。
私が通った高校にも越路町から通って来た同級生がいたのですが、三波春夫の話が出ても、井上円了の事は全く話題にもならなかったのです。
井上円了の事を知るきっかけは、妻が手にしていたJR東日本発行のトランヴェールと云う小冊子でした。
新幹線の座席に置いてある物を面白そうだと持ち帰ったらしいのですが、次の旅行先を探している際に、私の目に触れる事となった次第です。
2016年9月号ですからかなり古かったのですが、その24ページに動物の上顎根付けが載っていたのです。
トランヴェール2016年9月号
トランヴェールの24ページ
牙形筆立の拡大写真
妻の背中越しに見たその根付け写真を、直感で「ニホンオオカミの上顎」と感じ、すぐさま井上円了記念博物館に連絡しました。
電話に出た学芸員氏の話に依ると、展示品は「井上円了研究センター」所蔵の為、調査の為にはその許可が必要との事でした。
それらの手順を踏んで6月19日(水)AM9:30に博物館に出向いたのですが、都心の住宅街に在る東洋大学に先ずビックリ。
秩父に向かう途中に在る同大学川越校舎をイメージしていたからです。
井上円了の銅像と博物館
井上円了記念博物館
東洋大学白山キャンパス
東洋大学川越キャンパス
それはそれとして、出迎えて戴いた研究センター所長等に挨拶後、肝心の標本を手にしたのですが・・・・・。
瞬間、「オオカミでは無くクマの上顎」である事を知ったのです。
博物館での調査模様
提出した調査依頼書に
「ニホンオオカミの標本は国内外に100余点散在しています。
その多くを観察してきた私ですが、当標本は未調査の上、過去に於いてその存在が知られて居りません。
研究センター所蔵で博物館展示の「牙形筆立」はニホンオオカミの上顎吻端部と思われますが、その確認の為の調査をお願いします。」
と記した様に、手にする瞬間までニホンオオカミである事を全く疑ってなかったのです。
今から25年前標本調査に足を踏み入れた当初、無知の塊だった私は好奇心だけが勝り、多くの失敗を重ねました。
「頭骨顎段(ストップ)が無ければオオカミ」と思い込み、クマの頭骨を師と仰ぐ井上百合子さんに報告したのもその一つですし、それ以前の問題として、タイプ標本の存在自体を知らなかったのです。
幾度も幾度も恥をかき、井上さんに赤面させて、そして今の私が有ると云って過言で有りません。
ストップが無くオオカミだと思ったクマの頭骨
60年ぶりに再発見したニホンオオカミの頭骨
井上百合子さん(右)と吉行先生
ちなみに、自分の失敗を含む経験を踏まえ、HP上に多くの頭骨標本等を例示しているのですが、今回の間違いは本当に迂闊でした。
根付け標本の側面写真だったら全く問題無かったのですが、微妙な角度からの写真1枚で行動に移した訳ですから。
反省、反省、反省です。
せっかくの機会ですから、クマとオオカミの上顎吻端部を列して少し説明します。
クマの犬歯は基根部が太く、それに続く前臼歯の形状がオオカミの様に尖っていませんので、掲載した4枚の写真をご覧下さい。
クマの上顎吻端部
クマの上顎前臼歯
ニホンオオカミの上顎吻端部
ニホンオオカミの上顎前臼歯
トランヴェール内の「井上円了登場・学問になった妖怪」欄の撮影者は岡倉禎志さんですが、以前、秩父市内でお会いした事が有りました。
現在三峯博物館に納められている毛皮標本の、雑誌「シンラ」での撮影時ですが、岡倉天心の玄孫に当たると仰っていましたので、良く覚えています。
標本所有者は三峯神社に毛皮を納める際、岡倉さんから実物大(に近い)の写真をお願いし、現在も自宅に飾っています。
その写真は、いずれ私の手元に・・・と邪まな考えを持っているのですが、さてどうなることやら。
月日の経つのは早いもので、私ももうすぐ古希を迎えますが、それらは23年前の事になります。
山根一眞の動物事件簿第5回目
写真・岡倉禎志と
23年前の岡村禎志さん