半世紀近く前、高校2年の秋、越後の奥山歩きをしていた私は、踏み跡を間違えて利根川源頭の大水上山に足を踏み入れていました。
銀山平から荒沢岳(1968m)兎岳(1925m)中の岳(2085m)を経て十字峡へ抜けるルートでしたが、殆どが藪漕ぎで、兎岳から中の岳に向かう途中で間違えた様でした。
当時兎岳から巻機山(1961m)への稜線は開かれて居らず、闇雲に藪漕ぎをしながら前に進んでいる途中、現在地が解らなくなって途方にくれていたのですが、霧の中から男女4~5人の場違いで楽しそうな話し声を聞いて、恐ろしくなり、来た道を必死になって戻りました。
旧遊仙閣苗場山の行者「雲尾東岳」氏が建てたこの小屋は、 写真撮影1ヵ月後に新しい遊仙閣に変わった。
45年後の現在、更地となって小屋は無い。
昭和44年撮影の苗場山。
神楽スキー場は未だ無く、三俣スキー場がこの冬オープンした。
ニホンオオカミの咆哮を聞いた、昭和44年7月29日深夜2時から2週間後の、8月13日夜19::00~20:00時頃。
苗場山頂(2145メートル)に在った山小屋『遊仙閣』の小屋番の仕事を終えた私は、屋根に上がって寝転びながら星空を眺めていました。
宿泊客達は昼間の疲れで寝静まって、私以外の人の気配は全く感じられない!そんな山小屋の夜でしたが、 何気なく正面の山肌に目を転じた時、信じられない光景が私の目に映りました。
深い谷を隔てた正面の山全体が、灯篭で埋め尽くされていたのです。
登山道を3時間くらい下った秋山郷には、小赤沢を始め幾つもの集落が有るのを承知していました。
が、目の前の山々は標高が2000メートル近くあり、深い山並みの中の森林が、人間の営みを許してくれません。
一つ二つの灯篭ならば・・・それでもやはり不思議な気持ちになるのでしょうが、私が目にしたのは山全体が・・・だったんです。
山頂小屋で山並を埋め尽くした灯篭を見た時は、3年前越後の深山で4~5人の話し声を聞いた事を思い出し、山って所はそういう処なんだと、軽く考えていたのですが、背負い切れないほどの経験を積み、人間としても分別が付くようになった今、不思議な事はやっぱり不思議なんだと、つくづく思っています。
そして、全て科学で割り切れるものではないって事も・・・。
こんな経験をしているからこそ、絶滅したとされる二ホンオオカミを、探し続けてこれたのだとも思っています。