二ホンカワウソ研究の第一人者、町田吉彦高知大学名誉教授から、分類に関してのお手紙を戴いていますのでご紹介します。
少し専門的になりますが、ニホンオオカミを勉強する上で非常に重要な点が含まれていますので、最後まで読むことを希望します。
【宗像さんから本(ニホンオオカミは消えたか)を頂戴し,恥ずかしながらニホンオオカミを熱心に探している方々の存在を初めて知りました。
そこで,YouTubeを覗いたところ,貴兄の活動ぶりが紹介されており,まったく頭が下がりました。
松山市で開催される動物園関係者の集会でニホンカワウソの話をしてくれとの依頼があり,どんな内容にしようか悩んでいた処でしたが,本当に勇気づけられました。】で始まる文面の殆どは魚類の分類に関してでした。
【類型分類学(記載分類)は早い者勝ちの世界ですから,多くの標本を並べて典型的な標本を1つ選ぶという悠長な事はしません。
たとえば,西日本固有の海の魚であるアカメのホロタイプは高知市の浦戸湾で得られた個体で,全長(吻端から尾鰭の先まで)33cmしかありません(国立科学博物館にあります)。釣り人あこがれの魚です。
が,今や1.2mの個体が釣れてもニュースにならないぐらいです。
こうなると体形もずいぶん違うので,見慣れない人は別種と思うでしょう。
アカメのホロタイプで役に立つ形質は,鰭を支えている骨の数,臀鰭を支えている骨で一番長いのが何番目にあるか,鱗の枚数ぐらいのものです。
魚類の分類の場合,計測形質はほとんど問題にしません。
多くの場合,稚魚から幼魚になる時と,幼魚から成魚になる時に体のプロポーションが大きく変化するためです。
そのため,計数形質を重視します。
本来であれば,種は繁殖集団なのですが,標本で繁殖させることはできないので,これらの計数形質(数えられる形質)が確実に遺伝しているとの暗黙の了解があるのです。
典型的な個体をタイプにする唯一のケースがネオタイプの指定です。
ホロタイプ,シンタイプ,レクトタイプのいずれもが消失した場合に限り,その種が属する属内のすべての種を再検討した上で,ある標本をネオタイプに指定できます。
そのチャンスは滅多になく,私の場合は幸運にも約30年間で1例のネオタイプの指定ができました。
哺乳類の場合は歯が残っていればその摩耗の程度で年齢がおよそ推定できるのではないでしょうか?
確かに,写真を見る限りニホンオオカミは小さいという印象を受けます。
私は生きたニホンカワウソを見たことはありませんが,毛皮で見る限り,高知県の須崎市教育委員会が保管している個体が最大で,全長140cmはあります。
これは,中国・韓国・ヨーロッパのカワウソをはるかに凌ぐサイズです。
しかし,剥製では極めて貧弱な個体しかないのが本当に残念です。
「これは小さい!」という印象の剥製がほとんどであり,「大きい」という印象を受けるのは黒潮町佐賀の役場にある個体のみですが,
これは罠で捕まったものではなく,交通事故死した個体です。
実はこの個体を発見した人は黒潮町佐賀の漁師さんで,それを知った時は驚きでした。
やはり現場に出ないと何も分かりません。
地元の方々に教えを乞う,情報を提供してもらうのが一番です。
最近は釣り人からの有力な情報があり,心強い限りです。
1979年に須崎市の新荘川に出没したカワウソは、例外中の例外だという事がなぜ研究者に分からないのか不思議です。
ホロタイプは典型的あるいは標準的な個体ではありません。
典型的あるいは標準的な個体かどうかはたくさんの例が出て来て初めて明らかになるのです。
それと生物学で大切なことは,種内変異(個体変異)があるのが当然だという事です。
逆に言うと,変異があるからこそ種の解明に迫る楽しさがあるのです。
どれだけの変異があるかは分かりません。
逆に,変異の幅が予め分かっていたら生物学の楽しさは失われます。
ニホンオオカミの学名がどうであれ,日本に居るのがニホンオオカミであり,変異があって当たり前なのです。
変異の解釈は専門家でも誤ることがあります。
修正,また修正の繰り返しが分類学であり科学です(この心境に達するには修練が必要ですが)。
タイプ標本について
ニホンオオカミのタイプ標本の詳細について初めて知りました。(注1)
原記載にあたって複数の標本を一括して使うことが1900年代にはよくありました(現在は禁止です)。
仮に10標本を使ったとすると、それぞれがまったく等しい価値があるとみなし、一括してシンタイプと称されていました。
(古くは総模式標本:2000年に国際動物命名規約が大改訂され、日本語の規約も正本になり、用語も整理されました)
現在は、複数の標本に基づく原記載にあたっては、1標本をホロタイプ(古くは完模式標本、正基準標本など)に指定し、残りをパラタイプ(副模式標本)に指定するという決まりがあります。
この場合、ホロタイプが事故で失われた時、パラタイプの中から1標本を選んでホロタイプに指定し直すことはできません。
ホロタイプとパラタイプでは標本としての重さがまったく異なります。
シンタイプに複数の種が混在していた例は魚にもあります。
ファウナ・ヤポニカの魚類はテミンクとシュレーゲルが著者で、新学名が提唱された標本はすべて新タイプです。
後年その標本がM. Boeseman(オランダ人、ブスマンと発音します)により整理されました。
その際、1種の中で複数の標本がある場合、1標本をレクトタイプ(後模式標本:現在のホロタイプに相当する標本)に指定し、他をパラレクトタイプ(副後模式標本:現在のパラタイプに相当する標本)に指定し直しました。
これは、ルール上、認められた行為です。
ここで大切なのは、ホロタイプ、レクトタイプ、シンタイプは担名(たんめい)タイプと称され、学名に直接関与する標本であるということです。
極端な話、パラタイプ、パラレクトタイプはあってもなくても良いということです。
また、シンタイプが通用していた時代に1個体のみで記載された場合、その標本は自動的にホロタイプとみなします。
ニホンオオカミもレクトタイプ指定が必要なのは明らかですが、これが難問であることが「ニホンオオカミは消えたか?」でよく分かりました。
ホロタイプがその種の典型的な標本である保証はありません。
これが実は類型分類学(目で見える形質に基づく、伝統的分類学:新学名を提唱できる唯一の方法)の泣き所です。
私も(町田)1個体のみで新種を記載したことがあります。
ホロタイプがあれば良いので、ルール違反ではありません。
その際、他の種と比較してギャップのある形質が3ないし4つあれば「経験的に」未知の種であると判断します。
数えられる形質であれば然程問題になりませんが、連続した形質(例えば体長、鰭の長さなど)の場合は慎重にならざるを得ません。
複数の標本からホロタイプを選ぶ場合、オスの最大個体を指定する(雌雄差がなくて雄の標本が小さい場合は雌の最大個体)のが暗黙のルールです。
不連続な形質の場合、多くは正規分布となり、平均値が「典型的な値」となります。
また、数えられる形質の場合、最頻値が「典型的な値」となります。
しかし、命名にあたってはこの典型的値を考慮しません。
典型的値は、ホロタイプによく似た標本を多数検討した後に分かることなのです。
要するに、ホロタイプはその種の典型的な標本ではなく、ホロタイプが種全体のどのあたりに位置するかは後ほど分かるということを予め了解した上で命名しているのです。
ですから、学名は仮説でしかないのです。
ホロタイプを検討すれば疑問が氷解する訳ではありません。
ホロタイプとどの程度違うのかを統計処理する方法もよくあります。
それは、その形質に差がある、差がないを確認するだけで、繁殖集団としての種の判別にはなりません。
この例で、差があるとなれば、「学名の変更があり得る」、差がなければ「学名を変更する必要がない」という根拠にはなります。
これらは、新学名に関わる記載は標本(死んでいる!)に基づくという絶対的なルールがある以上、避けられないことなのです。
どの形質がどの程度ちがうと差があるとみなすのかは、明らかに主観に基づくことであり、生物学が「あいまい科学」であるという非難が集中する部分でもあります。
しかし、お分かりのように、類型分類学はまず区別するための学名を付けないと(仮説を立てないと)何も始まりませんよ、ホロタイプはその種の典型的な標本ではありませんよ、ということを理解した上で成り立っている学問なのです(そんなのは学問ではない、と断言する人もたくさんいますが)。
生殖的隔離機構という術語があるので、少し調べられる事を希望します。
野生動物がなぜ異種と交配しないのか、また、交配した場合、どうなるのかについての仮説です。
ただし、これだけで種が説明できるほど生物は簡単な存在ではありません。
いまだ「種」を一言で定義することは不可能です。】
注1にて示したニホンオオカミ(Canis hodophilax)のホロタイプ(模式標本)ですが、ライデン国立自然史博物館に3個体分の標本があります。
ニホンオオカミ研究の第一人者である小原巌先生が2002年に発表した「ライデン国立自然史博物館所蔵のニホンオオカミ及び日本在来犬標本について」に依ると、
【この3個体は今泉(1970)の整理に従うと次のようになる。
L1: 頭骨(a)と体骨格(a),♂ad,日本,Burger採集.
L1: 頭骨(a)
A:側面、B:前面、C:上面、D:下面
L2: 頭骨(b)、性不明ad.,日本、Siebold採集
L2: 頭骨(b)
A:側面、B:前面、C:上面、D:下面
L3: 頭骨(c)と本剥製(a),(♂)old,日本、Burger採集.タイプ標本
L3: 頭骨(c)
A:側面、B:前面、C:上面、D:下面
Jentink(1892)によりhodophilaxのタイプは、この標本のうちの本剥製の(a)と頭骨の(c)とされた(今泉、1970)。
また、この3標本の分類学的な固定は今泉(1970)に詳述されている。
その結果は、L1はイヌCanisfamiriaris, L2及びL3はニホンオオカミhodophilaxであった。】と記されています。
私は頭骨(C)の正体を「ヤマイヌ」ではないかと推察しているのですが、とすると、ニホンオオカミの模式標本3点は、それぞれ別の動物であったことになる訳です。
各々の頭骨を同一テーブルに並べ比較すると、
各頭骨の大きさや、下顎が接地する部分の違いが分かる。
hodophilax(L2(中)及びL3(左))では下顎角部が接地せずに静止するが、
famiriaris(L1)(右)は下顎角部が接地している。