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Channel: ニホンオオカミを探す会の井戸端会議
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奥多摩での体験

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私が苗場山中で咆哮を聴いて、中腹の和田小屋(1.375m)に逃げ帰ったのは、1969729日深夜の事です。
その年の12月、現在多くのスキー客を集める三俣神楽スキー場が営業を開始するのですが、スキー場務めをする気が更々無い私は、翌年4月東京の登山用具メーカーに職替えをしました。

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苗場山頂から奥志賀方面の遠望

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現在の神楽スキー(パンフレットから)
 
年月の特定は叶いませんでしたが、20歳代で6月~7月の深夜2~3時頃。
JR青梅線奥多摩駅が氷川駅と呼ばれていた頃、駅から左程遠くない日原街道上で、56頭のイヌ科動物と遭遇した人が居りました。
飯能市在住の小山勇吉さんは昭和17年生まれで、31歳の時結婚したのですが、独身時代の遭遇だったと云いますから、両神山での柳井賢治さん、私の苗場山での頃と考えられます。

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中三の夏・たまたま登った苗場山から私の人生が・・・

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前に居る女の子を背に山頂まで往復した私
咆哮を聴いて2か月後・遊仙閣前にて
 
私の場合は7月28日の作業が終わって一息付いた23時頃、山頂小屋を後にし和田小屋に到着したのは深夜1時前の事でした。
一息ついてから30kgの米を背負子に付け、歩き出して直ぐの体験だったのですが、小山さんは最終電車で氷川の駅に着き、日原奥の釣りのポイントに向かっている時でした。
日原川が川苔谷と合流して100m位歩いた処だったそうですが、車2台すれ違うのがやっとの道路の真ん中を歩いていると、突然眼の前に現れた感じで、お互いほぼ同時に気が付いたとの事です。
 
晴天時より曇り空の方が深夜の歩行は周りが見えるそうで、そう言った意味では絶好の深夜歩きの日だったわけです。
列の先頭を歩く動物は他より少し大きめ、秋田犬位の大きさ、他は四国犬位で総数5~6頭。

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秋田犬

出会った時先頭の動物は躊躇し怯んだ感じでしたがそれも極々一瞬、1m弱の空間ですれ違ったのですが、襲われたらどうしよう・・・と、ただただ震えながら通り過ぎるのを待ったと言います。
 
動物の特徴を知るべく、耳の状態、尾の状態を訪ねたのですが、怖さが先に立ち何も判らなかったそうです。
現場からすぐ近くの、大沢集落にある渓流釣り堀が彼らの目的地だったのでは・・・と小山さんは言います。

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大沢の渓流釣り堀

そう云えば、私が秩父野犬と遭遇した場所の近くにも渓流釣り堀が有りますし、近くの河原に穴を掘り魚の臓物を埋めていました。
2014年10月8日掲載の「67頭のオオカミが私の側を・・・」と全く同じ状況で、深夜の渓流釣り、5~6頭とのすれ違い・・・違っていたのは1人だったか2人だったかくらいです。
掘り起こせば、こうした体験がたくさん眠っているのだと思います。
 
秩父野犬と遭遇してすぐ、私たちは(京都在住の岡田氏が)述べ6か月間山に籠りオオカミ探しを試みました。

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山に籠りオオカミ探しをしていた時の岡田さん

雲取山~酉谷山~仙元峠~有間山が一つのブロック、そして荒川源流域がもう一つのブロック。

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1960年1月1日・酉谷山頂付近で遭遇した吉田泰邦氏

避難小屋、造林小屋の廃屋をベースとしての捜索でしたが、一度だけ急用で日原集落からバスで帰って来た事が有ります。
貸し切りバス状態で運転手が気を許したのか、登山姿の岡田氏に、「一度だけ車窓からオオカミ(と思われる動物)を見たことが有る」と話しているのです。
 
奥秩父も奥多摩も峰続きですから動物たちは当然往来をします。
効率的な面で奥多摩での捜索は二ホンオオカミ倶楽部の人達が行っていますが、間接的な情報も含めると、非常に多くの体験者が存在する地域です。

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奥多摩の山並み

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1999年10月22日・奥多摩で遭遇した古田基満氏
 
追記
「二ホンオオカミを探す会」の仲間・林道子さん宛てに、奥多摩での体験事例が届いたらしいので、調査が終わりましたらこの欄で掲載したいと考えています。

奥武蔵研究会第940回山行

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先日、奥武蔵研究会会長を長く務められた加藤恒彦氏から文面が届きました。
同会は1949年に設立され、山行範囲がオオカミ捜索地域と重なる上、私の相棒矢口氏も籍を置いているので、気に留めている山岳会でも有ります。
「会山行第940回 高ワラビ尾根 平成22117日 晴れ」 として、山行の様子と注目すべき動物との遭遇が原稿用紙4枚に認められていました。
 
【長尾根より眺める高ワラビ尾根はいつも孤高を保っていて、清々しい眺めが良い。
武甲山の陰に隠れていて、その存在は至って薄い。
目に留める岳人がいるとすれば、それは相当のマニアックな登山者に違いない。
左様、小生、いかにもマニアックな登山者の一人である。

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5月の高ワラビ尾根
 
西武秩父よりタクシー3台に分乗して、秩父さくら湖まで上り、寄国土トンネルを出た処で降りる。総勢11名。
武士平から入山するつもりだったのだが、タクシー料金が高くなるのを恐れ一つ手前の茶平からにし、昔、鳥居のあった「有坂」の登り口から取り付く。
とにかく直登一本の息もつかせね急登の連続、「うわごうのタワ」着1015分。
激しい登りに中老集団はこたえた。11時半、やっと尾根に来る。
さてこれからが本格的なタカワラビ尾根の始まりだ。
西に進み、暫く行った見晴らしの良い1055m点、コーゲサキでランチとなる。
ランチ後はいきなりの急下降。この下りは慎重に降りる。 
この尾根の良さは、全く人の気配が感じられない事だ。
830m点で大きな熊の糞を見る。それも手の平大の大きなヤツだ。
中身は黄色く、ドングリでも食べたのであろうか。尾根の傍らに熊の寝床がちゃんと在った。
単独で来た場合、鉢合わせは冗談でない。785mの大ゲノ着2時。
武甲山はここから眺める限り無傷で美しい。三角錐の優美な美しさである。

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無傷で美しい姿の武甲山の後ろ姿

山麓から眺める高ワラビ尾根は横一線、東から西へと流麗なラインを画しているが、実際に歩いてみると姥子のクビレ辺りより極端に北西へとカーブして廻り込んでいる。
 
その姥子のクビレまであと数十メートルの下降点で、突然先頭を歩いている会員から、何か叫ぶ声が伝わってきた。
「オーイ、イヌだぞ」「何に」!!
一瞬声がざわめき始め、視線をその先に向けると、白っぽい尾を垂らした一匹のイヌ科動物が尾根上に現れたと思いきや、飛び上るようにして西の林中へと消えていった。
仲間の「イヌだ、イヌだ」の声が響く。
しかしどうして人里離れた山中にイヌがいるのだろうか。
人に慣れたイヌなら人間に近寄ってくるのだろうに。仲間達は迷い犬だと思っている。
イヌが突然に現れ、消えて行った姥子のクビレ着午後215分。

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加藤恒彦氏からの詳細図
 
「姥子のクビレ」より7分で城山(ジョウヤマ)に着く。

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かって山城であった城山頂

地元の人は「諸山(モロヤマ)」とも呼ぶj城山は克って戦国時代、山城の一つであった。
「秩父風土記」稿にも大胡八郎居と記されている。
欝蒼と繁った山上に陽は通らず、西陽がかすかに洩れていた。222分着。
山頂の廻りはそれと分かる郭跡が確認出来る。
急ぎ足で山頂近辺歩き廻ると、一の腰郭、二の腰郭、虎口などの外郭が認められ、改めて古城の面影を偲ぶ事が出来た。
下山路は二本あるが、慎重に径を選ぶ。
この下りも激しく滑落しないよう細心の注意が必要だった。
忠実に下山路を辿り、未だ陽の高い312分、浦山口の県道に飛び出た。浦山口駅330分着。】

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高ワラビ尾根への入口

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秩父鉄道浦山口駅
 
20年前の10月、この山域で写真撮影した秩父野犬を発表し数年後、TVのドキュメンタリー番組撮影を兼ねて長期間の捜索を行いました。
聞き取り調査の中で、かって秩父のチベットと呼ばれた浦山集落に、少し前まで二ホンオオカミの毛皮が存在していた事を知り、有間山(1213.4m)と鳥首峠の中間部に在る谷を地元で「オオカミ谷」と呼んでいる事も教えて貰いました。
 
撮影現場から浦山集落までの林道が開通した事も手伝って捜索範囲も広がったのですが、そんな或る日の夜、集落の外れで私達の前に小動物が現れました。

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小動物が現れ消えた現場近く

こんな所に仔犬が一匹可哀想に・・・」拾い上げようと差し伸べた私の手を掻い潜る様に、信じられない速さで斜面を駆け上ったのです。
その小動物とそっくりの動物に、その8年後再び会うことが出来ました。生後45日目の四国犬です。

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我が家の一員・四国犬みかんの幼姿
 
そんな事も手伝って、四国犬こそ二ホンオオカミに一番似通った動物だと信じて疑わないのです。
奥武蔵研究会の人達が高ワラビ尾根で見た動物を、他の会員達は「迷い犬」としていますが、二ホンオオカミに関心を持つ加藤氏は秩父野犬では・・・としています。
遥か昔、二ホンオオカミの基礎知識を持たずに山中深く探し求めていた頃の私なら、その動物が眼の前を駆け去っても「迷い犬」と思ったに違いありません。

三回目の体験

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一昨年のフォーラム時オオカミ体験をお話し下さいました、高橋隆介さんから3回目の体験情報が届きました。
そして以下の様なやり取りをしましたのでご紹介します。

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フォーラムで遭遇体験を語る高橋隆介氏
 
【一昨日、7月6日の水曜日に昇仙峡の奥の黒平から木x峠を越えて増富温泉までのクリスタルラインを車で走りました。

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現場近くに在るオオカミを祭る金桜神社

目的は蝶の撮影とオオカミの毛糞探しでした、
午後2時頃木x峠から快晴の空の向こうに富士山が見えました。
ふと足元を見るとイヌ科動物の糞。
しかも長さ4cmの動物の毛が何本も見えました。
ただ一方での実のようなものも見え、オオカミの糞ではないかもしれません。

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高橋氏が木x峠で見つけた毛糞

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高橋氏が木x峠で見つけた毛糞

ただ前回の三国峠の毛糞と同じくとても眺めの良い場所と、糞のあった環境が類似していたので気になりました。高橋 隆介 2016年7月8日】
 
【高橋 さま
 下記は2013104日の当欄に掲載した体験記です。
半年間カメラを3台設置して観察したのですが、その時は外れの状態でした。
黒平の民家には頭骨が存在しますし、,増冨温泉近く道路脇にはオオカミの像が幾つか立っています。

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黒平集落に有る二ホンオオカミの頭骨

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増冨温泉近くに在るオオカミ像

此の度の体験をもう少し詳細にお願いできませんでしょうか。 八木】

【≪45年前の10月中旬、夜が明けて間もない朝6時過ぎ。
場所は長野、埼玉県境から然程距離を感じない山梨県下の或る林道、木x峠からxx山荘に向かって約3KM、xx山荘まで11.5KMの地点。
ずーとまっすぐの道が左カーブになってすぐ、進行方向左側が5mx15m位の平地状になっていて、そこはその道路上では一番広いスペースであった。
平地状のスペースのほぼ中央付近、道路から23m位の所にその動物は、此方を見るとも無く、頭部を左手側にして立っていた。
スピードを落としカーブを慎重に通り過ぎようとする目撃者の車を、恐れるでも無く意に介すでも無く、微動だにせず立っていた。
平地のほぼ真ん中に立つ動物にすぐ気付いた目撃者は、車中で、斜め左前方の動物を1020秒位観察して居たが、二ホンオオカミが絶滅種である事を知らなかった為、
「こんな所にオオカミが居る!」と思っただけで、それ程不思議には感ぜず、(近くの山頂から富士山を撮影する為に来ていたので、カメラでその動物を撮影する機会は在った)
目的地に車を向かわせるべく車のアクセルを踏んだが、その時も動物は動かずじーっとしていた。
目撃者は67歳で元小学校の先生。

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木x峠の近くでオオカミに遭遇した小原譽夫氏

帰宅後何故か気になったので、動物の正体確認の為図書館に行き、書籍を調べている中、絶滅した(とされる)動物である事を知ったが後の祭りだった。
その後幾度か現場まで確認に行ったが、再会の機会は無かった。その際元教諭は、充分その機会が有りながらその動物の写真を撮り逃がした事を後悔し、全面的に私達の二ホンオオカミ捜索に協力をすると伝えた。≫】

資料ありがとうございました。奥秩父から八ヶ岳にかけての山岳地帯はニホンオオカミの確実な生息域なんですね。
ニホンオオカミが見晴らしのとても良い所で糞をするのは彼らの気持ちになって考えるとごく自然なことなんですね。
三国峠の場合も木x峠の場合もやや広めの平地でしかも遠くまで見晴らしの利く「用をたすにはうっとりするような」場所でした。

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高橋氏が三国峠で見つけた毛糞

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高橋氏が三国峠で見つけた毛糞

もっとも彼らにとっては用をたす時に外敵の接近を察知できる場所なのかもしれません。
彼らは真っ暗な夜ではなく、明け方の薄暮の頃か日暮れの黄昏時に見晴らしの良いこんな所にやってきて用を足しているかもしれませんね。
なんだかゾクゾクしますね。ご連絡ありがとうございました。 高橋隆介】
 
追記
上記の関連欄は、2014919日付け『ニホンオオカミは生きているような気がする』・2015612日付け『イヌ科動物の毛糞』ですが、先日『イヌ科動物の毛糞』で記した体験記を補足する有力な情報を入手しましたので、後日詳細をお知らせします。

渓流釣り師からの情報(1) 奥秋山郷山中で

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釣り雑誌「渓流」に高桑信一氏がオオカミ関連の記事を著された事は、2016617日のこの欄に記しましたが、私の思惑通り「渓流」の読者から2件の体験情報が届けられました。
1件は本年6月の体験で超が付く程の最新情報、もう1件は南アルプス山中での体験です。
 
群馬県在住の三田村孝さん(56才)は長崎県出身ですが、東京在住だった27年前、群馬県六合村の定宿の主人が「野反湖から5時間歩くと岩魚が100匹釣れる」と云った言葉を信じ、秋山郷の魚野川に向かいました。

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日付けの通り、2回目探索時の三田村さん

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27年前、切明・和山方面に向かった

残念ながら100匹の釣果は得られなかったのですが、充分に費用対効果を満たすことが出来たので、職も住まいも六合村に移し、秋山郷に通いだしたそうです。

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今でもこんな釣果があるそうです

幾度目かの魚野川通いにあたる、平成3923日(月)の深夜。
上流域の小屋泊まりの際イヌ科動物の唸り声がしたのですが、その声が単なるイヌとはとても思えず、そのままやり過ごしました。
翌年の或る日の朝(AM9001000頃)魚野川・千沢合流点近くで藪に消えようとするイヌ科動物を見るにあたり、前年の唸り声とこの動物が重なりました。
後ろ姿の動物は茶系統の体色で中型の日本犬くらい、飼っている紀州犬より少し大きめでした。
それでも二ホンオオカミの存在に考えが至る事は無かったのですが、翌日和山集落の民宿に泊まった際、宿に在った鈴木牧之の「北越雪に目を通すとオオカミ関連の記述も有り、深夜の唸り声、後ろ姿のイヌ科動物が「絶滅したとされる二ホンオオカミかも知れない!」と思う様になり、釣りも含め、益々この山域に興味を持つに至りました。
 
ただ、この山域の釣り中の死亡事故は非常に多く、三田村さんも1件遭遇しているそうです。

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この山域にはこんな標識が沢山有ります

自分の渓流遡行・ザイルワークに不安を覚えた三田村さんは名高い渓流釣り集団「梁山泊」の代表に弟子入りし腕を磨き、年に一度の南アルプス山域での釣り行以外、ベースはこの山域とし27年間通い続けているとも仰っていました。
 
2016610日(金)1430分。
雑魚川支流外川沢河原のテンバから、23日分の宿泊用具一切を背負い帰途に着いたのは数時間前の事でした。

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今回3度の山行で使ったテンバ

雑魚川に掛かる吊り橋を渡り、同行の廣神一希(27)さんと遅い昼食を摂るべく木陰に荷を降ろした時、進行方向の林道辺から突然オオカミの咆哮が聴こえて来ました。

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咆哮を聴いた場所で、心待ちに鳴いた方向を見る三田村さん

すぐ下を流れる雑魚川の流れにかき消される事も無く、非常に綺麗な咆哮が56秒間。
空腹を満たした頃、先ほどの逆方向から再び、非常に綺麗な咆哮が56秒間聴こえて来ました。
廣神さんに「さっきとは違う方向だね?」と問うと「同じ場所から同じ咆哮だった」の答えが。

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610日一緒に咆哮を聴いた廣神一希さん

先に荷を降ろしていた廣神さんは最初の咆哮を確かな記憶として留めていたのです。
2回目の咆哮中、連れていたイヌの反応を探っていたのですが、無反応だったそうです。

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咆哮を聴いても無関心だった甲斐犬のタツ号
 
深夜の唸り声、後ろ姿のイヌ科動物、そして今回の咆哮で確たる自信となって私への情報提供となったのですが、三田村さんは、この山域でのオオカミ情報等を大変勉強しておられました。
その中の一冊が1983年に(株)白日社発行した【山田亀太郎・ハルエさんの「山と猟師と焼き畑の谷」(秋山郷に生きた猟師の誌)】です。

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山田亀太郎さんの聞き書き本
私の大好きな本の一つ

243Pに『山犬』として「オラが二十歳の自分の頃、ただもう山を騒いでいた頃までは、まだこの岩菅なんて山犬もいたんだ。外川(沢)の奥の岩菅ってとこには。・・・・山犬ってのはオオカミそ。」そんな件も見えます。
 
過去の経験を踏まえた中610日に咆哮を聴いた三田村さんは、その存在確認の為62325日、72022日と都合3回、計9日間外川沢に足を運びました。

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咆哮を発したと思われる山々

最初の電話から毎日の様にお話を重ねたのですが、それに足らず情報提供方々、7264時間の道程を埼玉の拙宅までお越し下さいました。
こうした、知識も豊富でフィールドをこなし、オオカミ体験を重ねた仲間が増えれば、二ホンオオカミ生存の証明もそう遅くないと思う今日この頃です。

渓流釣り師からの情報(2) 山犬の段

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静岡市葵区の民家に保管されている頭骨標本
            何時何処で誰が捕獲したか謂れがはっきりした標本

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標本の裏面・湾入部で二ホンオオカミと判る

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頭骨標本の頭部の皮・切り離してある

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頭部と胴体部を付けた状態

山から回収して来たSDカードを解析していた時でした。
机上の電話のナンバーディスプレー表示が033と続く、未登録の方からの着信音が有りましたので、恐る恐る受話を取りますと、(株)つり人社の編集者でした。

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「渓流」2016年夏号

雑誌「渓流」の読者から「オオカミ体験を届けたい」と連絡が有ったがこちらの電話を教えて構わないか?との事でしたので、喜んでお伝え戴いた次第です。
間も無く、静岡市駿河区在住の田島佳和氏(67才)から電話が有り、少し古い話だが・・・との断りの中で、以下の話を伺う事となりました。
 
南アルプス南部、北緯351337秒東経1380438秒に位置する山犬段を中心とするお話しです。

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山犬段・国土地理院より
 
278才の9月下旬から10月に入る頃と云いますから、40年程前の秋の体験になります。
陽が登りかけた下西出沢から岩魚釣りを始め、上西出沢まで足を延ばした田島さんと友人は、昼を目途に竿を収め、林道上の車に向かい歩き出しました。

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下西出沢~上西出沢

歩き出してすぐ、イヌ科動物がペアーで3050mの間隔でついて来るのに気が付いたそうです。
 
時間にして1015分、「付かず離れずの距離を保ち」だったのですが、その時田島さんは23年前の出来事を思い出していました。
直線距離で45Km南方の沢筋で56頭のイヌ科動物に囲まれた事が有ったからです。
幸にして今回は友人同行で、動物とも30m以上の距離を保ち、もうすぐ車に戻れると云う安心感も有ったので気持ち的には余裕でしたが、先年の事例も考えました。
駐車している車が視界に入るころ、ピョンピョンと2頭は山に向かって走り、瞬く間に視界から消えたのですが、二人の後を付いて来る時、お座りをしたような感じの事が有ったそうで、その姿がとても印象的だったそうです。
後日、二ホンオオカミの勉強で水窪の山住神社に出向いた際、お札のお犬さまが、二人の後を付いて来た動物に酷似している事を知りました。

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山住神社発行のお札の山犬

尚、田島さんが私とコンタクトを望んだ最大の理由の一つは、「渓流」に掲載された秩父野犬の写真を見たからでした。

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渓流に掲載した「秩父野犬」
 
ちなみに56頭のイヌ科動物に囲まれた話ですが、晩春から夏にかけての昼前で天候は晴れ。
蕎麦粒山と大札山の中間部の沢筋、杉ノ沢周辺での体験です。

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田島氏が56頭に囲まれた周辺地図

北緯351034秒東経1380377秒にあたるでしょうか。
34人で近くの林道まで車を走らせ、思い思いの沢筋に散って岩魚釣りをしていた時の事でした。
シェパード程大きくはないが大型の日本犬位、岩魚釣りに熱中していて気が付いた時には56頭のイヌ科動物に囲まれていたのです。
誰しもそんなパニック時は同じでしょうが、獰猛な感じで今にも襲われそうな気持になり、近くの石を手当たり次第動物たちに投げ付け難を逃れたそうです。
同じ状態に近いのが、本年520日掲載の「自衛隊レンジャーの深夜訓練中に」ですが、彼らは10名近くで銃を所持していた訳で、精神面では懸け離れています。
兎も角必死で、動物たちの特徴などは殆ど覚えていないと云います。
 
田島さんからのお話しは、私に寄せられた多くの体験者の人達と少し違ってまして、自分の体験を下に既にオオカミ探索をしていて、情報交換を望んでいるのでは・・・と感じられるふしが見受けられました。
私からも、その周辺での情報を提供しましたが、捜索方法について熱心に聞いて来ました。
20年前の初期捜索の頃、カメラの前に豚の骨、鶏肉等を撒き餌に使い、環境団体から抗議を受け中止した事、その他諸々をお話したのですが、場所は違っても方法は左程違わない・・・と言葉の端々で窺い知れました。
静岡県内外のオオカミ神社関連も良く勉強されていて、同世代と言う事も手伝い延々とオオカミ話で過ごした一日でもありました。
最後に「目的は何であれ、山に入らなければオオカミ体験は出来ない。大学の研究室に閉じ篭っていては絶対無理ですね」そんな言葉で締め括ったのです。

追記
514日欄「慌ただしい連休の後」中でお知らせしました「村田歴史みらい館」での展示物を84日、コンパクトに・装い新たに・パネル展示して来ました。
遠路はるばる村田町から「石黒伸一朗」氏も足を運んで戴き、NPOの会員「林道子」さん「横山豊」さんお手伝いの中、ようやく皆さんにお見せできる形になりました。
昨年11月村田町での展示を拝見し、何とか三峯で見る事が叶わないかと念願した末の展示です。
秩父にお出でになりましたら、三峯博物館に是非お立ち寄り下さい。

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村田歴史みらい館で展示した際のパンフレット

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オオカミ展の責任者「石黒伸一朗」氏

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三峯博物館での展示の様子

オオカミが魅入った人

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「見狼記」で私と一緒に飛龍山に登ったKさんを覚えて居りますでしょうか。

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見狼記の画面・私と語るKさん

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見狼記の画面・飛龍山頂に向かう私とKさん

一昨年のフォーラム時皆さんに体験談をお話し戴きましたし、その際のレジュメに以下の体験を記しました。
 
20101120日過ぎ14時頃。飛龍山頂にて昼食中咆哮を聴き、飛龍権現への下山途中もう一度。
前飛龍の急坂の途中、登山道を横切る動物を目撃。

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飛龍山目撃現場のカメラに映った動物

恐ろしさの余り、下山道を変更しもと来た道を引き返し、三条の湯経由で帰宅。
2011811日深夜。大弛峠から川上村に下る途中車中休憩をしていた時、北方の谷筋からの咆哮を聴く。
20135月初め夜。飛龍山鞍部で天幕中椹谷方面からの咆哮を聴く。】
 
これまでKさんは、新しい体験をする度、直接私の下へ連絡をくれました。
その後どうしているか気掛かりでは有りましたが、フォーラム後、情報網のすそ野が広がりまして忙しくして居りました。
 
7月11日、NPO法人野外調査研究所のY代表から「Kさんが長野県川上村でオオカミと遭遇した」との連絡を戴きましたので、折り返しKさんに電話致しました。
携帯に電話したのですが繋がらず、家電に掛け直しましたらお母さんが受話器を取って下さいました。
Kさんと直ぐにでもお話しできるかと思ったのですが中々電話に出ず、しばらくして物凄く不機嫌な感じで電話口に出ました。
 
私からの電話の内容を察知していて、「仲間たちとチームを組んで捜索するから」「遭遇現場はチーム共有の秘密だから」「調査と研究の為チームで相談している」「既にその山域に18回足を運んでいる」「いずれは捕獲の為檻を用意する」「捕獲したら環境省に届け出る」その他様々な理由を付け話を進めようとしませんでした。
私に話したくない為、その場しのぎに言い訳を重ねていたのでしょうが、何故そうなったのか全く見当が付かず、くじけそうになりましたが、Kさんの矛盾に満ちた文言を一つ一つ覆す感じで「隠したい現場」の推測、特定、確認をして行きました。
 
その中で得た衝撃的な話。
【仲間と渓流釣りで山中に入り、林道脇でキャンプをしていた際近くの林の中で、複数の獣が威嚇しあっている(感じの)唸り声がした。
21時30分頃、体高50cm位、頭胴長120cm、立耳、差尾、でシェパード位の大きさ、タイプ標本に似ている感じのイヌ科動物が、流木を燃やしキャンプをしている処5M近くに現れた。
その後食料その他をテントの外に出して寝たのだが、朝起きたら、それらの殆ど全てを持って行かれ、近くの藪中に残骸が散らかされていた。】
 
驚くべき事にKさんが山中でキャンプをし、動物と遭遇した日が本年6月18日(土)、現場も20年前から集中的に私たちが捜索している林道上でした。

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林道上に残されたクマの足跡

過去に於いてその林道上で、毛糞の採集、カモシカの食い散らかされた跡、複数の体験者の存在等を得ていたので、「さもありなん」と、聞いていたのですが、 
上記の通り積極的にKさんが教えてくれたのではなく、教えたく無いKさんの話の矛盾を指摘しながら探った末の情報なのです。

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20年前林道上で採集した毛糞
 
話の最後にこの他にもあるとの事で、20155月5日、将監峠から和名倉山に向かう途中、東仙波の先で、イヌ科動物が物凄く早く井戸沢方面(惣小屋谷の間違い)に逃げるのを見た。

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東仙波の周辺地図(国土地理院より)

群馬県上野村ぶどう峠近くで目撃した事がある。
埼玉・長野県境の三国峠でキャンプした際咆哮を聴いた。
と、3件の体験情報も話してくれましたが、「6月18日の遭遇現場は焚火の跡が有るから特定は安易だ。」と云い、「全て話してしまった」と後悔の念をもらしました。
ただ、仕事優先のKさんの生活を知っている私には「その山域に18回足を運んでいる」等、多くの嘘の匂いが感じられ、釈然としない気持ちで受話器を置いたのです。
 
6月18日の遭遇現場での捜索は、本来ならばK氏が行うべきなのでしょうが、「調査と研究」に関しては20年以上の蓄積が私達には有りますし、その現場の周辺、直遠距離で300m範囲に10台のカメラが設置してあります。
7月18日、50年近いオオカミ捜索の幕を降ろせるかも知れないとの思いの中、後ろめたい気持ちも抱いて、2台のカメラ設置に赴きました。
暑くなる前に現場確認を、との思いの中、早朝、NPOの横山ご夫妻、柴犬2頭と供に、56kmの林道上に在ると思われる焚火の跡を探し歩いたのですが、残念ながらその場所を見つける事が出来ませんでした。

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林道上の横山夫妻とイヌたち

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林道上で最高のビュウポイント

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林道上最深部にはこんな風景も
 
林道上に漂う獣の匂いにイヌたちは、往復の林道上を興奮し続けだったのですが、56kmの林道だけでは無しに、広範囲に考え直し、三国峠に至る10数kmの林道上にも捜索の場を広げましたが、Kさんの話の中での範囲から焚火の跡を見付ける事は出来ず、見当外れの場所の1箇所だけ見つける事が出来ました。
しかし、この焚火の跡の場所が遭遇現場であるなら、2014年9月19日に「ニホンオオカミは生きている様な気がする」で記した現場そのものです。
そして、7月22日に記した高橋隆介氏の三国峠での経験と、Kさんの峠でキャンプした際の咆哮とも合致し、嘘と誠が入り混じった感じになってしまいました。

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高橋氏が遭遇した現場・唯一焚火跡がある
 
ちなみに、Kさん云う処の獣の捕獲はわな猟としての狩猟免許の取得が必要ですし、「ニホンオオカミの捕獲」は行政上あり得ない事です。
捕獲申請にあたり「野犬」と「野良犬」では違う行政府になります。
その他諸々の「know-how」をこれから勉強するより、私たちの持っている「skill」を活用した方が、Kさんが考える「最終目標」により近いと思うのです。
手中に得ることが出来る宝物を、みすみす逃してしまう・・・・・そんな気持ちの1か月間でした。
 
山と溪谷10月号(9/15発売)にて、「ニホンオオカミの生息調査を取り上げさせていただきたい」との連絡が有り、8月7日(日)、上記現場のカメラメンテナンス(電池・SDカードの交換)に行って来ました。
設置してから20日後のメンテナンスで撮影期間が短かったのですが、Kさんの話の確認を早くしたかったからでした。
山と溪谷の記者さんにパソコンを持参いただき現場での内容確認でしたが、思わしい結果を得る事は叶いませんでした。
Kさんからの情報が事実と違っていたのかも知れませんが、もうしばらく定点観測をしてみようと思っているところです。

多摩川源流で2組の母子が

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先月7月8日欄で「NPOの仲間林道子さん宛てに、奥多摩での体験事例が届いたらしい」と記しましたが、8月11日、林さんが体験者の児童文学作家「せがわきり」さんとお会いし、詳細を伺って来ましたのでお知らせします。

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今回の体験談をレポートしてくれた林道子さん
  写真家としてニホンオオカミを題材に活動中です

以下、林さんからのレポートです。
【せがわ(瀬川)さんはテレビのレポーターなどもされていたことがあるそうで、とてもお話が上手で、グングン話に引き込まれました。

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ブーアの森」 忌野清志郎 絵/せがわきり 文
 
・体験したのは5年前の8月、当時、小学校4年生だった息子さんの夏休みの自由研究に、多摩川の最初の一滴を訪ねて笠取山の水干を訪ねたのだそうです。

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多摩川源流「水干」の碑

・同行者は、瀬川さんと息子さん、ママ友とそのお嬢さんの4人。
・当日は晴れ、お昼過ぎから薄曇り。
・朝、東京から車で向かい、登山口に向かう林道からすでに得体の知れない怖さを感じていた。
瀬川さんも感受性の強い方、同行したママ友はとても霊感が強い方で、誰かにじっと見られているような感じを受けたそうです。
登山口の手前の斜面に、鹿が多数頭いて、まさに彼女たち(車)をじっと見ていた。
 
・登山口の駐車場には、他には1台も車がなく、山の中でも誰にも会わなかった。

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水干への登山口作場平の駐車場

駐車場で山小屋の主人と出会ったが、「たいしたことない山だよ」というだけで怖さに取り合ってくれない。
携帯も圏外で通じない。
・登山口を入ってすぐ、生々しいクマの爪痕のある木を発見。
(東京から出掛ける前に、熊鈴や笛をたくさん買ってジャラジャラ鳴らして備えていた)
・とにかく怖くて、ひたすら鈴や笛を鳴らして登った。
・山小屋の周辺でも熊の爪痕を発見。閑散期の山小屋は主人も不在で、自分たち以外人の気配は皆無。

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水干の近くに在る笠取小屋

お昼ご飯を食べてる間も、熊が臭いをかぎつけてくるんじゃないかと気が気ではなかった。
・水干に向かって登っている最中、お花畑のような開けたところに出たら、それまで怖かった気配が消えた。
霊感の強いママ友は「山に入るのを試されてるんじゃないか」と感じた。
・水干とその下の沢で水を採取し、息子さんの自由研究の目的を果たし、もう午後2時頃だったので急いで下山した。
・午後3時頃から陰ってきて“獣の時間”の気配が漂って来たので、ますます急いで、小さな女の子の手を掴んでぶら下げるようにして、笛を吹きっぱなしで降りてきた。
・帰りは一休坂から駐車場に戻るコースで、細い丸木橋を渡っていたら、橋の真ん中に、ホヤホヤの巨大な巻き糞があった(直径20cmくらい?)。
とても怖かったが、引き返すにも、もう一度山を登って別ルートで下山するしかなく、仕方なくそのまま進んだ。
 
・やっと登山道が合流して駐車場に向かう一本道に出て、やれやれ、とホッとして歩き始めて間もなく、3040m?くらい先の右手の背の高い草藪の中から、2頭の獣が現れて、こちらを向いて立ち止まった。

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親子4人が遭遇した現場地図

正面やや斜め向き。黒っぽい毛色、大きかった。直感的に「オオカミだ!」と思った。ママ友の思いも同じ。
・人間も、獣も、お互いにじっと立ち止まったまま動かない。
5分くらい時間が経ったように感じ、その間、どうしたらいいかママ友と一生懸命考えた。
とにかく、引き返しても他に選ぶ道もなく、どんどん薄暗くなってくるので、進むしかない。
いざとなったら、どちらかが腕を噛まれても、「とにかく一人は車にたどり着いて子供達を逃がそう、とにかく走って逃げよう」という事にして進み始めた。
・ある程度近づいた時(1020mくらい?)、それまで身動きもしなかった2頭の獣は、またスッと草藪の中に消えて行った。
時間にして15時半16時くらい、駐車場を出たのが16時半頃かと。
 
・「とにかくとても怖くて詳細は覚えていない」と言われた中で、例えば雑種の野犬のようなみすぼらしい感じではなく堂々として、見た瞬間に「オオカミだ!」と感じるほどの姿で、2頭は瓜二つだった。
直感的に「オオカミだ!」と感じたくらいだから、耳は寝ていなかったし、尾も巻き上がってはいなかったと思う。
・瀬川さんは子供のころ長崎に住んでいた事もあり、長崎の山の中でよく野犬も見かけていた。
その獣は野犬という感じはしなかったし、犬よりだいぶ大きくたぶん頭胴長は1mくらい。
・毛並みについては、私が撮影させていただいた三峯博の毛皮の写真を見て「こんな感じでフサフサしていた」と仰いました。

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三峰神社蔵・二ホンオオカミの毛皮

が、印象として毛足が長いというのであって、決して長かった訳ではなく、(秩父野犬の写真を見て)ライオンの牝のような肌感(毛並みが割れて見えるような感じ)ではなかった。

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20年前の10月、私の前に現れた秩父野犬

(彼女たちは)横の角度からは見ていないけれど、全体的に顔口吻部がシュッとしてとんがっていた印象だったようです。
とにかく、ゴワゴワした剛毛や短毛ではなかった。

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私の知人天野画伯が描いた二ホンオオカミ
若しかしたらこんな姿だったのだろうか

・レポーターのお仕事をされていたこともあり、普段は何かネタになりそうなことがあればすぐに携帯でも写真を撮る瀬川さんだそうですが、その時は、とにかく怖くてそれどころじゃなかったそうです。
今、思い返してみても、やはり自然の脅威を感じてすごく恐怖…だそうです。
 
林さんからのレポートを見ながら、奥多摩での事例を読み返してみると、2013.12/4「毛糞」の小原さん、2015.7/9「繋がれている命」に記した古田さんの体験、は正しくこの周辺ですし、私が毛糞を見つけたのも直線距離で数百mの峠上です。

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この周辺で2度咆哮を聴き遭遇した古田さん

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私が指入峠で採集した毛糞

私は奥多摩で調査中の「二ホンオオカミ倶楽部」代表望月さんに連絡し、遭遇現場での早々の調査をお願いしました。

神領・三峯の猟師-1

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幾度も申していますが、私は秩父宮記念三峯山博物館客員研究員の肩書も有しています。
展示している国内外7例目となる二ホンオオカミの毛皮を博物館に納めるお手伝いをした事が縁で、そうした肩書が付いたのですが、二ホンオオカミ研究をする上で、この肩書が非常に役立つ事が有ります。

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三峯博物館に寄贈される前の二ホンオオカミの毛皮

真贋は兎も角、標本の存在を知る事も有りますし、オオカミの体験情報を知らせてくれたり、山の状態も神社経由で知る事が出来ます。
 
2010.7/29「目撃情報が届きました」、2014.7/5「三峰神社売店のおばちゃん」、2014.10/0867頭のオオカミが私の側を」、等は神社に勤務している人からの情報ですし、10年来の仲間矢口氏との縁も神社経由です。
去る8月4日、博物館の展示替えの際、受付の木村さんが「今日は八木さんが喜ぶ話が有るんだけどね!」と、ニコニコしながらですが、思わせ振りに話しかけて来ました。
神社の中で私が喜ぶ話と云えば生存に関する情報と相場が決まって居ますから「見たの?聴いたの?」と返すと「見たの!」と、予想通りの答えが返って来ました。
 
神社すぐ下の集落は「神領・三峰」で、集落の人達の多くが、神社と関わりを持って生活を営んで来ました。

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和名倉山中腹から三峰集落・神社・奥宮を臨む

歴代の宮司は「神領・三峰」出身ですし、受付の木村さんのお祖父さんの弟が県の副知事だった時、神社に続く観光道路を通すのにご尽力戴いたとも聞きます。
その集落の猟師(だった)宮川淳一さんが10年前、荒川源流域の大洞川で猟をしている最中「お犬さま」に遇い、猟を止めて家に帰って来たと云うのです。
 
毎週の様に奥秩父まで車を走らせている上、ここ7回連続でオオカミ体験をブログ掲載しています。
そしてまだ、数件詳細を把握していない情報も有りますので、宮川家に連絡するのは818日になってしまいました。
木村さんから事前連絡がされていて、順調に情報収取が出来たのですが、「勝手知ったる他人の何とか・・・」で、無性に遭遇現場周辺を歩きたくなりました。
思い起こせば、旧大滝村でのオオカミ探索は、20数年前その沢筋で始めたのです。
 
鬱陶しい雨空が続いていた翌日の朝。
目を覚ますと雲の中に所々青空が見えましたので、何の躊躇もせず車を奥秩父に向けました。
カメラメンテナンス目的でしたらそんな気も起きませんでしたが、雲取林道を歩きながら、宮川さんの遭遇現場を写真撮影するだけですから、多少の雨も平気です。
動物ウオッチングを兼ねた林道歩きですから、平気どころかその方が却って好都合の場合も有ります。
何しろ20年前の10月、秩父野犬と遭遇した時も小雨の中でしたから。
 
雲取林道には、良い事悪い事を含め、様々な思い出が有ります。

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大洞川と雲取林道

20数年前、この狭い林道を猛スピードで走り去って行く、所沢Noのクラウンが有りました。
危ない奴だ・・・とぶつくさ言いながら車を進めると、甲斐犬とビーグル犬が必死でクラウンを追っている姿に出会いました。
私の車には、妻と3匹のイヌたちが乗っていましたから、これ以上どうしようも有りません。
心の中で所沢Noの運転手を呪っているだけでした。
 
2004年2月3日、三峰神社で行われた節分祭に参加した私たちは車を飛ばして山中の散策に向っていました。
昨晩からの降雪でフィールドサインを求めるには絶好の状態で、今までの経験上何か得られると感じていたからでした。
林道上の最後の民家から10キロ近く走った所に、以前は立派なログハウスが建っていたのですが、土台の鉄骨だけ残してそこは静寂そのものでした。

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何の目的で建てたのか判らないログハウス跡

奥秩父では数が少なくなった兎の足跡に誘われて、鉄骨の前に車を止めると、右手の谷から左手の山に向って明らかに兎を追っているイヌ科動物の足跡が続いていました。
 
その3年前の1月初めには、そこから56キロ離れた林道上で、猿の足跡と共に、求めている動物と思われる足跡も見つけていました。

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サルの足跡(撮影箇所は文中と無関係)

・・・前の晩から降り続いた雪は膝まで埋もれさせ、村の除雪車は悪戦苦闘を強いられていて、自衛隊出身でその道のプロが運転する私達の車は、何度も立ち往生しながら林道の最深部迄移動したが、運転手の顔は引きつっていた。
車を捨てて1時間近く進んだ山中に、猿を追ったその足跡は深い谷から出て来て、そして帰っていた。

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求めているイヌ科動物は、この谷から出て帰った

足跡の上には雪が冠っていなかった為、私達の気配に驚いて姿を隠した様子が思い描かれた。

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この橋の上に、サルと求める動物の足跡が残されていた

右手の斜面では猿の集団が、安堵の息を洩らしながらも及び腰で私たちを眺めていた。・・・

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滝の上部でサルの集団は、震えながらホッとしていた
 
そうした様々の思いを抱いて歩いていると、昨日からの雨で濁流と化した大洞川対岸から、かすかに咆哮が聴こえて来ました。

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ガードレールの切れ目で咆哮を聴いていた

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現場近くに在った遭難碑

まさしく「居る物は啼く、啼く物は居る」の世界です。
先々週のブログで色々の書き込みが有って煩わしかったのですが、「答えはフィールドに在る」でした。
それやこれやで宮川さんの体験情報は次回掲載になりました。

神領・三峯の猟師-2

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一昨年のフォーラム時纏めたオオカミ体験72件の入山目的ですが、登山=28/72、車中=25/72、狩猟=8/72、釣り=6/72、その他=5/72となっています。

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2014年に行われたフォーラムのポスター

その後届いた情報・カウントし忘れた情報等が有りまして、現在では100件以上になっている筈です。
ただしこの数は、直接私が確認した情報が殆どで、氏名住所が確認できなかった物、辻褄が合わなかった物等を加えれば、その倍以上になると思います。
登山中の38.8%は兎も角、車両運転中の34.7%は意外ですが、かく云う私もその中の一人になります。
手段、目的は兎も角、要は山に入る事が体験に繋がる事なのでしょう。
狩猟中の11.1%、渓流釣り時の8.3%ですが、数字が低いのには訳が有ると私は思っています。
 
20年前旧大滝村の山中で、顔見知りのハンターが獲ったばかりの鹿を、足元に置いた状態に出くわしましたので、手柄話でも…と足を止めたのですが、腹の虫の居所が悪かったのか「あんたら、オオカミ、オオカミ、って騒いでいるけど、山で遭難騒ぎを起こされたら、地元の人間が迷惑するんだからからな!
100年前に絶滅したって云うのに、そんなのいる訳ないだろう・・・と」突然怒り出しました。
銃を持ち、鹿の血で眼の前の湖面が真っ赤に染まった異様な風景でしたので、ムッと来るのを抑えて怒りが収まるのを待っていました。

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大洞ダム・この湖畔が真っ赤に染まった
 
そんな中ハンターは「この沢の奥に良いイヌがいるんだ!若しかしたら山を越え、一之瀬から来るのかも知れないけど、あれを飼い慣らしたら良い猟が出来るんだが・・・」
と言い出しましたので、良いイヌの特徴をさりげなく聞くと、私たちが求めている動物と一致するのでした。
ハンターは「あんたらがこの村に出入りしないよう、オオカミが出ても撃ち殺して埋めてしまうから」とも言っていましたから、オオカミ講座をする事は勿論有りませんでした。
彼等にとって二ホンオオカミが「猟能に優れた良いイヌ」であった方が、全てに於いて都合良かったのですから。 
数年前その沢筋で「二ホンオオカミ誘い出し」をした際、小鹿野町の知り合いの猟師から「良いイヌ云々」の話を聞き現場を決めた経緯も有り、やはりこの山域は本筋の捜索現場だと確信しましたし、その後、私自身雪上に刻まれた集団の足跡を二度確認しています。(前号記)

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大洞川源頭の山並み
 
山の幸で生活の糧を得ている人達にとって、山中での自分の足跡が明らかになる事は、生活の糧を失うのと同じ意味を持ちます。
毎年穴熊猟をしている人は熊穴の位置を仲間以外に教える事は無いでしょうし、舞茸の出る樹を知っている人も、良いポイントを知っている渓流師も、それを自分の財産として留めておきます。
 
「秋田県の山奥の或る家は、資産家でもなく、大した仕事もして無いのに裕福。
毎年1回東京に出向いているが、裕福な秘密はそこにあるらしい。
周辺の噂話では、佐竹家の埋蔵金の在り処を知っていて、少しづつ現金化しているらしい。」
山小屋の番人をしていた50年前、ラジオから流れて来た戯言ですが、舞茸も熊穴も埋蔵金も当事者にして見たら同じ事です。
20141008日の欄で「67頭のオオカミが私の側を・・・・」で記した新井槌太郎さんも、渓流釣りを止め50年経って話す気になった訳です。
そんな訳でハンターも渓流釣師も、中々話したがらないわけですから、高い数字にならないのは致し方無いと思っています。
 
さて、前回のブログで掲載しようと考えていた「宮川淳一」さんの遭遇体験ですが、御本人は8年前お亡くなりになっています。
ただ、その2年前の遭遇時の事は、詳細を奥さんに話していまして、興味を持った奥さんは翌日現場まで出かけていました。
当然と云えば当然ですが、翌日までお犬さまがそこに居る筈も無く、奥さんの興味を満たす事は無かったのですが、ご主人の体験談を詳細に覚えていて私に話してくれました。
 
宮川家は三峯集落に居を構えていますが、雲取林道脇にも生活の拠点が有りました。

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雲取林道に建つ宮川家の小屋

前週の文中「林道上の最後の民家」がそれですし、「・・・降り続いた雪は膝まで埋もれさせ、村の除雪車は悪戦苦闘を強いられて」の除雪車の運転手が宮川さんです。

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雲取林道奥に在る重機小屋
    宮川さんがこの林道の除雪をしていた
 
 
雲取林道を何十回となく通いましたので、「最後の民家」に興味津々でしたし、話を交わした事こそ有りませんでしたが、宮川さんを良くお見掛けしていました。
 
グループで猟に出かけた200612月初め、林道上で無線係りをしていた宮川さんは、絶壁上に動く物を発見したので、狙いを定め引き金を引こうとしました。
鹿だと思っての事だったのですが、良く見ると「お犬さま」だったので銃を納め、仲間に事情を云って帰宅し、奥さんに事の顛末を話した・・・と云う事です。
80数年間三峯集落で住み続けた奥さんの京子さんは、山の事にも詳しいのですが、何しろ10年前の事で、遭遇場所の特定には至りませんでした。
ただ、「林道の左手がすごい絶壁になっていて大洞川まで切れ落ちていた。その岩の上に立っていた。」

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お犬さまが立っていたと思われる絶壁

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絶壁からは大洞川が良く見える

雪の上に立っていたお犬さまなら狙う事さえ無かったのでしょうが、その年は積雪が無く、立っていた場所が岩だからこそ、狙いを定めたのでしょう。
ダムサイトで暴言を吐いた休日ハンターと比べ、三峰神社の御眷属に銃を向けた自責の念で、その日の猟を止め帰宅した宮川淳一さん。
自分の楽しみの為動物の殺戮をする人間の意識と、神領・三峯の猟師の意識。
プロの猟師と休日ハンターの意識には天と地程の違いが有ると思っています。

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東京・日の出町井上家の先祖

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先祖が捕獲した頭骨で吻端部が無い根付にしたと思われる

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井上家の鉄砲を持ち写真に納まる20年前の私

追記
先日の台風10号の勢いはすさまじく、奥秩父の森・林・道路はズタズタです。
調査地域の中津川林道も道路が崩壊して、信濃沢~三国峠間は通行不能です。
本年は勿論、来年度も開通の見通しが立たない模様で、大変困っています。














奥多摩・日原川支流倉沢谷にて

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本ページのゲストブックに、「1~2年前の話です。」で始まる投稿がなされたのは2016822日の事です。
八王子市在住の渡辺公一郎さんと仰る昭和50年生まれの男性からでした。
昭和50年生まれと云うと私の愚息と同い年で、より身近に感じましたが、オオカミと関わった年月を思い知らされもしました。

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八王子市在住の渡辺公一郎さん
 
奥多摩の日原川支流倉沢谷が遭遇現場で、12年前の新しい情報でしたので、私としても非常に興味をそそられる事案でした。
何より、819日欄で奥多摩での体験談を掲載していましたので、興味は殊更で、翌日メールで詳細が届けられた後は順調に事が運びました。

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奥多摩日原川支流倉沢谷
 
渡辺
【今回のこの話を一緒に行った友人に話すと、『・・・一之瀬じゃなくて?』
私『いやっ。倉沢であったじゃん。イヌみたいな鳴き声ずっと聞こえてたとき!』
友人『・・・あ~、あったあった!でも、この間の一之瀬でも、イヌだか猿だかわ
       か んない鳴き声がしてよ。』
私『俺、おいてったの?二人で行ったの?』(全然、知らなかったのでおいてか
    れたのかと思った)
友人『いやっ、お前ルアーだから先行ってた。福ちゃん一緒だったんだけど、聞
       いたことない獣の鳴き声だった。』
と言う事で一之瀬では、なんだかわからない獣の声を、今年のゴールデン
ウィーク前後に聞いたとの事でした。
 
話は変わりますが、私が見た倉沢谷での話、前日は雨が振っていました。
山の上の方は、多少ガスがかっています。
 
林道を入ってちょっと行ってから、沢に降り魚留橋までの釣行だったか、魚留橋
から、滝を大きく巻いてその上からだったかはちょっと記憶がはっきりしませ
ん。

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車の終点・魚留橋

すみません。(行けば、ここだ!と断定できると思います。
一緒に行って頂いても構いません。
倉沢谷自体、そんなに険しい谷でもないですし。
 
釣りをしながら川を登ると、イヌの様な鳴き声が聞こえてきました。
しかも、かなり永い時間です。
 
私の釣りは基本ルアーの為、手返し良くどんどん先に行きます。
残りの二人は、片方が平均的な長さの仕掛けで餌はブドウ虫、もう片方はちょ
うちん釣りで地元(全員八王子)で取った川虫。
ルアーだと投げれないポイントもあるため、後ろから来る餌釣りに任せる。
見切って登ります。
かなり距離が開く事もありますが、この時は比較的皆近くにいました。
 
とにかく、鳴き声がずっと聞こえるので
私『なんだろな?』
友人『野犬だろ?』
私『ちょっと見てくるわ!』と言い、林道へ出る。
林道を出て左斜面を見ると木が整理され山の斜面が良く見える・・・。(山に良く
あると思いますが、1区画だけ木がない場所)
 
山の中腹には、多少広場みたいな所があり、一匹のイヌの様な動物がこちらを
見ている。
(距離は、30メートル位じゃないかと思う)大きさは、大型犬位で痩せている。
その後ろを走り捲っているのが数匹(何匹いるのかはよくわからない・・・一匹~
二匹じゃないことは確実)、なんだかわからないスピードで走り回っている。
大人しくしていれば可愛いのかもしれないが、吠え捲っている。(痩せているの
に、かなり元気一杯。) しかも、ずっと。
 
逃げる気配まるでなし、こちらを襲う気配もまるでなし、じゃれあってんだかな
んだかわからないけど、あっち行ったりこっち行ったり吠え捲くり。
イヌとは違う動き。あっ、そうそう体毛は、短い。
(201278日の井戸端会議でアップされている写真の様な感じにみえまし
た。ちょっと鳥肌立ちました。)

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所沢市櫻田さんのスケッチ
 
なんだありゃ?・・・まぁ~いいや!(襲われる事も無さそうだし)と思い、沢に戻
りました。
仲間に『野犬だろ!?』と言われ、私はなんだか良くわからなかったので
『猿!』と答える。
(やたら身軽に動き捲っていたため・・・自然の猿が、そんなスピードで走り捲って
いるのは、見たことがないんですけどね)
友人は『猿ってあんな鳴き声しないだろ!』と突っ込まれました。
 
ちなみに、沢に戻ってもまだその鳴き声は止みませんでした。
たまたま、通りがかった八木さまのホームページ拝見させていただき、あ
れっ!もしかしたら!?っと思い投稿してみました。
よくよく考えてみれば、あんな山の中腹にイヌっているんだろうか?って思っ
ちゃいます。
(猟では、あるかもしれませんが、猟をしているところを見たことが無いもので
なんとも言えませんが・・・)
 
八木
【詳細な内容の体験談をお送り戴き大変有りがとう御座います。
一つ伺いたいのですが、イヌの様な鳴き声とのことですが、ワンワンと鳴いた
のでしょうか?
その辺の様子を直接電話で伺いたいのですが、明日何時頃ならご都合宜しい
でしょうか?】
 
渡辺
【お返事ありがとう御座います。
明日でしたら、夜9時位なら大丈夫です。もし電話に出られなければこちらか
ら、かけ直します。
ワンワンとは一度も吠えていませんでしたよ。
イヌがじゃれあい、うなりあっているのが近いと思います。
こちらを見ていたイヌの様な生き物もイヌとは違うし、あっち行ったりこっち
行ったりしているものは、斜面中腹から山を登ってまた戻るとき、
鹿やカモシカまた猪がこちらに気付き逃げて行くものとも違いました。
なんか変(見たことない動き)でした。
私的には、あの生き物が一般的にいうオオカミには、全く見えませんでした。
(ハスキー犬みたいな感じ)
 
詳細を確認する中渡辺さんは、イメージとして一番近い写真として、福井城址で獲れたオオカミを示しましたので、近々現場まで案内して貰うようお願いしました。

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福井城址で捕獲された二ホンオオカミの写真

827日に予定した山行が雨で延期になり、奥多摩にでもと考えていると、タイミングよく渡辺さんから連絡が有り、倉沢谷に御一緒する事が出来ました。
雨雨曇りそして雨、そんな悪天候で心はくじけそうになりましたが、渡辺さんの後を付き山道の途切れる所まで足を伸ばしました。

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倉沢谷の山道が終わる辺りの風景

似た様な場所が幾つか有り、その度に方向を変え眺めるのですが、もう一つシックリ行かず、もう少しもう少しの連続で、道の最後まで判らなかったのです。
 
案外気にしてないだけで釣り人は見ているかも知れませんね!どっちかって言うと釣りに夢中なんで
渡辺さんは最初のコメントにこんな事も記していたのですが、釣れるポイントは覚えていても、山容のイメージはおぼろげで、
しかしあきらめきれず、魚留橋に停めた車にも乗らず、帰りも林道を歩き続けました。

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倉沢谷の魚留滝

歩く渡辺さんの後を運転する事30分、ようやく現場の確認が出来ましたが、山中に設置中のカメラが51台で、在庫が全く無い状態です。

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渡辺さんの目撃現場

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木の間に在る2つの石辺りから人間を見ていた
写真中央倒木が落石を防いでいる辺り

観察地点として思わしくない処のカメラ数台を撤去し早々の設置を考えていますが、天気の回復する日が何時の事やら・・・幼児に帰り、テルテル坊主でも作りましょうかね。
8/9記)
 

仙元峠からのレポート

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1992年(平成4年)213日 晴れ。
皇太子殿下が奥多摩の川乗谷・聖滝から、百壽ノ滝、蕎麦粒山、仙元峠、一杯水、横スズ尾根、日原集落へと歩かれました。

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日原集落から仙元峠への登山口

私(上原悟氏)は逆コースで日原から入り、蕎麦粒山を通り聖滝へ1週間後の220日抜けました。
尾根筋の登山道にはまだ所々に残雪があり、蕎麦粒山からの下りの斜面はまるでスキー場のゲレンデの様でした。
そんな時季でしたが、天狗蝶の飛翔する姿が時々観られる程で、穏やかな晴天でした。
 
一杯水から仙元峠に向かっていた正午10分前。
もうすぐ峠だと思われる辺りまで来ていたのですが、さほど遠くない処から立て続けに23度、遠吠えらしきものが聴こえて来ました。

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天目山下部にある一杯水避難小屋

予想外の事で大変驚いて、私も一声ワオーンオーンと吠え返しました。
少し間を置き1度は応えてくれた様でしたが、その後はパッタリと聞こえなくなってしまいました。
あちこちと方角を確かめようとしましたが、見通しが悪くて良く判らないままに、蕎麦粒山に1220分に到着。
岩の上に登ってあちらこちらを見渡し、又一声発してみましたが応えは無く、輝くほど眩しい青空の下、風の音さえ聞こえない静かさでした。
 
32年の時を越え、同じ場所、同じ時間に、同じ種類と思われるイヌ科動物と遭遇する・・・。
1444mの峠の頂きに立つ祠を背に、ある筈が無く想像もつかなかった、しかし、その現実を前にし、私はたった一人興奮していました。

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仙元峠の頂き・峠と云っても頂き

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峠の頂きにある案内板

私が再び訪れた頂きの、遥か昔の記憶が鮮やかに蘇って来たのです。
 
この日から遡る事30数年、浦山大日堂の祭りの日、19601010日の事でした。

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浦山大日堂
仙元峠への登山道が堂の横に

山登りには生憎の天気でしたが、やはり山越えをして行くことにしました。
出発を躊躇していたのですが、小雨そぼ降る川俣の毛附を朝9時に出発。
浦山大日堂の脇から取り付き、1時間ちょっと登った1つ目のピークを過ぎた頃からだったと思います。
ガスも懸かり見通しはとても悪く、ススキが覆い被さるあまり急峻でない尾根道を、下半身ビッショリと草露に濡れながら藪漕ぎをしていました。
 
とその時、数10m先を何やら動物が数匹群れになって登って行くでは有りませんか。
その尻尾がチラチラと見え隠れし、急ぐ気配もなく、私が歩く速さと殆ど同じでした。
56分の間を置いて時々チラチラと尻尾が見えたり、ほんの直ぐ先を一定の距離を置いて、何時かのあのイヌの様に山を案内してくれている感じさえして来たのです。
 
・・・・・それは集落から山に入るとき、見知らぬイヌですが時々道案内の様に前を歩いてくれるイヌがいて、一日中一緒に歩いた事が何度も有りました。
おにぎりや弁当を分け合って食べたりして、それはそれなりに楽しいものでしたし、馴れ馴れしく足元にまとわり付いて来る事が多かった・・・。
その程度にしか気にも止めて居なかったからだと思います。
イヌを飼ったことも、特別に可愛がった事もないのですが、山ではイヌに好かれるようです。
だからと云って、もっとお近づきになりたいとも思わないので、距離を縮めることもしませんでした。
今となればそれがじっくり観察できたのかなと思います。・・・・・
 
黒っぽい山道の、ぬかる地面を観察すると、やはりイヌそっくりの足跡が数匹分が重なり合って登っていく処でした。
霧滴の様な雨水が地表を滲み出るように僅かに流れていて、その足跡を満たし切らないほどの時間経過と距離の近さでした。
林の中で雨宿りして休んでいた処へ、不意に闖入者が現れ、やむを得ず歩き始めたのでしょうか。
それにしてもゆったりと歩いているでは有りませんか。
 
やがて林の中の道になり少し急坂となった頃からは、喘ぎあえぎ登っていくこちらを、向こうもまた観察している様子が有りました。
正午5分前、そこがもう仙元峠の近くでした。

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仙元峠の指導票

道を譲られた形となり、少し高めの林の中で立ちつくし、私が通り過ぎるのをじっと待つかのようにして見送っていました。
振り向くと小雨そぼ降る尾根の向こうへ静かに消えていく姿が見えました。
そのなかの一頭が又会おうよと云うかのように、サヨナラーと優しく一声吠えた様にも聞こえました。
 
仙元峠での二回の遭遇は余りにも時間が立ち過ぎていて、私としても信じがたいものが有ります。
32年後私が再び訪れた事が判った動物達が、歓迎してくれたかと思い込んでしまった程興奮していましたので、「やれやれ元気でいたか」と呟いてもいました

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松竹映画にエキストラ出演時の上原 悟氏
 
以上上原悟氏からの情報は、氏自ら平成141011日に作成された「緊急レポート」を下に掲示したものです。
氏は峠で2度の体験をしたのですが、その5年後南アルプスで、新たなる体験をしてもいます。
 
前号、渡辺公一郎さんの遭遇場所倉沢谷を登り詰めると仙元峠・蕎麦粒山の鞍部に至ります。

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地図上⑦周辺が倉沢谷源流部

そこから尾根筋を2時間辿れば有間の谷筋に至り、秩父野犬の撮影はそこで為されました。
今回の現場「仙元峠」を中心に、周辺での体験情報は驚くほど届いています。

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仙元峠下部に設置したカメラに納まったテン

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皇太子殿下は大の登山好き
    19907/20、南アルプス仙丈ケ岳にて

南信州・上村御池にて

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前号で記した上原悟氏は仙元峠で体験をしたその5年後、南アルプスで新たなる体験をしています。
 
1997815日、良く晴れた朝9時頃の事でした。
母とかみさんと娘とで南アルプスの最南端を家族旅行中で、長野県下伊那郡上村のしらびそ高原から下栗地区へのスカイラインを下る中程。

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長野県下伊那郡上村の位置(現飯田市)

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しらびそ高原

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下栗の里

娘が「春から習い始めたオーボエの練習をしたいので、30分ばかり時間が欲しい」と云うことだったので休憩にしました。
 
そこは御池への入り口で、道路から少しばかり入ったところに百台は駐車が出来る程の空き地が有りました。
蝶や小昆虫・植物の花や実・鳥の声・と、山歩きが好きな私は、山の中で飽きることがありません。
道路に出て、今来たしらびそ高原の方向に向かってぶらぶらと歩き、もうかれこれ34百メートルは登って来たと思った頃でした。
 
娘が吹くオーボエの音は私には途切れ途切れにしか聞こえないのですが、その時遠吠えらしきものが聞こえ始めました。
方角は聖岳3013㍍の方向で、そこには立俣山2366が有り平谷山1601㍍に掛けての尾根筋からの様でした。

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遠山郷の概略図

南に開けた大谷の中に有り、山深くて独立した尾根は人の住むような場所では無く、三峯山から眺めた奥秩父の北に開けた大谷の中の和名倉山2036㍍によく似ている山容なのです。

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三峯からの和名倉山

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旧大滝村栃本集落の畑
    急傾斜畑で耕作の方法が全く同じ
 
もう大変興奮を覚えて、急いで娘達の居るところへと戻ったのでした。
その間中遠吠えは聞こえていました。
貴重な体験に成るかも知れないので、道路側に出て吹いて呉れるように頼んだのですが、「イヤだ」の一言で終わりでした。
 
こんな体験をしていた頃に、埼玉新聞の記事で八木博氏が二ホンオオカミを探していることを知りました。
電話をしました処、興味深い話を沢山聞かせていただき、ますます私も確信を持ちお話ししたく成りました。
確かその頃彼は、「名栗の奥で二ホンオオカミの遠吠えの収録をする計画をしているので来ないか」と云われたように思います。】
 
ニホンオオカミ生存確認の為最初に試みた事は、誘い出しでした。

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誘い出しの場所を探索中の私達
    大洞川最深部にて

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このパラボラアンテナで集音した

タイリクオオカミの咆哮を拡声器で山中に流し、帰って来ると思われる啼き声を収録する方法で、次は、救急車・サイレンの音・にある種のイヌは反応する、との情報を得、オオカミの咆哮の代わりにサイレンを拡声器で流す・・・。
 
中々思う様な結果が得られない中、上原氏からの情報を得て、氏のお嬢さんにしらびそ高原での演奏を再現願ったのですが、残念ながら叶いませんでした。
次善の策として、入間市に在る音楽大学の教授を拝み倒し、オーボエでの演奏を収録し、秩父野犬撮影地の有間峠1149㍍で演奏を流しました。

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広河原逆川林道の有間峠
 
この峠は無線の基地としても有名で、休祭日ともなると多くのアンテナが建ち、マイク相手に話し込んでいます。
秩父野犬撮影の数年前開通した峠道ですが、丁度その頃、無線をしていた八王子在住の方が、「谷筋で啼き交わすイヌ科動物の咆哮に恐怖感を抱き下山した」
旨の情報を得た中でのオーボエ演奏だったのです。
それから20年・・・現在の主力は音声収録可能のトレイルカメラです。

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天竜村に在る二ホンオオカミ頭骨

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飯田市の山間集落に在る上顎吻端部

秩父の名峰武甲山の「山の声」

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下記は長野市在住の山崎浩希氏のHPMyMemories of Alpine に記された文面です。

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山崎 浩希 氏
 
【平成7年(1995年)122日(日)、私は秩父の名峰武甲山を訪れました。
長野からの遠出で、表参道一の鳥居を出発したのは1130分と遅く、しかも天候は今一つ。

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武甲山登山口一の鳥居

小雪舞う中、防寒用にパーカを着込んだ私は、雨傘を片手に鬱蒼とした樹林の中を登っていきました。
雪はさらさらとした粉雪、しかも樹林の中では、傘に舞いかかる雪もまばらで、存外快適な登行でした。
 
しばらく行くと、まるでこの山の主であるかのような、太い太い幹の杉の木が立っているポイントを通過しました。

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周辺の樹々を圧倒する大杉

(後から思えば、どうもこの木を境に、それより上の雰囲気ががらりと変わったように思うのです・・・)
それとともに、あたりにはにわかに霧が立ちこめ、実に幽玄な雰囲気がひしひしと胸に迫ってきました。
登りつつ、自身の周囲には誰もいないのにもかかわらず、何やら一種の「賑わい」にも似た雰囲気を感じるのは、こんな時です。
昔の人が「木霊」と呼んだのは、こんな感覚なのではないかと思います。
 
そんな中、ふと、どこからともなく、イヌの遠吠えのような鳴き声を耳にしました。
ン、こんな所で、猟犬かな? 気になると余計に耳につき、それからしばらくの間、その、どことなく物悲しい長い咆哮を、私は聞くともなしに聞いていました。
が、それも、頂上直下の「御嶽神社」に到着する頃には、どこへともなく消え去っていました。

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武甲山頂の御嶽神社
 
私は頂上を訪れるに先立ち、山への礼儀として、まずは神社に参拝することにしました。
鳥居をくぐり、社殿に近づいた私は、ふと、その両脇に何とはなしに目をやりましたが、次の瞬間、私の視線は、そこにある物体に釘付けとなりました。
その物体とは「狛犬」でした。
それも… どこの神社にも見られるような狛犬ではなく、「山犬」すなわち「狼」だったのです。

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神社の御眷属・阿吽の阿

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神社の御眷属・阿吽の吽
 
もっとも、山犬の狛犬は、何もこの山に限ったことではなく、この山に近い両神山でも私は同様の石像を目にしたことがありますし、またこの山の入山口近くの参道でも似たようなものを既に見てはいたのでしたが、しかしこの時の私には、つい先程まで、どこからともなく聞こえてきていた、例の物悲しいイヌの遠吠えのような鳴声と、その狛犬とが、ごく自然に結びつけられ、あたりの幽玄な雰囲気とも相俟って、何か不思議な、まるで超常体験でもしているかのような感覚にとらわれたのでした。

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登山口一の鳥居の御眷属

(むろん、例の遠吠えが、既に絶滅したとされている狼のものであることなど絶対にあり得ない、それは十分解ってはいたのだけれど…)
 
何か妙な感覚にとらわれつつ、神社への参拝を済ますと、私は「頂上」に駆け登りました。

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武甲山頂1304

しかし、周囲は相変わらずの深い霧で、晴天ならばさぞかしと想像される展望の一端すら望むことはできませんでした。
それでも私は、周囲の視界が利かないだけ、むしろこの山の往古の頃の雰囲気じみたものを体感できたような気がして、それなりに満足はしていました。
しばし、その場にたたずんで沈思数刻、やがて私は、何ものかをふっ切るかのように、帰途につきました。
 
下山途中、あの太い杉の木が近づいた頃、また、例の遠い、物悲しい咆哮が聞こえました・・・・・。
それは、木々に反射して聞こえてくるせいか、一体どの方向から聞こえてくるのか、注意して聞き耳を立てたにもかかわらず、最後までよくわかりませんでした。
そして… 例の杉の木よりも下まで降っていった頃には、その声は、まるでテープの再生が止まったかのように、またしても何処かへ消え去ってしまい、その後二度と耳にすることはありませんでした…。

今、私は、以上のような自身の武甲山での体験を回想しつつ、こんなふうに想っています。
あの声は、実は「山」そのものの声ではなかったのかと… 
武甲山といえば、秩父の名山という以上に、実は別な意味でも有名な山であるだけに。
 
つまり、石灰岩質の山の宿命で、採掘進行のため、見る方向によって無残に崩された白い山肌をさらし、よく山の自然破壊の典型的ケースに取り上げられる山なだけに。
(確か、小学校の国語の教科書にも、この問題をとりあげた地元少年の作文が収録されていたのを目にした記憶があります)
 
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痛々しい冬の武甲山

また、この時、私が登った「頂上」というのも、実は採掘の影響で、かつての頂上より大分低くなったと聞いています。
そんな山だけに…もちろん、石灰岩は我々の生活には必須の資源ではありますので、どこかで採掘はせざるを得ませんし、やむを得ないことなのでしょうが…。 

それにしても、あの鳴声の物悲しさは、それから数年を経た今もなお、異常に明瞭な印象として、私の耳の奥に刻み付けられているのです。
どうせ野犬か猟犬の吠え声に過ぎない、そうは思いつつも…。】
 
山崎浩希氏の「MyMemories of Alpine 」の存在を私が知ったのは,オオカミ仲間で厚木市在住の上野裕人さんからの情報からで,201510月の事でした。
翌年2月、NPOの仲間と2人で山崎氏の跡を辿り武甲山に登りましたが、そこで出会ったものは火山の噴火と見紛う採掘音でした。
腹の底に響くダイナマイトの振動から離れるべく早々と頂を後にしましたが、山崎氏に届いた咆哮の主が何を訴えたかったのか,理解できた気がしたのです。

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武甲山周辺の概略図

地図に示すように、酉谷山、蕎麦粒山、川乗山、顔振峠、そして秩父野犬と遭遇した逆川林道、・・・・・オオカミ体験の現場は武甲山周辺にテンコ盛りなのです。

吉田道昌ー野の学舎

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60歳として一区切りが付き、残りの人生をオオカミ三昧で暮らそうと決めた2010年の或る日。
「吉田道昌―野の学舎」なるページに辿りつき、下記の文面に興味を魅かれました。

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吉田道昌氏の「野の学舎」
   
 
【公立学校の教職にあったとき、夏休み、僕は中学生たちと吉野地方の山々へよく出かけた。
「つちのこ探検隊」という空想的シナリオだが、子供たちは山の不思議にロマンをかきたてられ、冒険心がふつふつ沸いてくるようであった。
「つちのこ」という伝説の蛇の話と、もう一つは絶滅した実在の二ホンオオカミにまつわる話、キャンプファイアーの火を見つめながらぼくは子どもたちに語った。
ニホンオオカミはいまだ生存しているのではないかと思われるような不思議を、この山系に入っていくつも体験したことがある。
それが子どもたちへの話の種になった。
子どもらはかたずをのんで耳を傾けた。
テントの中でも登山の時も、彼らは探検気分でわくわくしていた。
大峰山脈、大台ケ原、台高山脈などの奈良県、三重県、和歌山県にまたがる紀伊山地は、植物相の多様さ、樹木の繁茂の濃密さは尋常ではない。
そこは日本一の多雨地帯であり、山も渓谷も深く、険しい。
生徒たちと登った弥山谷源流の狼平で野生の匂いを嗅ぎ、台高山脈の明神平の霧の夜には、不思議な動物の鳴き声に取り囲まれた。
生徒たちは山の原始におびえ、畏敬の念を抱いた。】
 
*ニホンオオカミ終焉の地とされる奈良県東吉野村山域での事で、周辺の山へも足を運び多少の地理感も有るので、早速コメントを発してみました。

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鷲家口で捕獲されたオオカミの頭骨
                 大英自然史博物館所蔵
                     
それが下記2件のやり取りですが、その時は私の脳裏に留め置くだけの事でした。
 
H,yagi  2010/02/24 00:11
台高山脈の明神平での体験談をお聞かせ願えませんでしょうか?
埼玉県在住でニホンオオカミの勉強をしています。
 
michimasa1937 2010/02/2521:22
中学生の登山部の生徒を引率して、東吉野から高見山に登り、台高山脈を縦走しました。
国見山から明神平に下り、そこの草原にテントを張りました。

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奈良・三重・県境の明神平

3張りだったと記憶しています。
夕方からガスが出始めました。
明神平の水場は三重県側の小さな沢を少しばかり下ったところにありました。
日が暮れて辺りは暗くなり、さらに濃霧が立ちこめ、視界がきかなくなりました。
全員テントにお入り雑談していたとき、かなりするどく甲高い声がテントの近くで響きました。
声が大きかったのでみんなはびっくり、鹿のようでもあり、猿のようでもあり、狐のようでもあり、狼の遠吠えのようでもあり、その声が東の沢の方で鳴くかと思えば北に移動し、西に移り、ガスの中をあちこち動きます。
数頭が鳴き交わしているようでもありました。
懐中電灯を持って外に出て照らしましたが濃霧のなか何も見えません。
実に不気味でした。
これほど大胆に人間に近づくのは何だろうか。
鳴き声は、長く引っ張って、最後の方は音程が高く上がりました。】
 
*幾度も申していますが、情報が1つでは点に過ぎないが、2つになれば線に、3つになれば面になります。
8月下旬からの曇天続きで山行もままならず、眠っていた情報の掘り起こしにうってつけと思い、6年ぶりに下記のコメントを管理人の吉田道昌氏に発しましたら、
予想以上の展開になって来ました。
 
H,yagi  2016/09/17 13:28
相変わらず二ホンオオカミの勉強をしている者です。
上記明神平での体験について、私のブログ(二ホンオオカミを探す会・井戸端会議)で紹介させて戴けないかと、再度連絡した次第です。
東吉野村麦谷の猟師新子氏が同地で遭遇したと、直接伺ってもいますので、その関連性も含め掲載したいと考えています。

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東吉野村の全貌
 
michimasa1937 2016/09/1810:01
どうぞどうぞ。お使いください。
八木さん、この夢、あきらめられませんね。
私は脚を故障し、もうあの山系に入れないのが残念です。
東吉野村麦谷の猟師新子氏が同地で遭遇したという話を、知りたいです。
どんな話でしょうか。
 
H,yagi 2016/09/1816:54
実は私、秩父の奥、三峰神社の博物館客員研究員をしています。
御眷属がオオカミとして知られる神社でして、昨年11月東吉野村議会議員8名がお出でになって、新子さんはお亡くなりになった事を知りました。

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三峰神社視察時の東吉野村議会議員

が、その前に幾度か電話ですが、お話を伺っています。
当時体調を悪くしていて、長時間のお話は無理だったと記憶しています。
「遭遇日時等は不明。地元で“山行きさん”と呼ばれる木材関連の従事者で狩猟も長年行っていた。
最後の二ホンオオカミ捕獲の地鷲家口の奥、東吉野村麦谷(通称オオマタ)地区に住み、明神平から下った遭遇場所ダケ地点も遠くない。
人間を全く意に介さない状況で、目撃者の前を通り過ぎた。
長年猟をし、多くのイヌを見て来た新子さんにしてみたら、あれがオオカミで無かったら、猟で使っていたイヌは何に当たるか・・・と。」
そんな感じのお話だったと思います。
遭遇時期は吉田さんの体験後に間違いないと考えています。
それと、このブログに掲載している写真を数点使用したいのですが、お許し戴けますでしょうか。

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蝶が岳での吉田道昌氏
 
michimasa1937  2016/09/19 09:33
写真ですか。どうぞ使ってください。
新子さんの目撃された動物の姿はどんなんでしょうかね。
写真があればいいのですが。
私は、それとよく似た経験をしています。
大峰山脈の釈迦が岳に登る前鬼口から単独行で山に入った時、付かず離れずに百メートルか二百メートルのところをどこまでも登ってくるイヌがいました。
イヌだと思っていたのですが、こんな山奥まで付いてくる飼いイヌがいるとも思えず、夕方になって私はテントを張りましたら、姿を消していました。】
 
*大峰奥掛道で知られる前鬼周辺はオオカミ体験事例の多いと言われる処ですが、私にとっても点が線になったのでした。

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前鬼~釈迦が岳の大峰奥掛道

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ブログ内で記した舟ノ峠・狼平の詳細図
 
H,yagi 2016/09/19 12:24
やはりそうでしたか。
吉田さんの、山との関わり方を読んでみて、そうした体験をお持ちだと考えていました。
私のブログ中でも、大峰山中でこんな体験をした方がいます。
-『200711月の夜。奈良県吉野から入山し、大峰山脈を単独で南下縦走していた時、迷平(舟ノ垰周辺)のテント場からちょっと南下したところで、幕営中に東面方向から声を聴く。
声は1匹だけだったのだが、吠え声でもなく、遠吠えでもなく、“イヌとは思えず、野性味があって怖く感じた”と云う。
雰囲気的に、他にも仲間がいそうな感じだったと言っていたが、この辺はあくまで感じ方で、何とも云い様が無い。
ちょっと南にはオオカミ本に良く登場する前鬼が近いのだが…体験者は当時岳人編集部に在籍中だった岩城史枝さん。』-
岩城さんの話が吉田さんの体験と重なりますので、前鬼口からの体験の詳細を伺いたいのですが…。
それと、明神平での日時の詳細もお願いできれば…と。

michimasa19372016/09/19 13:56
かなり昔の体験なので記憶はそれぐらいしかありません。
いつごろかというと、前鬼口からの登山は、199010月ごろ、明神平は1968725日です。
釈迦岳のイヌのような動物は、中型犬ほどで、色が灰白っぽい感じでした。
距離を置いて、近づいては来ませんでした。
明神平では、声が尋常ではないと思いました。
距離が近く、ガスを利用して動いている感じがしました。
遠吠えは、初めは低く、後は音程が高くなりますが、そのような感じでした。
ただならない感覚が襲ってきて、ぞくぞくしました。
 
H,yagi2016/09/19 15:16
有り難うございます。
吉田さん的に記するなら-hiroshi1949-となりますが、
私が最初にオオカミ体験をしたのは1969729日で、山小屋の番人をしていた新潟・長野県境の苗場山での事です。

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199610/14に撮影した秩父野犬
もう20年前の事になってしまった

1996
1014日、二ホンオオカミのタイプ標本そっくりの動物の写真を撮り、その後も奥秩父山中で…と思われる咆哮を幾度か聴き…オオカミ探しの人生を50年近く送っています。

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山小屋生活時代の私
19685月、苗場山頂にて

此の度は、お手を煩わせまして申し訳有りませんでした。
「野の学舎」のタイトル写真・蝶が岳での写真・2点を、10/7UPのブログにて使わせて頂きます。
宜しくお願いします。】
 
*『ともかく具体的に動いてみるんだね。具体的に動けば具体的な答えが出るから』“相田みつを”の言葉どおりでした。
ニホンオオカミは生存しているか・絶滅しているか…云々を語る前に、兎も角山に入ってみる事だと思うのです。

日本狼物語復刻の顛末

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前回記した吉田道昌氏の体験地区はいずれも紀伊半島でした。
紀伊半島には二ホンオオカミ体験情報が多く伝わっていますが、それを収集して纏めた方が岸田日出男氏(18911959)で、196312月発行の吉野史談会機関紙「吉野風土記」第21号に「日本狼物語」として掲載されました。
 
長年オオカミ探しを続けている私ですが、過去に於いてその先達が居て、手本となる教材が有ったからこそ可能だった事は想像に難くないでしょう。
初期の頃は多くの民間研究者と同じく、斐太猪之介氏の書物を貪り読みましたが、氏が二ホンオオカミとする標本の多くを手に取り、求める物で無い事を知りました。
つまり、斐太氏が示した二ホンオオカミの標本はクマで有りキツネで有って、二ホンオオカミの標本は一つとして存在しなかったのです。

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斐太氏が自らの書籍で「白い狼」と称した剥製
岐阜県奥飛騨の双六荘所蔵

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同じくニホンオオカミの標本と称したクマの吻端部
 岩手県大船渡市佐藤家所蔵

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同じくヤマイヌの標本と称したキツネの剥製 
岐阜県奥飛騨にて

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同じくヤマイヌの標本と称したキツネの剥製
岐阜県奥飛騨温泉、某ホテルのロビーに展示

二ホンオオカミ研究の先駆けである斉藤弘吉・平岩米吉両氏は勿論、村上和潔・世故孜・来栖健・柳内賢治各氏、その他殆ど全ての書物を手に取りましたが、シックリ来る事は無く、最後まで心に残った書物が「岸田日出男著・日本狼物語」「松山義雄著・狩りの語部」でした。
どちらもフィールドワークを基本とし、足で稼いだ書物ですが、基本的には語り部の実名を記している点が印象的だったのです。

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日本狼物語の著者、岸田日出男氏のレリーフ

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法政大学出版局発行、松山義雄著「狩りの語部」
 
新聞の社会面に新しいニホンオオカミの標本か?との見出しが躍ったのは、子育ても一段落した1994年の春でした。
矢も盾もたまらず奈良県東吉野村まで足を延ばし、開催された二ホンオオカミフォーラムに参加したのです。
フォーラムの内容は兎も角、多くの人がニホンオオカミに関心を抱いている事を知り、知り合った熱心な研究者達が、私の人生を大きく左右する事となりました。

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この剥製を目玉として開催されたオオカミフォーラム

SCIENCEの中での基礎的な考え方を井上百合子氏から、参考資料の提示は大場烈雄氏から、そして山での探索は岡田直士氏との二人三脚でした。

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私が師と仰ぐ井上百合子さん

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様々な面で薫陶を受けた大場烈夫さん

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今迄のオオカミ探しに於いて一番苦労を掛けた岡田直士さん
井上・大場・岡田、各氏は東吉野村のフォーラムで知り合った

ニホンオオカミ研究の兄貴的存在である大場氏には、家が近い事も手伝って多くの指導を受けたのですが、その大場氏が拙宅に来て驚いたのが、ガリ版刷りでしたが岸田日出男氏の著作「日本狼物語」が在った事でした。
多くの文献を蔵書していた大場氏ですが、日本狼物語は数少ない未収蔵品の1つだったのです。
 
その冊子が私達の活動の大きな位置づけとなる事を知らされて、改めて読み返した私ですが、内容と異なって読みづらさが先に立ち、他の仲間たちに勧める気などとてもなれずにいました。
昭和30年代、柳田國男(18751962)、阿部余四男(18911960)氏らを中心に出版の流れが在ったのですが、残念ながら陽の目を見る事無く、一般的に「日本狼物語」に目を通そうとした時、国立国会図書館まで足を運ぶ事となり、多大な労力を要していたのです。
しかし、岸田氏の活動方法と、今迄の自分の行動を重ね合わせた時多くの共通点が見出せ、これからの自分の方向性がはっきりして、心中期するものを感じたのです。
 
新しい世紀となってパソコンを入手する事となったのですが、使い勝手が判らず苦労の連続でした。
そこで私は、ガリ版刷りの日本狼物語をPC入力する事で、PCの上達・本の精読と、一挙両得を思い立ちました。
PCへの入力は数年の月日を要したのですが、終了すると、何とか出版まで辿り着けないかと、思いを巡らせました。
紆余曲折、所属する三峯博物館として10年後の2014年、フォーラム開催に合わせ出版の運びとなったのはご承知の通りです。

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日本狼物語の復刻版

私の苦労をアピールする心算は有りませんが、限定1000部の復刻版で在庫に限りがありますので、出来るなら蔵書にされる事をお勧めします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
19961014日、小雨降る秩父山中の林道。
突然私の眼の前に現れた秩父野犬。
10年ひと昔と云いますが、今日で丁度、ふた昔が過ぎてしまいました。
相変わらず目撃情報が届く秩父野犬は今、何代命を繋いだ事でしょうか。
 
そして先日、久し振りに九州の西田 智氏から連絡が有りました。
今、西田氏は76歳となり、祖母山中でオオカミ探しを続けています。

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大分県祖母山中で西田氏が撮影したイヌ科動物

写真撮影以後再会は叶わないですが、咆哮は幾度か聴き、それに勇気づけられ山に向かうのだそうです。
 
故今泉吉典博士は「居ないと思ったら終わる」と仰いました。
答えは山に有る…と私は考えています。

雑感2題

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時折、紀伊半島の情報を届けてくれる西田秀行さんから、吉田道昌氏の「野の学舎」に関連して、相次いでコメントを戴きました。
 
N)2016/10/14.大阪の西田です。ブログ拝見しました。
吉田氏の釈迦ヶ岳での体験談たいへん興味深いです。
以前八木さんにもお訊ねした毛糞らしきものを見つけたのも釈迦ヶ岳への登山道やその周辺です。
(下記に記した2016/06/29.07/01.【~】参照)
大峰山脈及び台高山脈北部の明神平から高見山、その東の三重県飯高町(ニホンオオカミ倶楽部さんも捜索してましたし、私も不思議なキツネのような動物を見ました)//しかして?!かもしれませんね。
ただ地元の反応は冷ややかですが・・・。
 
N)2016/10/19.釈迦ヶ岳の登拝口の一つ前鬼の宿坊の当主には「オオカミなんて祖母ちゃんのそのまた祖母ちゃんの時代や」と言われました。
それより北の弥山で20年小屋番をしておられたN氏には「オオカミ生存なんてロマンの類いみたいなもの」と一笑にふされました。
大台ヶ原のビジターセンターでは奥駈道で咆哮を聴いたという人や高見山で糞を見たという人が居るらしいというと「そんなのは嘘つきか、ただの幻聴」と小馬鹿にされました。

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奥駈道からの霞む台高山脈

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山上ヶ岳から吉野に下る際の奥駈道

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以上3点は西田秀行氏提供
 
Y)秩父の山村でオオカミ調査をしていた20年前、私も正しく同じ状況に置かれていました。
 しかし、体験情報を積み重ねることで周囲の環境は変わっていき、眠っていた情報の掘り起こしに繋がったのです。
 継続は力なり…ですね。
 
N)2016/06/29.大阪の西田です。
さて先日、紀伊山地の大峰山脈に行ったのですが、昨年おたずねした毛糞と同じようなものをふたつ見つけました。
これで三年続けてなのですが、今回は小さい気がします(といってもほとんど毛の塊で糞かどうかもわかりませんが)
キツネも毛糞をすると聞きました。
写真ではわかりにくいかもしれませんが、小さいものはキツネでしょうか

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西田氏提供の毛糞
 
Y)2016/07/01.毛糞ですが、動物の特定は難しいですね。
糞の太さ云々も私が知る限り、小さな個体でも胃の内臓物が多ければ太いのをする事が有りますし、その逆もあり得ます。
今回の比較対象物はヘッドランプでしたが、私は皆さんに千円札をお勧めしています。
 
**上記の文面の他 以下の文面も届いていますので参考までに!
 
N)2016/03/14.ニホンオオカミ倶楽部さんは今年の1月に三重県の飯高町で捜索したみたいですが(2016/岳人3月号掲載)、私がキツネを見たのも飯高町周辺、台高山脈 北端辺りです。

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2016年 岳人3月号

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ニホンオオカミ倶楽部の記事

どの方のブログか見失いましたがニホンオオカミ倶楽部の記事について「その周辺にニホンオオカミがいる」というようなことを書かれていて、毛糞の写真もアップされていました。
Y・・・・・ご存知の方はお知らせ願えれば・・・と。)
私も何度か行ったことがあるのですが鹿を見たことがありません。
台高山脈南部や大峰山脈では鹿を頻繁に見ます。
オオカミがいるとして、オオカミに捕食されているから鹿が少ないのか、餌となる鹿がたくさんいるからオオカミがいるのか…。
 
西田さんからのお便りはこんな感じですが、今秋の天候不順に山の動物たちも大変な苦労を強いられていると思います。
栃の実もドングリも栗も胡桃も、例年通りの実りを動物たちに届ける事は難しい状況です。
東京都下青梅市から届いたクマ出没のニュースがそれを物語っています。
 
台風10号の被害は以前お知らせしましたが、山に足を運ぶと予想以上に酷かったのが身に染みて感じられます。

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台風10号で崩壊した林道
    復旧の見込みがたっていない

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崩壊した奥秩父の林道

奥秩父の林道の殆どがこんな状態で、本年中は勿論の事、来年開通するのか不安がよぎります。
10月中旬、溜まりに溜まったカメラメンテナンスをすべく、閉鎖中のゲートの鍵を行政から借り、延々8時間の山歩きをして来ました。

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通行禁止の為のゲート
 
通常なら2時間半の軽い作業なのですが、片道3時間の林道歩きのアルバイトが加わり、こうした事態に陥りました。
帰り道の林道歩きにウンザリした私は、普段使わない尾根道を下ったのですが、予想していない場所で作業者に会いました。
先方も私の姿にギョッとした様子でしたが、鹿除けネットをヘリで降ろす為の作業員でした。
見晴らしの良い尾根上でしたので、腰を下ろして昼食と決め込みましたが、45年間山を相手に仕事をしていると云う眼の前の作業員に、一言尋ねる事を忘れませんでした。
 
「半世紀近く山で仕事をしていて、変なイヌを見た事ないですか」って。
すると私の顔をマジマジ見つめ、指で私を指さしながら携帯で検索し出しました。
048781・・・」私の家の電話番号を呟きながら「あなた、八木さんでしょ!」・・・。
 
新井さんと仰る作業員は、読売新聞で以前掲載した記事を読み、何か有ったら連絡しようと携帯に書き込んでいてくれたのです。

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201416日の読売新聞

話が弾み長々と休憩をしたのですが、新井さんの仲間にも「変なイヌ」の事をPRして貰う約束をし、道を迷いながらも新しい予感を抱きつつ車まで戻った私でした。

秋山郷からの便り

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山中のカメラメンテナンスが滞り、10月は6回の入山となりました。
2回目の入山日10/6、人里に降りて受信地域に来た私を待つ様に携帯電話が鳴り響きました。
EメールCメール着信アリのメッセージが次々に届いたのですが、その中にオオカミ体験者の三田村さん(2016.7/30・奥秋山郷山中で・参照)からの物も有りましたので、電話をかけてみました。
 
1045日、奥志賀の岩菅山(2295m)で咆哮を聴いたと云うものでしたが、三田村さん自身本年2回目の体験、秋山郷に通い出して4回目の体験ですので、落ち着いた対応でした。

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外川でキャンプ中の三田村さん

毎月の様に岩魚釣りを兼ねたオオカミ調査で秋山郷に通っているのですが、釣り仲間と一緒に岩菅山に登ったのは、(株)白日社刊【「山と猟師と焼き畑の谷」(秋山郷に生きた猟師の誌)】中の243P『山犬』として「オラが二十歳の自分の頃、ただもう山を騒いでいた頃までは、まだこの岩菅なんて山犬もいたんだ。外川(沢)の奥の岩菅ってとこには。・・・・山犬ってのはオオカミそ。」の文面が頭にこびり付いていたからに他有りません。

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山と猟師と焼き畑の谷

その日の事を詳細に記しますとこんな感じになります。
10/4、山頂下の避難小屋に荷を降ろし裏岩菅山(2341m)まで足を伸ばし探索したのだが、残念ながら何の成果も得られず少々がっかりしつつも、途中から遠望が利くようになったので気を持ち直し、小屋まで戻って夕食しながらの談笑中、かすかだったが遠吠えらしきものが聴こえて来た。
はっきり聴きたいので外に出て聞き耳を立てていたが、2300mの山中の事だから寒過ぎて、45分で小屋の中に入り待っていたら、10数分後再度咆哮が聴こえて来た。
聴こえて来た方向は、裏岩菅山から又七山(1807m)にかけてで、610日に啼いた方向とも一致していた。

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岩菅山遠望

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岩菅山頂下避難小屋

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避難小屋の室内

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国土地理院5万分の1地図
 
三田村さんが本年2回体験した山域には、一昨年のフォーラムのレジュメに掲載した井野俊男さんの体験も有ります。
62.井野 俊男―1982年頃の夏。家族ドライブ旅行で秋山郷から奥志賀高原に車で向かっている時、林道上で遭遇。
車の前で立ち止まり此方を見る様を、はっきり観察する。長年猟をやっていて、猪猟用の紀州犬を現在10頭飼育しているし、多いときは30頭いた。
間違いなく二ホンオオカミだった。】
 
10月中にやるべきカメラメンテナンスの目途をどうにか立てた10月下旬、高鳴る胸を抑えきれず会員の横山さんと2人、秋山郷に車を走らせました。
50年前、私が咆哮を聴いた苗場山の丁度東側に当たる秋山郷は、スキー場開発で開けた新潟県側とは全く別の世界で、30数年振りに訪ねた私にとっても新鮮そのものでした。
「こんな山奥に!」と吃驚させる程人の手が加わった奥秩父と違い、全山広葉樹の森が広がる奥秋山郷は、一歩山道に足を踏み出せば獣の気配が満ち溢れ、探索意欲をかき立てました。
雲行きが怪しくなるのを承知の上、三田村さん達が6/10に聴いた場所を確認すべく雑魚川岸に足を向けたのですが、真っ盛りの紅葉に誘われもう少しもう少しの連続で、とうとう外川まで行ってしまいました。

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三田村さん達が6/10咆哮を聴いた処

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10月下旬の外川河原

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外川河原で見つけた猿の糞

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落ち葉で溢れる外川への山道

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現在奥秩父山中では稀な笹薮
 
帰りの車中助手席に座る私は、今日訪ねた山域でのオオカミ探しに頭を巡らせました。
奥秩父山中に現在設置してあるカメラ50台に加え、秋山郷山中に1020台のカメラが加わったら…‥。
どんな巡回方法が取れるか、カメラとその他の資金は、人員は、等々‥…。
救いのヒントは、私の田舎が新潟県魚沼市で、実家から2時間位車を走らせればで秋山郷まで行ける事…‥なのかも知れません。

お門違いのコメント

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2016/11/5(土)に「ジャイアンツゼロ」と称する方から以下のコメントが届きました。
【はじめまして、四国在住の者です。
ニホンオオカミに興味を持ってここに来ました。
部外者からの質問ですが日本で野犬の生態調査ってどのぐらいなされてるんですか?
オオカミの生存云々関係なく、野山で自活し子孫を残し野生動物として定着しているような野犬の存在は、野生動物保護や管理の観点から無視できない筈ですが。】
 
最初、このコメントを見て「お門違い」と感じたので、放って置こうと考えました。
しかし、このサイトに投稿したのは違った意図があっての事では無いのか!!。
単直に云うなら「このサイトに載せている体験情報は、野山で自活し子孫を残し野生動物として定着しているような野犬なのでは無いのか?」との思いで投稿したのでは・・・。
そんな思考の中NPO会員の幾人かに聞いて見ましたら皆同じ考えでした。
と云う事で、穿った考え方かも知れませんが、投稿者の真意?にお答えしたいと思います。
 
最初、ニホンオオカミ研究史から説明します。
 
ニホンオオカミの科学的研究は、昭和の初め、洋犬に埋没されそうだった日本犬保護と並行して始まったとされています。
研究の先達たちは自らの描くニホンオオカミ像を研究の出発点とした為、科学的見地に立った分類は、次の世代への課題となり、混迷が混迷を呼び、一部は現在へと続いています。
つまり、初期の研究者達と、Canis hodophilaxと命名したテミング等の認識とに大きなズレがあり、「どんな動物を二ホンオオカミと呼ぶのか?」であるはずなのに、現実は逆転して「二ホンオオカミとはどんな動物か?」と云う問題になっているのです。

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シーボルトが出島で飼育し、オランダに在るタイプ標本
 
その上、日本国からニホンオオカミを送ったシーボルトと、受け取ったのテミンクにも見解の相違が有り、ニホンオオカミを外部形態で判断するのは至難の業となっています。
唯一、タイプ標本との比較が真贋を知る最短最善の道なのですが、それでも多くの問題を抱えているのが現実です。

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シーボルト像

その辺が「勉強すればするほど謎が深まるのがニホンオオカミ」と云われる所以です。
詳しく知りたいのなら、復刊以前の「新潮社のシンラ・山根一眞の動物事件簿」をご覧戴くのが一番だと思っています。

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山根一眞氏と鷲家口産ニホンオオカミ
  シンラ・動物事件簿「狼」

幸いなことに20年前私が撮影した「秩父野犬」は「タイプ標本と12の類似点を要している」と今泉吉典博士が記していますので、外部形態での識別は秩父野犬との類似性も重要だと考えています。
ついでに申しますが、秩父野犬の今泉論文に分類学的な面で異を唱えた人たちは一人も居ず、反論したのは行動学的その他での人達ばかりでした。

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1996/10/14に撮影した秩父野犬
 
現在私の下に寄せられた体験情報は優に100例を超えています。
その中には仰る様に、野山で自活し子孫を残し野生動物として定着しているような野犬がいるかも知れません。
ただ、三重県在住の著名な猟師がこんな一文を記していますので、行動形態的判断の参考になればと思います。
 
【大台ケ原山には帰家性の悪いイヌが山犬として生活しています。

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大台ケ原山の山棲犬
     (19891210日撮影)

本当の狩りをして生きていく野生犬は、神経質で人間世界には容易に姿を現しません。
私の友人が、山で生まれ育った山犬の仔を連れ帰り訓練しましたが、全く神経質で山で放つともう回収できず、一週間ほど放置してやっと回収する程でした。
人とは絶対行動しない犬で、山で徘徊して里に出ては餌を稼ぐ犬でした。
私の犬は鹿を追ってダムを渡り、帰り道を失って29日間山の生活をしていましたが、ダニの毒素と食料不足で、やせ衰えていました。初夏より少しの間は、ウサギの幼稚なものや野ネズミ、モグラ等は餌になりますが、冬季は手負いの鹿や死に至ったイノシシの死骸を餌にする程度です。】
 
現に寄せられた情報で写真が伴った例は殆どがそれか、単なる野犬です。

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甲武信岳山頂で撮影されたイヌ

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南ア、農鳥岳で撮影されたイヌ

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群馬県御荷鉾林道で撮影されたイヌ

かと言って、目撃情報の全てが間違いであるとは全く考えていません。
秩父野犬の目撃例も多数届いているのです。
 
ただ、寄せられる見た・聴いたの情報から真贋を判断する場合どの様にしているか・・・ですが、幾つかの基準を設けて判断しています。
先ず、提供者が信頼できる人なのか・・・それには氏素性を名乗る事が大前提です。
外部形態での判断は、タイプ標本との比較・・・耳・尾の形状、体高、体長、体色、その他。
行動形態も勿論伺いますし、遭遇した場所、時間、天候、同行者の有無。
聴いた・・・の情報に関しては、体験者の表現方法も有りますが、簡略に云うなら私が過去に於いて聴いた咆哮との比較です。
 
公表されているニホンオオカミの頭骨生産地を全て把握していますので、過去に於いて寄せられた体験情報等とも重ね合わせ、その情報の真実度がどうなのか・・・と。
つまり,皆さんに良く云う処の「一つの事例は点だが、二つになれば線に、三つになれば面になる」・・・と、なる訳です。
そんな流れの中でブログ掲載しているのですが、私が一番こだわっているのが「かもしれない」を前提に思考している点です。
私の胸には「うそか本当か、不確かなものを否定する前に、まずは真摯に向き合う、それこそが科学だ」を刻んであります。
そうでなければアホウドリも国鱒も存在を認知されていなかった筈ですから。
 
質問者は四国在住との事ですので四国の例で示します。
四国にはニホンオオカミの標本として認知された物が3点在ります。

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徳島県立博物館に保管されている
ニホンオオカミ頭骨標本

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愛媛県立博物館に保管されている
ニホンオオカミ頭骨標本

徳島県博、愛媛県博、そして高知県旧仁淀村の片岡家の標本は20世紀末に見つかっていますので耳新しい標本です。
その頃仁淀村の隣旧吾川村の黒川家から山棲犬の頭骨が鑑定に出されています。
所有者はニホンオオカミの頭骨と思っての事だったのでしょうが、鑑定者は四国犬の歴史と沿革を知る上で重要な資料と位置づけしています。

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手前が吾川村黒川家所蔵の山棲犬
    奥が仁淀村の片岡家の標本

うろ覚えで恐縮ですがxxxで野生のイヌ科動物の群れが生息している・・・そんな記事を読んだ記憶がありますが、XXXは仁淀、吾川両村と同じ山域だったと思います。
その野生イヌ科動物の正体は仁淀頭骨系か吾川頭骨系か、興味を持たれる処です。
ジャイアンツゼロさん!いっその事調査をされたらいかがでしょうか?
 
同じ例が金沢市でも見られます。
藩主から褒美として貰い受け「狼」として家宝にしてあった山棲犬の標本です。

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金沢市の民家で所蔵されている標本

「領内の狼の群れを退治した褒美」だったと記憶しています。
能登半島の七尾市には二ホンオオカミの頭骨も存在していますし、咆哮を聴いたとする情報も届いています。

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七尾高校所蔵のニホンオオカミ標本
 
結論として、江戸の昔からニホンオオカミは謎に包まれている動物なのです。
オオカミとヤマイヌは同じ動物であるか、違う動物であるか・・・
違う動物であるとすれば、生息域は同じであるか別であるか・・・等など。
ニホンオオカミに関しては「不確かなものを否定する前に、まずは真摯に向き合う」事が肝心なのだと思うのです。

2016年11月15日

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11月15を Wikipediaで検索すると、記念日として七五三、きものの日、こんぶの日、かまぼこの日、等々が記されています。
坂本龍馬が暗殺されたのも149年前のこの日ですし、1982年のこの日に上越新幹線が開通し、我が家と新潟の生家が1時間ちょっとで結ばれました。
 
そんな事よりもっと大事なこと、私の最愛の友、四国犬の「みかん」が1115日で12歳になりました。
5年前脳梗塞で倒れましたが、生きることに今も頑張ってくれています。

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グリム童話の赤ずきんちゃんを模して

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34歳時、1番元気だった頃のみかん

今まで4頭のイヌを看取って来まして、その子たち全てが愛しくて愛しくて・・・しかし、「みかん」の愛しさは特別です。
5頭の中で「みかん」だけが私と同じ誕生日なのです。

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この写真でみかんの虜になってしまいました
 
四国犬を飼おうとしたのは、九州の西田智さんが20007月祖母野犬の写真撮影をし、ニホンオオカミとして今泉博士の論文と共に発表したのですが、四国犬飼育者の一部から「あれは捨てられた四国犬!」の声が出たからに他有りません。

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西田氏が2000年に撮影した「祖母野犬」

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西田氏の著書「ニホンオオカミは生きている」
に掲載されている「みかん」の雄姿

それまで私は四国犬を良く知りませんでしたから、自分で飼って見れば祖母野犬の正体が判ると思っての事でした。
ところが、飼ってから1週間も経たら可愛さに夢中になり、その動機なんてどうでも良くなったのですが・・・。
 
ところで、1115日の私の誕生日にメッセージを贈って戴いた、高橋、樺島、風間、浅井、林、横山、小山、Jean Rolpotその他の皆さん。
有り難うございました。
感謝のメッセージをネットのライン不良で送付できませんでした。
この場を借りてお詫びとお礼を申します。
 
1115日と云えばもう一つ。
この日が狩猟解禁日で、翌年215日まで忌まわしい日々が続きます。
これに関連した20年前の私の一文をご覧ください。
 
夕方、犬の散歩は荒川の土手です。
そこには多くの生きるものの 風景が流れて行きます。
これから11月中旬までの風景が一番嫌いな私です。
11月15日の狩猟解禁日に合わせてハンターが犬の訓練を始めるからです。 
 
それをやらなければ生きられない「マタギ」と違って、動物の生をもて遊ぶハンター。
子供たちが動物たちと遊びながら、命の大切さを学び取るのと違って 
自分の気晴らし欲望の為だけで,命の継続を否定する或る種の大人たち。
 
河川敷には色々な動物が生きています。
雨の朝必ず出てくるカタツムリ、そしてミミズ。
それを捕食するカラス、すずめ、鳩。
そして、それを狙う四足のキツネ、タヌキ、イタチ。
 
飼い主から見放され、気休めに首輪を付けられた犬と猫たち。
犬達を飢えさせてはいけないと、片道2時間自転車をこいで毎日通う中年の男。
クラブハウスから見えないコースで、無断ゴルフをする情けない男。
犬に吠えられ、ゴルフのクラブで息の根を止めた、卑劣で情けない男。
話を聞いて只泣くだけの、何も出来ない無力の私。】
 
そして、『季刊誌「道」158』より
 
【初期の生態学は倫理観があった。
動物を研究すると言っても、研究対象に負担を掛けてはいけないと言うのがあった。
ダーウインも木の陰から隠れて、動物たちの邪魔をしないように見て研究していた。
しかし今の研究者の多くはもう即、殺すのだ。
何を食べたか胃を解剖して調べる。
毎日そうやって殺しているとだんだん麻痺してきて、命の尊厳などわからなくなっていく。
今の動物学は即殺して解剖だ。
生き物の命など物にしかすぎない。】
 
そしてもう一つ、『上原善広著-「石の虚塔」』より

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新潮社刊、上原善広著-「石の虚塔」
 
そもそも考古学の発見自体は、しょせん「博打」じみたものなのかもしれない。
まず見当をつけてある地点を発掘することから始まるのだが、古代人ならここで暮らすのではないかという地形、風土から導き出した推測、そして実際の発掘によって裏付けられた経験則が重要となる。
しかし、そうはいっても、どのみちそれが「勘」に頼ったものであることに違いはない。
作家松本清張は、直良信夫を描いた「石の骨」にこう記している。
―いわば偶然の累積を基礎に学問をすすめていく考古学者は、常に賭をしているようなものだ。
だから、偶然を拾いそこねた連中は、相手の賭の勝をなかなか承引しようとはしないのだ。ー

謎に満ちたニホンオオカミ

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この欄の本年最初の記事「新年のご挨拶」の原本は、20159月、東京農業大学動物研究会報ANIMATE12号に【「秩父野犬」の写真計測による大きさの推測:寸法が判明している構造物との比較とスーパーインポーズ法による検討】として掲載された森田正純氏の一文です。
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農大動物研究会報ANIMATE12
      
詳細をご覧になりたい方は、http://www.geocities.jp/canisyagi/index.html のSCIENCEの項を参照ください。
 
以下が要約です。
19961014日に秩父山中で撮影したイヌ科動物(オス)19枚のカ ラー写真を、国立科学博物館名誉館員であった今泉吉典博士に送り所見を依頼した。      
博士は写真の動物を「秩父野犬」と仮称し、分類学のルールの下、ニホンオオカミのタイプ標本(シーボルトが江戸時代に収集してオランダのライデン国立自然史博物館所蔵)と比較し、その結果を公表した。  
「分類学の見地において秩父野犬はタイプ標本と12の形質が一致し、ニホンオオカミ以外の動物とは思えない」との内容であった。        
しかし、今泉博士以外の識見は「秩父野犬=ニホンオオカミ」説を否定するものだったが、分類学的見地では無く、「生物学的・行動学的見地」あるいは「絶滅宣言を理由」としていた。
しかもメディアからの質問への応答やコメントに止まり,論文や文章での記述は我々の渉猟する限り見当たらなかった。
(中略)   
ただ、捕獲された個体が居ない現状では,秩父野犬の立ち位置は 依然あやふやのままである。        
そこで我々は秩父野犬の写真のうち,同じ写真に構造物が写っているものに注目して,それを解析し,構造物との位置関係から秩父野犬の大きさの推測を試みた。        
さらにスーパーインポーズ法(橋本,1992)により,秩父野犬の大きさと科学博物館所蔵のニホンオオカミ標本M100の頭骨ならびに全身骨格を比較検討した結果,興味ある知見を得たので報告する。】

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秩父野犬8/19の写真

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科博の全身骨格を秩父野犬に透写した写真

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上は秩父野犬の頭部・下は科博の頭骨M100

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秩父野犬に頭骨M100を透写した写真

で、「20年前の今泉吉典博士理論を補完するに充分な論文だと考えています。」で結んでいます。 
 
今泉論文とスーパーインポーズ法で秩父野犬の真実に近寄れたとしても、そう簡単に事が運ばないのは1120日のこの欄「お門違いのコメント」で記した通り、
【初期の研究者達と、Canis hodophilaxの命名者テミング等の認識とに大きなズレがあり、「どんな動物を二ホンオオカミと呼ぶのか?」であるはずなのに、現実は逆転して「二ホンオオカミとはどんな動物か?」と云う問題になっている・・・。】を含め、様々な問題がはらんでいるのです。
 
遺伝子レベルで解明できないのか・・・?との質問が為される事も有りますが、それにもこんな問題があります。
先ずは、私が以前書き留めた下記の一文をご覧ください。
        
20年前の或る日、頭骨等の付随しない毛皮だけの標本に於いて、種の同定が安易に出来ないのであれば(外部形態での識別が)、より科学的な方法とされるDNAからの判別は出来ないものかと考え、その研究者として知られる、京都大学霊長類研究所の相見満教授にコンタクトを取った。
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京都大学霊長類研究所・相見満教授

見ず知らずと云っても間違にならない私ごときに、多忙にも関わらず教授は多くの時間を割いてくれた。
そして、二ホンオオカミのDNAの基礎データーがまだ出来ていない現在、毛皮の切片を送ってもらって、DNAの抽出に成功したとしても、種としての判別はまだ出来ない。
今やるべき事は、あやふやな標本からDNAの抽出をする事ではなく、過去に於いて二ホンオオカミと同定された標本からDNAを抽出して基礎データーの確立をする事である。
毛皮(剥製標本)から抽出してもたかだか五例のデーターにしかならず、基礎データーとして確立する為には、とてもそんな数では満足できるものは出来ない。
帯広畜産大学に於いては、頭骨からの抽出も可能になっている・・・等の事柄を面倒がらずに説明してくれた。
頭骨からのDNA抽出が可能ならば、基礎データーを確立する事もそんなに困難な事ではない筈で、今まで自分で集めた頭骨等の標本リストを生かせば意外と早く、結論が出るのではないかと考え、その所持者のリストを出来るだけ早く作成する事を約束し、受話器を置いた。】
 
ご覧の通り当時の私は、ミトコンドリアDNAと核DNAの区別も無い状態でしたので、相見先生は大変迷惑だったと思います。
その後年月を経て知識を重ね、多少なりとも遺伝子レベルの話もできるようになりましたので説明しますが、何が問題かと云えば、剥製を作る際製師は、見場が良くなる様他の毛皮から継ぎ接ぎして作る事が有ります。

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獣の毛皮を鞣す人・昭和10年頃秩父市郊外にて
今泉博士は仮剥製が一番信用できると教えた

継ぎ接ぎされた部位を切り取って核DNAの抽出をしても、求めるデーターにはならないし、そうでない部位でも薬品処理されていたりで、遺伝子の解明は出来ないでいるのです。
その辺の事は、復刊以前の「新潮社のシンラ・山根一眞の動物事件簿」をご覧戴くのが一番だと思っています。

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動物事件簿No3の核DND部分

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動物事件簿119のコピーを製本した物
 ここまでやって勉強している人も存在する

以上がニホンオオカミに関する核DNAの問題点の一部ですが、ミトコンドリアDNAにも大きな問題を抱えています。
 
帯広畜産大学の石黒教授(現在岐阜大学)等が行っている、頭骨からのミトコンドリアDNA抽出は、母系遺伝子しか解明できないのです。
つまり、牡のオオカミと牝のイヌとが交尾してもイヌの遺伝子しか抽出されず、逆に牝のオオカミと牡のイヌが交尾をすると、どんなにイヌに近くても子供の遺伝子はオオカミとなってしまいます。(自然界では起こり得ないと思いますが)
 
また、201494日のASAの紙面「二ホンオオカミは大陸オオカミの亜種」なる石黒教授の論点に対し、

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岐阜大学石黒直隆教授
  
高知大学の町田吉彦教授(分類学)は、「DNAによる遺伝子解析は個体間の遺伝子レベルの遠近は、わかってもそれで分類を決めることはできない。
どこを読み取るか(核かミトコンドリアか)、読み取る長さによっても結果が変わる。
種や分類というのがわかってない」と述べていますし、国立科学博物館の川田伸一郎〔研究員〕さんも同じ趣旨のことを言っています。
(詳細は201499日のこの欄「形態による分類・遺伝子による分類」に掲載してあります。)
 
今泉吉典博士が分類学のルールの下、秩父野犬の19枚の写真とニホンオオカミのタイプ標本とを比較し、その結果を公表した事は兎も角として、石黒教授の「二ホンオオカミは大陸オオカミの亜種」の考え方は、石黒理論として留めて置くべきものなのかも知れません。
つまるところは、やればやるほど謎が深まり、多くの点で可能性を秘める動物がニホンオオカミなのかもしれません。
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